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足踏みを余儀なくされた "時期尚早?" なVTR開発 〜 日本初のVTR試作実験

『ソニー技術の秘密』にまつわる話 (25)

1950 (昭和25) 年頃、NHKではテレビジョンの研究が進められており、定期実験放送として試験電波が発射され、国内の愛好家たちは自作のテレビを作り、この試験電波を受信して楽しんでいました。

国産初のテープレコーダーを完成させた、東通工 (現ソニー)の技術者・木原信敏もその一人でした。

そんな木原が、VTRの開発を思い立ったとしても、不思議なことではありませんでした。

テープで音が記録できるんだから、
映像だって記録できないことはあるまい

木原はこう考え、磁気テープの上に映像を記録する「ビデオレコーダー」の研究をスタートします。

しかし、「ビデオレコーダー」を開発するには、まず信号源が必要でしたが、何しろNHKのテレビ放送開始はまだ2年も先のこと「ビデオ信号発生機」などどこにもなく、最低限、放送局と同じ同期盤とカメラが必要でした。

そのことを井深大に伝えると、

「君、浜松工専(新制・静岡大学工学部)でビディコンという撮像管を研究しているそうだから、見に行こうじゃないか」

ビディコン (vidicon)とは「撮像管」のことで、被写体の像を電気信号に変換 するための電子管で、ビデオレコーダー開発には欠かせない技術でした。
井深大 は、木原と入社間もない 大越明男 (おおごし あきお、後のトリニトロンカラーテレビ開発担当者) をつれ浜松に向かい、二人はそこでビディコンに関する技術を教わり、その時分けてもらったビディコンチューブを使い、大越明男がビディコン作りを担当し、木原はまず「信号源」として撮影用のビディコンカメラの制作を始めます。

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さて、信号源については同期版の作製から始めなければならず、木原は真空管を100本以上使用した同期信号発生機を一人で組み上げ、内外の文献を読み漁りモニターブラウン管つきのビディコンカメラを制作。テープは普通のオーディオ用の1/4㌅幅のテープを使いました。

今日では、ICチップと小型水晶で楽々と作り出されている同期信号発生機と原理は同じですが、当時では馴染みのないデジタルコンピュータ並みの回路を、真空管を一〇〇本以上使用して作ったのです。
 今、当時を思い出してみますと、よくも一人でフリップフロップ回路を並べて、英語の本の回路と首っ引きでディレイラインの動作を解明しながら、自作したオシロスコープでパルス幅の遅延時間を計り、調整して作り上げたものだと思います。いまさらながらよくやったなあと自分でも感心している次第です。


ソニー技術の秘密』第3章より

1953 (昭和28) 年10月、
約2年の期間をかけて最初の実験用VTRを完成させ、木原はファンだったイギリス出身の女優エリザベス・テイラーのカレンダーを壁にかけ、自作のビディコンカメラで1分ほど写し、その信号をテープに記録して再生。

結果はノイズが酷く、姿形もまあなんとか確認できる程度、決して満足できる画質ではなかったものの、自作の固定ヘッドVTRで録画・再生 (白黒) に成功。木原はこれでビデオ記録の可能性が確かめられたとして、さらに高性能化を進めるために補助金申請の書類を提出します。

1954 (昭和29) 年2月、
「テレビジョン映像信号の磁気的記録再生装置の試作研究」に関し通産省の補助金290万円の交付申請。研究目標は、

現在東通工では磁気記録テープレコーダーを生産販売をしており、その技術を用いて将来必要になるテレビジョンの録画を、磁気記録によって現在のフィルム録画に代わる性能のよい録画システムを完成させたいと考えている

とし、それを実現するための方法としていくつかの具体案を含めて、補助金の交付を申請しますが、

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1954 (昭和29) 年5月、
通産省への補助金申請が「時期尚早」と判断されてしまい却下。

膨大な資金と多くの人材が必要という壁の前に、VTR研究は一時中断となってしまいます。つまり、発想が時代の先を行き過ぎていたのです。

これらの申請書に示したビデオ記録の考え方は、数年後にアメリカのアンペックス社が商品化した回転四ヘッドの方式と同じでした。我々がビデオ記録の開発をあのとき継続していたなら、あるいは「最初のビデオ開発」のタイトルが取れていたかもしれません。まことに残念でした。

ソニー技術の秘密』第3章より

しかし、一時棚上げとなったものの、この時の研究開発が無駄に終わったわけではありませんでした。後にソニーがコンシューマー向けのVTRを世界で初めて商品化できたのも、この時の経験が大きな基盤となっているのです。

さらに、後にソニーが世界で2億8,000万台を販売する「トリニトロン (Trinitron) 」開発は、この時期木原と共に大越明男が行っていた、ビディコンの電子管開発の基礎実験から既にスタートしていたのです。

文:黒川 (FieldArchive)


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