「きみのお金は誰のため」
「きみのお金は誰のため」(田内学 東洋経済新報社)
元ゴールドマン・サックスの作家の著者による、主に若者向けのお金についての小説。お金の不安や疑問についてわかりやすく説明しており、大人が読んでも楽しめる内容だった。
「そのお金の力とは何か。さっき僕は「助けてくれ」と思いながら玉を転がしたんやけど、僕のことを助けてくれる人はたくさんおる。他の小麦粉向上に頼んでもいいし、米粉を買ってもいい。お金に力があることは間違いない。しかし、それはただ選ぶ力でしかないんや」
「お金の力は選ぶ力、ですか」
七海は、意味を探るように、ボスの言葉をくり返した。
「逆に言うとな。選べないとお金は力を失うんや。」(78ページ)
「それは、なかなかの見立てやな。お金を払う側と受け取る側の関係は、まさに監督と選手みたいなもんや。監督が息巻いても、実行するのは選手。お金がどれだけあってもあかん。それを知らずにお金の力を過信すると、国さえも破滅させかねへん」(84ページ)
「ハイパーインフレで失敗する国は、生産力の不足をお金という紙切れで穴埋めできると勘違いした国や。しかし、お金が直接パンに化けるわけやない。自然の恵みや働く人たちがおって、生産力があるから作れるんや。ジンバブエの生活が苦しくなったのは、お金が増えすぎたからやない。物が作れない状況にあったからや」(88ページ)
「お金は無力なんや。それに気づかへんと、お金を集めることだけに夢中になる。ここからがスタートや。ようやく君らと未来の話ができる」(114ページ)
「土地の値段が安くても高くても、日本の内側で取引をしている限りは、日本全体のお金の量は変わらないということですね。土地が安くなれば売る人は困りますが、買う人はうれしいですもんね」
「そうなんや。日本にとって高い値段になってうれしいのは、外側にある外国に売るときだけや。1800兆円のものが2500兆円で売れたら、700兆円多く手に入る。せやけど、そんなことしたら自分たちが住むところがなくなってしまうんや」
「おっしゃるとおりですね。日本全体のことを考えるなら、値段よりも住みやすくなることのほうがよほど重要ですね。よく考えると当たり前のことではありますが」
「お金に目がくらむと、その当たり前を忘れてしまうんや。土地だけやないで。株でもなんでも同じや。全体を考えれば、値段自体が上がることには大した意味はない。それよりも、未来の幸せにつながる社会の蓄積を増やすことのほうが重要や」(130-131ページ)
「ネット通販を使うのは悪いことやないで。仕事が忙しかったり、小さい子どもがおったりする人には大助かりや。その便利なサービスを提供する会社ももちろん悪者やない。しかし、結果として、街の書店の売上が減少でいて、店も減っているのは事実や。自分の行動の影響を理解した上で選択することが大切なんや」
ボスはひとつ咳払いをしてから、話を続けた。
「問題なのは、「社会が悪い」と思うことや。社会という悪の組織のせいにして、自分がその社会を作っていることを忘れていることが、いちばんタチが悪い」(162ページ)
「みんな、上の世代に文句を言うんや。「上の世代の借金なんて自分たちは知らん。なんで背負わんとあかんのや」ってな。それなのに、自分の親からは、お金を相続して当然やと思っている。親も上の世代であることを都合よく忘れているんや」(182ページ)
「世界は贈与でできているんや。自分から他人、他人から自分への贈与であり、過去から現在、現在から未来へと続く贈与なんや。その結果、僕らは支え合って生きていけるし、より良い未来を作れる。それを補っているのがお金やと僕は位置づけている」(198ページ)
気がついたら、子どものころの感覚を取り戻していた。ふたたび社会に手触りが出てきて、"ぼくたち"と思える範囲が広がったんや。
この"ぼくたち"を広げると、社会の感じ方が変わる。優斗くんが年末に買ってきてくれたどら焼きを、二百円で手に入れたと感じるか、和菓子屋のおばちゃんが作ってくれたと感じるかの違いや。
"ぼくたち"の範囲がせまくて、おばちゃんが外側にいる赤の他人やと思えば、二百円で手に入れたと感じる。つまり、お金がすべてを解決したという感覚になる。しかし、"ぼくたち"の範囲が広がって、おばちゃんをその内側にいる仲間やと思えれば、おばちゃんが作ってくれたと感じる。
この"ぼくたち"の範囲は、知り合いかどうかではなくて、僕らの意識次第や。お金の奴隷になっている人ほど、この範囲はせまくなって、家族くらいしか入らへん。いや、家族も入らない人もいるやろうな。
そうなると、自分の生活を支えるのは、お金やと思ってしまう。知り合いの店だろうとどこだろうと、働いてくれた人のおかげだなんて思えない。社会を"ぼくたち"の外側に感じて、すべてが他人事になり、お金を増やすことしか考えなくなるんや。(214-215ページ)
じゃあどうすれば、意識が変わって"ぼくたち"が広がるんやろうか?
僕が思うに、1つは目的を共有することやと思う。
たとえば、災害が起きたとき、"ぼくたち"と感じられる範囲が急速に広がった経験はないやろうか。支え合って生きていることを実感して、社会に手触りが戻る。他の人のために何かできないかと考える人が増えて、ボランティアに参加したり、救援物資を送ったりする。
それは「日常生活を取り戻す」という目的を社会全体で共有できるからやと思う。(216-217ページ)
もう1つ大事なことは、心から人を愛することや。
家族でも恋人でも誰でもいい。それによって、僕らの意識は大きく変わる。"ぼくたち"という範囲に愛する人が加わるだけやない。他者を愛することを知ると、その人がどう感じているかを考えるようになる。自分と他者では見え方や感じ方が違うことに初めて気づく。
そして、愛する人を守ろうと思うと、社会が他人事でなくなる。自分だけなら自分の周りのことだけ気にかければいい。ところが、愛する人はいつも自分のそばにいるわけやない。自分と離れて暮らすかもしれないし、自分が先に死ぬかもしれない。そうなると、その人を守るためには、社会が良くなることを願う。"ぼくたち"の範囲が広がるんや。(218-219ページ)
お金は世界中の人々をつなげてくれる。しかし、お金の奴隷になったらあかん。人と人とのつながりを感じて、"ぼくたち"の範囲を広げるんや。七海さんの名前のように、七つの海をまたいで世界にまで広げようとしてみてほしい。
空間だけやなく、時間も超えて"ぼくたち"は広がる。過去の歴史の営みは、年号を覚えるためにそんざいするんやない。現在の生活のいしずえになっている。
過去から受け取ったバトンを未来へつなげていってほしい。(220-221ページ)
「私、思うんだけどね。愛って、常に時差があって届くんじゃないかな」
「時差...ですか?」
「あの人...お父さんと私は、生き別れていたから、愛を受け取るのが遅れたんじゃないのよ。私もね、今、おなかの子をたくさん愛しているけど、この子は絶対そんなことわかっていないと思うのよね。愛には、きっと時差があるのよ。お父さんにもお母さんにも愛されていると思うから、この子をたくさん愛してあげられると思うのよね。時差があるからこそ、未来に続いていくんじゃないかな」(246-247ページ)
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