見出し画像

ソニーの伝統となった、伝説の合同設計会議 〜 『H型』テープレコーダー試作機

ソニー技術の秘密にまつわる話 (12)

「日本初のテープレコーダーができたのだから、
飛ぶように売れるに違いない」

1950 (昭和25) 年5月、ソニー創業者の井深大、盛田昭夫 はじめ、東京通信工業 (現ソニーの前身、以下 東通工) の皆が国産初となるテープレコーダー『G型』の完成を喜んだのも束の間、いざ販売を始めてみると、目算とは大違い、「面白い、便利だ」とみな驚き、一様に注目するものの、誰も「買おう」とは言ってくれない苦境に立たされてしまいます。

販売に苦戦する『G型』のお話はこちら↓

技術的興味から「面白い」「新しいものだ」「売れる」と思っていても、何せ日本で初めての機械。誰もその使い方が分からないので、消費者はなかなか手を出しづらい。価格も16万8千円と高額。重さは約40㌔。この値段と大きさの問題には木原も開発中より気付いていて、『G型』開発と同時期に改良を着々と進めていました。

『H型』テープレコーダーの開発がスタート

1950(昭和25)年7月、
『G型』テープレコーダーが製造部隊へと引き継がれ、いよいよ量産販売が開始されようとしている中、ソニー創業者の一人・井深大からの、

「G型のように、あんな大きなものではいかん。
もっとポータブルなものを作ればもっと売れるよ」

という指示により、入社3年目を迎えた技術者・木原信敏が『G型』開発と同時期に進め試作止まりとなっていた『A型』テープレコーダーに、さらに改良を加えていた組立図を基にした『H型』テープレコーダーの開発がスタートします。

『A型』テープレコーダーのお話はこちら↓
G型が製造に引き継がれ、私は忙しい仕事から解放されてホッとする間もなく、井深さんから「G型のように、あんな大きなものではいかん。もっとポータブルなものを作ればもっと売れるよ」との言葉で、「よし、新しい機械を作るか」と、早速考えをまとめはじめました。
 七月末の蒸し暑い夜のことでした。床に入り、機械のことを考えはじめますと、次から次へと新しい発想が浮かび、レバーの動作、ブレーキの操作との連結運動など、あらゆる部分の設計図がまぶたの裏に描き出され、これなら完壁に動くぞ、と喜んで起き上がったときは、すでに白々と夜が明けていました。頭のなかの設計図が消えないうちに描き上げようと、朝早く会社に行き、その日のうちに組み立て図を描いてしまいました。なんでも興が乗ると、時間も忘れて一気にやってしまう性分なのです。

ソニー技術の秘密』第2章より

1950(昭和25)年8月、
国産初となるテープレコーダー『G型』の一般販売が開始される頃、木原の手による『A型』テープレコーダーの基本設計を引き継いだ『H型』テープレコーダーの試作機2台が完成。

熱海の缶詰め

木原が組み立てた2台の完成された機器は、急ピッチで用意されたこともあり不完全な状態ではありましたが、この試作機を見た 井深大は、

「もっと完全なモノが欲しいね」

ということで、最短時間で『H型』テープレコーダーの試作機を製品化するために、ソニー創業者の一人・盛田昭夫 の提案で、熱海に近い来宮の別荘によりすぐりの技術者を集めて「合同設計会議」が開催されることになります。

熱海の温泉旅館なら電話や来客による邪魔もない。
スタッフみんなが集まれば、集中して仕事ができるので、短期間で開発ができるし、疲れても温泉で癒せる。一石三鳥、四烏ではないかというわけでした。

井深大、盛田昭夫 の監督の元、 北条司朗、木原信敏、関根、稲賀克 の設計者、資材購買の 竹内ら、選び抜かれた気鋭の技術者たちが一週間程「熱海の缶詰め」状態になり、『H型』テープレコーダー製品化に必要な製造用設計図面は完成されたのです。

画像1

この図面を基に、『G型』テープレコーダーの開発で獲得したノウハウを全て注入し、1950 (昭和25)年11月、新しい構想による機構部を持つ『H型』テープレコーダーは完成します。

インダストリアル・デザインを採用

『A型』テープレコーダーを原型として開発された『H型』テープレコーダーは、家庭への普及を目的に、家庭 (Home) の頭文字から『H型』と命名され、まず試作品として30台を製造。

1950 (昭和25)年12月、インダストリアル・デザインを採用したカバン型を、見本生産として50台が制作されました。

柳宗理氏によるデザインで、スタイリッシュな機器に完成する『H型』のお話はこちら↓

盛田昭夫は実に先見性に富んでいた方で、この

「結論が出るまで開発者を徹底的に缶詰めにする」

という「熱海の缶詰め」にしても、当時ではかなり画期的とも云える奇抜なアイデアで、ソニーでは茅ヶ崎の保養所などを利用して、その手法は長く受け継がれ、数多くの新製品を世に送り出していたそうです。

文:黒川 (FieldArchive)


いいなと思ったら応援しよう!