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不思議な世界

結婚するまで、スピ系の世界に興味はなかった。潜在意識や引き寄せ、風の時代と言われてもなと。どれも大抵同じことを言っていると思っていました。それは今も変わらない。それでも往々にして、そういう人たちは結構お金もあって、楽しそうにしていると見える?見せている?ようです。
建築の世界はだいぶ落ち着いているのか、かつて巨匠たちがまだわかった頃、オリンピックや万博で新陳代謝だとか新しい時代を求めてあらあらしく活動していた。当時の生活はといえば、極貧の中でも諦めないで、チャンスを待つみたいな本が残っていて、学生の時に読んだ時はこの先大丈夫かなという気持ちと、高揚感が同居したなんとも困った精神状態だった。結局はどっちつかずで、今日まで至る。今はもうかなりの高齢になっているが、現役で活動している人たちはかつては、施主や行政を言いくるめて自分の目指す建築を生み出していく。世界中から羨ましがられる建築家が物凄い数いる国になった。壊しては作る、巨匠が作った傑作さえも容赦はしない。物凄いお金が動くので土建屋はいい車に乗るようになっているようです。イケイケどんどんでよかったのだ。
自分は建築家なのか?といつも思うが周りはそう思っているらしい。その周囲との認識の違いが面白い。自分は目指していた建築家になれていないというのに。
2020年くらいから廃墟を改修することが二度ほどあった。お金と手間を掛ければ蘇っていく建物を見て、やりがいを感じている。と同時にその昭和の頃の時代がよかったとはどうしても思えないが、若い建築家に土地とお金を出すパトロンという人たちもいなくなってはいないようです。
失敗ばかりしているので、感覚が麻痺しているのかもしれないが、なんでも一発で終わらせようとしすぎなのでは?と思う。今も確認申請をすでにしている物件に対して、追っかけ別の内容で確認申請を出すというおかしなことになっているところがある。取り下げもこちらでやると一旦は話したんですが、ちょっと待って、そのまま出してくださいという。手続きや役所とのやりとりもなんだかおかしくなってないかと。いっときに比べれば、私が建築家と認識されているくらいだから、スキルレベルは総じて低くなっているのか、意識が低いのか熱意を失ってしまったのかもしれない。
旅に出て新しい街や、村、都市に出くわすと気持ちが昂ってズンズン歩くことがある。そこにいるだけで元気になる空気感がある。目に見えない世界の話だ。スピ系の人たちにも何か言われてしまいそうだが、そこにいるだけで気持ちが昂るなんて、それこそ、私の方が頭がおかしいと。廃墟であってもそういうところはあって本当に人が作った建築は面白い。出来上がるまでも物語があるし、作っている最中なんてのは尚更だ。完成したら住まう人たちがゆっくりと時間を過ごしてほしい。
本当に地味なことの繰り返しで膨大な雑務に忙殺されてしまう。事務仕事を楽しめるようになれば一皮剥けるのかとも。どうしても華々しいパースや立面図のかっこよさなんてものもありますが、その裏に事務作業が隠れている。役所に行ったり、申請したり。大抵作りたいものは、なかなか難しいものだ。

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