「やすむ勇気・やすませる勇気」
「やすむ勇気・やすませる勇気」(塩生好紀 梓書院)
学習障害のために小学生から不登校になり、その後理学療法士の資格を取って、スポーツチームなどへの健康支援を行う会社を起業した著者による、不登校の学生の気持ちや親の接し方などについて述べた本。不登校を経験した本人の言葉だけあって説得力があり、非常に面白かった。人生にはいろいろな道があるということを改めて思い知らされた。
不登校の子どもたちは、それぞれ学校に行けなくなった決定的な理由があります。でも、そもそもの要因は表にはっきり出てきていないことや、本人もよくわかっていないことも多いです。
不登校の子どもには、さまざまな感覚が「過敏な子」が多いように感じます。敏感すぎるから、人の顔色を見過ぎたり空気を読みすぎたりして、結果的に正しく物事が見られなくなってしまっている。「きっとこうに違いない」と思い込んでしまっているとも言えるかもしれませんが、深く考えすぎて身動きが取れなくなってしまっている子も多いようです。あとは、音や色に敏感で、ただ教室にいるだけで刺激が強すぎて疲れてしまう子もいます。
そういった子に学校に行けなくなった理由を聞くと、「そんなことで学校に行けなくなったの?」と思ってしまうようなことだったりもします。でも、その「そんなこと」がその子にとってはとてつもなくつらいことの場合もあるのです。そのことは、ぜひ多くの人に知っていただきたいですね。(22-23ページ)
ですから、もし僕が親になって子どもに何かを提案するならば、「子どもが嫌がっていないか」「何かマイナスの反応をしていないか」と疑って見るようにしたいと思っています。
親は良かれと思って提案しています。だから、「子どもも楽しんでいるだろう」とつい思ってしまうのでしょう。実際、僕の母も公的なフリースクールに対しては「僕が楽しんでいるかどうか」といった疑いの目を持っていませんでした。僕が通っている、通えているということがゴールになってしまっていたからだと思います。(35ページ)
不登校の当事者だった僕が言うのもなんですが、学校に行けなくなるような子は不良ではなく、むしろ大人びたおとなしい子が多いです。親に気を遣える...きを遣ってしまう子や、感受性が豊かで親や先生の顔色、友達の様子など、自分以外のことに対するアンテナが敏感すぎる子が多いように感じています。敏感すぎて、それに疲れてしまうのではないでしょうか。(47ページ)
これらの経験から、現在行っている不登校支援でも、もしその子に好きなことがあるのであればどうすればその好きなことに取り組めるか、どうしたら好きなことをその子の近くに置いておけるかといったことを、親御さんと相談しながら一緒に考えています。
もし、今好きだと思うものがない場合は、それを探すためのいろいろな体験をさせてあげたい。親御さんにも「学校とは全く関係のない、いろいろな人と会える機会を作ってあげてほしい」とお願いしています。(62ページ)
このように、「不登校」と「引きこもり」は状況が違います。僕としては、不登校であっても引きこもっていない(親や大人を拒絶していない)のであれば、まだアプローチはしやすいのではないかと感じています。
ですから、子どもが「学校に行きたくない」と言い始めた時の、初期対応や相談相手は非常に重要です。(79ページ)
ですから親御さんは、どうか学校に戻すことを目標にするのではなく、その子が生きるエネルギーを取り戻せるような好きなことや楽しいことを見つけるお手伝いをしてあげてください。それが、学校や勉強に関係のないことだったとしても、好きなことを見つけると「その好きなことをするためにどうすればいいか」を子どもも真剣に考えます。
「プロ野球選手になりたい」と思って、中学校から復学した僕のように。(86ページ)
「中学校から学校に通おう」と思えた理由を自分なりに振り返って考えてみると、不登校の時期に「いろいろな人と出会ったこと」、そしてその結果「やりたいことや目標が見つかったこと」の2点が大きかったのだと感じています。
いろいろな人と会うことは、母も意図的に取り組んでいたわけではありませんし、僕自身も小学生だったので「この経験を生かそう」と思っていたわけではありません。でも、この経験が後に生きてきたのは強く感じています。
これらの経験がどのように僕に影響を及ぼしたか。
まず一つは、人と関わることが好きになりました。「人前に出るのが嫌」「人と関わることが苦手」と思いこんでいましたが、これらの経験から学校の外で個人的に人と関わることはとても好きなんだなと気付くことができました。
このことは、後に仕事を選ぶ時に「人と関わる仕事がしたい」と思うきっかけにもなっています。
もう一つは、いろいろな人と出会ったことで「こんな人になりたいな」と思う憧れがたくさんできたことです。僕の一番大きな夢はプロ野球選手になることでしたが、民間のフリースクールに通う中で、サポートしてくれるお兄さんたちと出会い、「このお兄さんみたいになりたい!」と思ったり、いろいろな職業の方にお会いする中で「こんなおじいさんになりたい!」と感じたりしたことが良かったのだと思います。(90-91ページ)
僕に限らず、学校に行けない子の多くが共依存症的な特徴があると感じています。誰かのために苦手なことを頑張って苦しくなってしまっている人が多いですね。
僕も含めてそういった子は、人にしてあげすぎる傾向がある。だから、意識的に「しないこと」を決めたり増やしたりする勇気を持つことが、自分の精神を保つポイントになるのではないかと思っています。
例えば、自分のために「学校に行かない」と決めることや「苦手な科目の勉強を少し減らす」ことなどもそれに当たるでしょう。
今、僕も意識的に「誰かのために」を減らしてみているところです。例えば、周りに10人いて、その10人に気を遣っていたことを7人に減らしてみる。試してみたら、ものすごく楽でした。だから、効果はあるのだと思います。(124ページ)
そうは言っても、親御さんは特に「わが子のために何かしてあげないと」と考えてしまうもの。しかし、「子どものため」だからと、自分のことをそっちのけで子どもに向き合って尽くすのではなく、お父さんやお母さん自身が趣味や勉強にすごく楽しんで取り組んでいる姿を見せるといったことも大事なのではないでしょうか。(126ページ)
また、学校が合う子。合わない子がいることや、障害がある子もいるということに気が付くだけでも選択肢は広がってくるはずです。
ですから親や先生は、自分の子どもや自分の受け持ちの生徒がそういう子だったとしたら、学校以外の居場所を見つけたり周囲の人と関係性を作ってあげたりするのも、大人としての役目なのではないかと思います。そうしてあげることで、学校に行けなくなった子どもも自分なりの生きる道や目的を見つけることができる。全然「終わった」なんてことにはならないのです。(164-165ページ)
大人になった今も苦しんでいる方や、これから社会に出ていく上でうまく馴染んでいけるだろうかと不安に思っている方がいるのであれば、ぜひ自分の性質や大事にしたい価値観、絶対に無理なことなどについて改めて考えてみてください。
新型コロナウイルス感染拡大以降、働き方の多様化は急激に進み、今まで以上に自由な生き方や働き方が広がっています。いわゆるサラリーマンとして会社に毎日通うような働き方ではない勤務方法もたくさん出てきました。
学校もそうです。N高のような自由度の高い通信制の学校も増えましたし、オンラインで学習できるコンテンツもたくさんあります。これまでのように、学校に通うことだけが学ぶ手立てではない。ですから、少しでも自分の性質や価値観に合うものを見つけることが、生きて行きやすくなる近道なのではないでしょうか。(175ページ)
Aさんの例から思うことは、自分にとって大事な人との関わりをしっかり大切にしてさえいれば、必要のない人との関わりは切っていっていいのではないかということです。これは、僕自身の経験からもそう思います。(197ページ)