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画面をトランジスタで美しく映し出す完全な商品化を目指す! 〜 世界初オールトランジスタ化工業用VTR 『SV-201』 完成

「ソニー技術の秘密」にまつわる話 (36)

1960 (昭和35) 年12月、
ソニー技術力の結晶ともいえる、全て自社生産による、完全なトランジスタ化を実現した、世界初、世界最小のオールトランジスタVTR『SV-201』が、ソニーの技術者・木原信敏率いる研究開発チームの手により完成します。

これは、VTR小型化の第一段階完成形というもので、使用されたトランジスタは96個、ダイオードは35個。固定2ヘッド、ヘリカルスキャン、2㌅テープ、重さ200kg。

従来の放送局用アンペックス方式による、箪笥三棹ほどの巨大な『国産第1号機VTR』と比較すると約1/10のサイズの小型化に成功。

そして、これまでの4ヘッドVTR特有の問題でもあった「電磁変換特性の無駄による画像の乱れ」も改善され、ソニーの岩間和夫 (第4代ソニー社長) 率いるトランジスタ研究開発チームの手により、大きく進化し性能を向上した『トランジスタ』を使用することで、その画質も大幅に向上されていました。

さらには、特定の専門家のみが操作できるものではなく、一般の人が使用する場合の「操作が簡単」であること、メンテナンスにおける「保守が容易」であること、装置としての「充分な安定度」を保つこと、さらには、ソニー機器の特徴である、機械としての「美しさを備える」ためのデザインであることを全て実装し、ソニー独自の製品としての価値をさらに高めることに成功。

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これを見た井深さんは、直ちにこう言いました。
「ソニーはこれでいこうや。他社は放送用VTRを目指して競争しているし、放送局は世界中でもそんなに数が多くないからマーケットは小さい。これからは、工業用や家庭用としてVTRのマーケットは広がるから、もっと小型のVTRを開発してくれよ」
 さらに、
「放送用の機械は高性能で高価だが、作るのはやさしいと思う。だが家庭用は、性能は同じであっても、安価で小型でなければならないのだから、 そこには、 なおいっそうの知恵とチャレンジ精神が必要になってくるだろう。だからこそ、家庭用VTRをソニーは目標にするべきです」
 と。この基本的な考え方とチャレンジ精神が、この後のソニースピリッツとして引き継がれていくことになったのではないでしょうか。
 人真似をしないで新しい世界を広げ、世界中の皆に喜んでもらえる家庭用の電気製品を作り、新しいマーケットを開拓してきたソニーの原点がここにあったのです。


ソニー技術の秘密』第3章より

『国産第1号機VTR』の開発では叶わなかった、真空管とトランジスタの混用による、VTRを全トランジスタ化するにあたっては、経営者でもあり自身も優秀な技術者であった井深大も開発に参加し、関わった技術者たちは夜の更けるのも忘れ、木原と共に研究を続けるという熱の入れ方でした。

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『SV-201』は、トランジスタ研究開発チームとの細かな調整を行い、トランジスタの性能をVTRに適した性能に少しずつ変えながら、また使用するビデオテープに最適な機械部品を作るため、VTR開発に携わった研究チームが一丸となって

「画面をトランジスタで美しく映し出す完全な商品化」

にむけて励んだ結果でもありました。

製品としての販売は行われず、未発売ではありましたが、1961 (昭和36) 年3月に開催された、ニューヨークのアストリヤホテルでのIRE (現IEEE) ショー (全米ラジオ電子ショー) に、ソニーの最新商品と共に出品されます。

"IREショーのセットアップとSV機の調整も完了し、盛田君と交代で機械のデモを行いましたが、黒山の人だかりになり、こちらがびっくりしてしまいました。SONYが珍しいのか、展示品に興昧があるのか、前を通る人は、「SONYだ。ここがSONYだ」と言いながら近づいてきて、熱心に展示を見ていくのでした。"

ソニー技術の秘密』第4章より

展示会場の一角に用意されたソニーの展示ブースには、このVTRの噂を聞き付けた多くの来場者がひっきりなしに集まる黒山の人だかりとなり、木原自身も驚くほどの大盛況を迎えます。

一時は開発を断念し、足踏みを余儀なくされた木原のVTR開発は、その企図から10年の歳月を経て『SV-201』という形で達成され、その大きな反響と共にソニーのVTR技術は世界的に認められることになり、その後のビデオ機器設計の原型として、その礎を刻んだのです。

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文:黒川 (FieldArchive)


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