NHK『私の秘密』に出演、回答者を悩ませた音響学会の常識を破る不思議な耳
「ソニー技術の秘密」にまつわる話 (33)
国産初のテープレコーダー『G型』の開発をはじめ、ステレオ音響の実験、そして日本初のトランジスタラジオ『TR-55』の開発と、東京通信工業 (現 ソニー、以下 東通工) で様々な研究開発を続けていた技術者・木原信敏は、実は変わった耳の持ち主でした。
1955 (昭和30) 12月6日、木原の聴覚が、
「音響学会の常識を破る不思議な耳」
として、産経時事新聞夕刊に掲載されます。
これは、木原の聴覚が通常の普通の人とは異なり、超音波領域にあたる周波数の音を聞き分けられていたという内容でした。
1955 (昭和30) 年11月頃、
東通工社内でいつもの開発作業を行なっていると、テレビの受信機からキーンと鳴る音に気付きます。どうもこれがテレビ受信機の高圧発生用のフライバックトランスから聞こえてくるようでした。
木原がその音を調べてみると、超音波領域である15.75キロヘルツの水平同期の周波数が、テレビ受信機の高圧発生用のフライバックトランスから聞こえる音だと判明。
ところが、この15.75キロヘルツの水平同期の周波数は、通常超音波領域にあり、普通の人には聞こえない音域だったのです。
気になった木原は、オシレーター (発振回路)を使用し、イヤホンを何種類か用意し自身でテストしてみることに。
と、その様子を目にした井深大は、それならばと、当時 田口心理物理学研究所 所長を務めていた音響工学者・田口泖三郎 (たぐち りゅうざぶろう、1903-1971) に連絡をとり、木原の耳の測定を依頼します。
田口泖三郎 は、音響工学者として理化学研究所に入り、音声分析法、音響再生技術を研究、色彩、音声、映画、写真と多様な分野で研究を続けた音響工学の大家でした。
東通工社内の試聴室で厳密な測定が行われ、右耳29キロヘルツ、左耳28キロヘルツまで完全に聞こえるという判定結果に。
これを聞いた 井深大 は、
“「周波数特性ばかり真直にしても、とんでもない悪い音が出ている今日のハイファイ時代に、本当によい音のわかる人がうんとたくさん出て、巷に横行しているエセ・ハイファイが自然に追放されることが望ましいが、それには木原君のように、あんな高いところの音の音質をはっきり判断できる技術者や愛好家の力に待たなければなるまい」”
『ソニー技術の秘密』第3章より
とコメントしています。
その後、木原はNHKの人気番組『私の秘密』に出演し、
「私は超音波が聞こえます」
という秘密の問題で出演者たちを驚かせました。
『私の秘密』は、司会の高橋圭三アナウンサーによる決め台詞、
「事実は小説より奇なりと申しまして、世の中にはいろいろと変わっためずらしい、貴重な経験をお持ちのかたが多いものでございます」
という挨拶から始まり、日本全国または海外から珍しい体験や才能を持った一般人が次々に登場し、解答者たちがその「秘密」を当てるというテレビ創生期のバラエティー番組として、1955(昭和30)年から12年間もの間放送されてきた人気番組でした。
" その後NHKの人気番組だった、高橋圭三アナウンサー司会の『私の秘密』に出演させられました。
「私は超音波が聞こえます」という秘密の問題でした。
レギュラー解答者には、石黒敬七さん、藤原あきさんらがいましたが、とても難しかったとみえて、とうとう正解は出ませんでした。
最後に種明かしとして、オシレーターとスピーカーを乗せた台がステージに出てきて、レシーバーから流れる音を聴きながら私が「聞こえます。聞こえます。聞こえません」と言ったところで、メーターの針がピタリと二八キロヘルツを指していました。"
『ソニー技術の秘密』第3章より
文:黒川 (FieldArchive)