見出し画像

自作の受像機 (テレビ) で試験電波を受信 〜 トランジスタ開発の進歩で実現したマイクロテレビ 『TV-8-301』

『ソニー技術の秘密』にまつわる話 (26)

ソニーの一時代を築いたテレビといえば、まず1967年に誕生した『トリニトロン(Trinitron) 』。そしてその30年後には『WEGA (ベガ)』の愛称で販売された平面ブラウン管『FDトリニトロン』などがありました。

現在も大きなシェアを持つ、ソニーのテレビ製品開発のスタートは、東京通信工業 (現 ソニー、以下 東通工) の技術者・木原信敏の手による自作の受像機 (テレビ) がきっかけでした。

1950 (昭和25)年頃、NHKでは、東京・世田谷の「砧NHK放送技術研究所」の中に実験局を設置し、1953 (昭和28)年2月の本放送開始に向けてテレビジョンの試験電波を発射し、週1回、1日3時間の定期実験放送を開始していました。

その頃木原は、秋葉原で見つけたオシロスコープ用の中古のブラウン管を初め、中間周波数を調整するための自作の測定器まで自宅に揃えており、仕事の合間にこの試験電波を受信する真空管受像機 (テレビ) を自作します。

画像4

当時の専門誌『無線と実験』『ラジオ技術』といった雑誌には、テレビの技術的な回路の解説などが掲載されており、これを参考に組み立てていたのです。

1950 (昭和25)年11月18日に、木原は自作の真空管受像機 (テレビ) で試験電波の受信に見事成功。

その時受信したのは、日本動画社が製作したミュージカル風アニメ『小人と青虫』で、毎週テスト放送が繰り返され、放映後には偏向歪みを測定するパターンが表示され「どれが正しい円形であるか?」などのクイズが放送されていました。

画像5

この自作テレビを会社に持ち込んで東通工 (現 ソニー) 創業者井深大、盛田昭夫に披露すると、

「これ君がひとりで作ったの?
測定器も自作して調整したの?」
「電波を受信して見たテレビは初めてだよ」

と驚かれると共に、井深大はこれをきっかけにテレビ事業への進出を決断し、研究開発用にアメリカから17㌅のブラウン管や、電磁偏向の受像機 (テレビ) のサンプルを手に入れるなどしていました。

しかし、当時の東通工では、ほかの電機メーカーがテレビの研究を進めて量産を始めても、テレビにはそれほど積極的ではありませんでした。
関心がなかったと言うよりも、間もなく始まる『トランジスタ』の研究に全精力を注いでいたためだったのです。

木原も井深大の指示により、独自で『トランジスタ』応用製品の研究を行っており、この間に「振り子時計」や「トランジスタモーター」、写真用の「ストロボ・フラッシュ」のトランジスタ化、さらにはNゲージをさらに精巧にした「鉄道模型」から、三越デパートで行われる展示会用に「遊園地の自動操縦車」、太陽電池で動く「模型の航空母艦」など、トランジスタを活用できるあらゆるものに手を出して、開発研究に明け暮れていました。

画像4

この時期にはさらに、世界初となるトランジスタ式のマガジンテープレコーダー『ベビーコーダー』を完成させ、日本初のトランジスタラジオ「TR-55」も手掛けており多忙な時期でもあったのです。

そして自作の真空管受像機 (テレビ) を完成してから6年後、1956 (昭和31)年の暮れ、『トランジスタ』応用製品の開発テーマをすべて終了し、製造部隊に引き渡した木原は改めて、

「テレビの開発をやらせてほしい」

と願い出て、白黒テレビのトランジスタ化、小型化に取り掛かかります。

真空管受像機 (テレビ) については自作もでき熟知していたことから、それを部分的にトランジスタに置き換えれば良いだろうと考え、回路を組み試作を始めますが、当時東通工で開発中だったトランジスタでは、8㌅程度のブラウン管を想定した水平垂直偏向回路でのパワートランジスタの耐圧が足りておらず、必要な電流を流すと耐えきれず壊れてしまうことに。

また映像信号の増幅も同様に高電圧に出力が必須でしたが、耐圧が足りず、こちらは2個のトランジスタを使用し、一つは制御格子(グリッド)に、もう一つは陰極 (カソード)と振り分けることで対処します。

木原はこの間に、テレビチューナーだけは真空管を使うことにし、あとはハイブリッド回路ではあるものの、トランジスタテレビがある程度まで作れることが実証できたことで目的を達し、そのデータを残し開発を終了、新たなトランジスタの開発を待つことにしたのです。

その後、1959 (昭和34)年に、岩間和夫 (第4代ソニー社長) 率いる「トランジスタ開発部門」によるトランジスタ研究開発が進み、テレビチューナー用に4チャンネルから12チャンネルまで受像可能となる、高耐圧・高周波のトランジスタが完成。

木原はこの時既にVTRの開発へと進んでおり、テレビジョンの専門家だった島田聡のグループによって、このトランジスタテレビの開発は引き継がれ、ソニーのテレビ第1号となるポータブル8㌅の世界初直視型オールトランジスタテレビ (白黒)『TV8-301』は完成されることになります。

画像3

1960 (昭和35)年1月11日に東京・日本橋の三越デパートで開催された展示発表会でお披露目され、5月に69,800円で発売、トランジスタテレビ時代に先鞭をつけたのでした。

文:黒川 (FieldArchive)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?