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ソニーフロンティア精神の象徴〜「モルモットの精神」を持つ「金の卵を産むニワトリ」が産んだ 『ビデオムービー』
『ソニー技術の秘密』にまつわる話 (43)
1958年 (昭和33) 年8月17日の『週刊朝日』に、ソニーの後から出発したが、今ではトップのトランジスタメーカーとなっていると、東芝のトランジスタ工場を紹介する際、
「なんのことはない、ソニーは東芝のためにモルモット的役割を果たしたことになる」
『週刊朝日』1958年 (昭和33) 年8月17日号より
と、「初めてトランジスタをラジオに使用する冒険、それに伴う犠牲はソニーに任せて、成果の方は大資本の方で頂戴する」という意味合いの、皮肉めいた文書が掲載されます。
この記事を書いたのはノンフィクション作家で評論家の大宅 壮一 (おおや そういち、1900 - 1970)。
当時『週刊朝日』の人気コラムだった『日本の企業』でのことで、「東芝 - バランスのとれた総合メーカー」と題し、当初はトラジスタのトップメーカーであったソニーを抜いて、東芝のトランジスタ生産高がソニーの2倍半近くに達しているという内容でした。
この一年前の1957年 (昭和32) 年には、同コラムで東京通信工業 (現ソニー、以下東通工)が取り上げられ、
国際市場においてもこの (トランジスタ) 部門は高級カメラやレンズにつぐもので、いわば頭脳と技術をカン詰にして売るという点において、日本の企業界にもほのかながらも、暁の光を射しこませたといえるだろう。
『実業と虚像 6 企業編』東通工 (自信満々の"戦術派") より
と高い評価を受けていたこともあり、当時の社内ではこのコラムの内容に不満を感じていた社員も多かったようです。
しかし、ソニーの創業者の一人・井深大はこれを自己流に解釈。
モルモットで結構です。
と開き直り、実験動物としてのモルモットになることを「開拓者」であり、「先駆者」であると解釈し、
これこそが「ソニーのフロンティア精神」
であると提言したのです。
元々、テープレコーダー開発やトランジスタ開発など、創立以来開拓者精神で画期的な製品を世に送り出してきたソニーであり、井深大のこの発言はソニー全体を新たに奮い起こす刺激剤になったのでした。
そしてここにもう一匹の動物が登場します。それは、
金の卵を産むニワトリ
です。
1964年 (昭和39) 年2月、
東通工の時代からまさに開拓者精神で、日本初のテープレコーダー開発をはじめ、多くの日本初、世界初の製品開発に携わってきたソニーの技術者・木原信敏は、当時常務の樋口晃 (後のソニー副社長)夫妻の媒酌により、帝国ホテルで後藤禎子との結婚式を迎えます。
この時の披露宴の様子を、当時の部下たちがテープレコーダーで記録した音源が残されており、井深大 の祝辞では、
" 木原君がいちばん最初に手がけた大仕事は、テープレコーダーのテープでした。フライパンでカレー粉を妙るような格好をして、なんとかテープの粉をでっちあげたのでした。その次に、ほとんど一人でテープレコーダーの機械を作り上げました。小型の機械がほしいということで、ゼンマイを手で巻いて動かすデンスケを作り上げたのも木原君でした。しばらくして、トランジスタを使って、今のトランジスタ・テレビの前身であるテレビの試作をしてくれました。昭和三一年ごろでしたか、そのときにもうトランジスタ・テレビの原型を作ってくれたのでした。
今やってくれている仕事はVTRの開発で、すでに六〇台ほどはアメリカにも輸出されて活躍しております。今日この会場で皆様が八ミリ撮影をしておられますが、我々の夢は、このように簡単な、どこの家庭でも買えるようなVTRを供給したいと思っています。これを木原君に開発してもらいたいのです。この夢はできるだけ早く果たしてもらいたいと思って、毎日木原君の職場に顔を出さない日はないぐらい行っているわけなんです "
『ソニー技術の秘密』第4章より
と語り、最後に結びの言葉として、
「木原君は会社にとって金の卵を生むニワトリです」
と付け加えたのです。
自身も技術屋であった井深大は、『イソップ童話』のように「金の卵を生むニワトリ」である技術者を飼い殺すことなく大切に育て続け、ソニーはその後も多くの優秀な技術者を見出し、
「モルモットの精神」を持つ「金の卵を産むニワトリ」
である優秀な技術者たちの手により、世界に通用する製品の数々を世に送り出したのでした。
" 誰が上司と言われる人なのでしょうか。それは井深さんのような人です。井深さんは、誰に対しても深い理解を持っています。特に、技術屋の心をよく知っています。
私は井深さんから命令を受けたことがありません。その代わり、たくさんの目標を与えてくれました。命令とは一方的な指示であり、盲目的に従えばよいだけで、従わなければ評価が下がるかクビでしょう。
しかし本当の技術屋は、目標さえ与えられれば喜んで自由な発想で新天地を開こうとします。本当の技術屋は命令ではなく、目標を求めているのです。
技術屋は、自分の仕事に全力を傾注して目標を達成しようとして努力していることを忘れないでほしいものです。井深さんはその点はよく知っていて、技術屋が精根込めて創り出したものに対して、心から喜んでくれます。"
『ソニー技術の秘密』第5章より
木原にとってこの鋭い先見性と開拓者精神を持った井深大は、まさに理想の上司そのものでした。
その上司の井深大から、結婚式の祝辞で「金の卵を産むニワトリ」に与えられた新たな目標は、その約15年後の1980 (昭和55) 年に、CCDカラーカメラと超小型ビデオ・カセットレコーダーを一つにまとめた『ビデオムービー』として試作され、約20年後の1985 (昭和60) 年1月に、統一規格の8mmビデオテープに記録するカメラ一体ビデオカメラの第1号機『CCD-V8』として発売されるのでした。
文:黒川 (FieldArchive)