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「日本人は「やめる練習」がたりてない」

「日本人は「やめる練習」がたりてない」(野本響子 集英社新書)

マレーシア在住の著者による、マレーシアでの子育てや生活を通して見た、日本社会における問題を指摘した本。非常に面白かった。東南アジアはいろいろ非効率だという偏見を持っていたが、「ハッピーじゃなければ居場所を変える」(68ページ)、「いろんなことをさせて、子供の反応をみる」(92ページ)、「自分で判断し、自分で責任を取る能力」(153ページ)など、冷静に考えれば当たり前のことを彼らはやっているのであろう。日本と違って、ある意味で気楽ではあるが、逆に自分の考えをきちんと説明したり、判断や責任が必要な世界であることがよくわかった。

 日本人が子供を作らないのは、経済的な理由によるものが大きいという。この当時(2006年)の日本は今よりずっと勢いがあり元気だったが、なぜマレーシアよりも経済的に豊かなのに「お金がなくて」子供を育てられないのだろうか?マレーシアでは、中間層ですら普通に子供をインターナショナル・スクールに入れたり、海外に留学させたりしているではないか。いったいこの差は何なのだろうか。(42ページ)

 長男が最初に学校に入って驚いたのは、クラスメートの年齢がまちまちだったことだ。長男(当時6歳)のクラスには、5歳で早めに入学した子もいれば、8歳の子もいた。親が子供の様子を見ながら、何年生から学校をスタートするかを決める。
 インターナショナル・スクールでは、学校によって学年の年齢が異なる。5歳を1年生とする学校もあれば、7歳が1年生のところもある。A学校で1年生の子が、B学校に行くと3年生になったりするし、新学期の開始時期も1月、4月、8月、9月といろいろだ。何歳だから何年生、というのが決まっていない。
 ただし進級条件はそれなりに厳しく、テストの点が悪いと、容赦なく留年となる。逆にできる子は飛び級できる。これは実に良いシステムだ。ゆっくり学習したい子、速く学習したい子、それぞれ個性を尊重できる。(67ページ)

 「ハッピーじゃなければ居場所を変える」という考え方は、とても気に入った。だから長男がまたまた「学校が楽しくなくなった」と言い出したとき、「ではどうする? 他の学校を見に行く?」と気軽に聞くことができた。彼が同意したので、近所にある学校を見学しに行った。そして試験を受けて転校することにした。
 学校を変えるからには、前の学校を辞めて友達と別れなくてはいけない。もしかしたら、新しい学校に馴染めないかもしれないし、転校を後悔するかもしれない。学校に行くのは子供であって、私ではないので、彼に決断しえtもらうことにした。
 長男が「学校を変わる」と言ったときも、周囲の反応は「ふーん、いいんじゃない?」という感じだった。マレーシア人のみならず、まわりの日本人も同様だった。(68ページ)

 一番戸惑ったのは、毎年同じクラブ活動を続けることが推奨されていないことだ。(74ページ)

 だから、「合わないな」と思ったら辞めるという選択肢はあった方がいいと思う。
 私の場合、今思えば小さいころの「挑戦」「挫折」の経験が少なすぎた。中学、高校、大学と、寄り道や途中で辞める経験もない。自分で「何かを選んで失敗する」という経験もほとんどしていない。「自分と向き合うこと」を小さいころに済ませておかなかったツケは大きかった。(86ページ)

 日本の学校は「辞める練習」は教えてくれない。では、教えていることは何かといえば、「我慢の練習」なのではないか。あるいは「自分がやりたくないこと」や「非効率なこと」に耐える練習だ。(92ページ)

 そういえば、私がマレーシアのビジネスマナー英語教室で習った「クレームメールの書き方」でも同じだった。中華系マレーシア人の講師によれば、クレームはできるだけスマートに入れなくてはならないそうだ。
・まず感謝を伝える
・怒っていることは伝えない。事実だけを伝える
 「怒りを見せてはいけません。クレームのメールを書く場合は、日頃の感謝をまず伝えること。そしてクレームは短く、事実だけを伝えること。でも一つ改善して欲しいところがあるとしたら、それはこういうことです、と遠回しに書きなさい」と指導していた。
 なるほど、これがマレーシア式なのかもしれない。あくまで相手に動いてもらうためには、怒りという道具を使わずに交渉しなさい、と華人の先生は教えてくれた。(125-126ページ)

 なまじっか「わかり合えるはず」「同じ日本人なら察してね」という期待が大きいものだから、相手がちょっとでも違うとイライラする。「以心伝心」は、おそらく幻想なのだ。だからマニュアルはどんどん分厚くなり、マナーのポスターや新しい礼儀作法が増えていく。ルールで人を縛るしかない。それならいっそのこと「私たちは絶対にわかり合えないんだ」と認めてしまったらいい。(138-139ページ)

 遠足の参加も任意であることが多い。危険だからやらせたくないと言う親は参加させない。こうやって親も子供も「選択する」という経験を積んでいく。
 マレーシア人は、政府や公的機関やマスコミを日本人ほど信用していない。必要があれば、国も変える、という人も少なくないのだ。(151ページ)

 教育のゴールが自立だとすれば、自立とは、自分の人生を自分で決めて進むことではないか。もちろん、自分にあった職業を見つけスペシャリストになれたらラッキーだが、常に時代がそれを要請するとも限らない。別にサラリーマンや公務員になって配属通りの仕事をする、親の職業を継ぐ、結婚して家庭をサポートする、でもいいだろう。
 大事なのは、一度は「自分で決めて、自分で選択する」ということだと思う。その上でなら、「選択を会社(家族)に委ねる」という生き方をするのもアリかもしれない。そして、最も重要なのは、その選択が間違っていたときに、誰かのせいにせずに、自分で軌道修正し、選択し直すことだ。それができないと、ずっとある場所にとどまって愚痴を言い続ける人生となる。(158ページ)

 そういえば、長男が日本の公立小学校からマレーシアのインターナショナル・スクールに来て「初めて作文で本音を書けるようになった」と言っていた。日本で「運動会はつまらなかった」とは書きにくい。「準備した人の気持ちをちゃんと考えて」などと怒られてしまったりするからだ。ところがイギリス式の学校では「つまらなかった」が許される。その代わり「どうしてつまらないと思ったのか、相手を説得できるように文章を組み立ててください」と先生に指導されるそうだ。(163-164ページ)

 私が子育ての初期に思ったことは、「日本の学校以外にも世界があることを早めに見せておきたい」ということだった。今いる学校、今いる世界が唯一のものだと信じ込み、絶望してしまった子供たちを何人か見てきた。複数言語を話し、日本を含め、世界中の学校を選択肢として考えられるようになれば、世界は大きく広がるだろう。日本人のみならず、世界中に友達がいれば、日本語の世界で嫌われることを、必要以上に恐れなくても良くなるはずだ。
 Aの世界がダメならBの世界、というように、世界を渡り歩くことができれば、自由度と選択肢は大きく広がる。仕事もそうで、一つの会社にこだわらず、もう一つの選択肢を持てば、ブラック企業やマウンティングに耐えられなくなったときに「辞める」選択肢が取れる。我慢するか、辞めるか、その選択肢があるだけでも、心の持ちようは変わってくるのではないだろうか。(169ページ)

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