家庭用機器から誕生し、放送業界などの業務用機器として活躍! 〜 世界初のカセット式VTR 『U-matic』
『ソニー技術の秘密』にまつわる話 (44)
1969 (昭和44) 年10月、
ソニーの技術者・木原信敏は世界初となるVTRのカセット化に成功し、マガジン式家庭用VTR『マガジンカラービデオコーダー』として完成。
このカセット式VTRの性能を、さらに向上することを目標にした、新しいタイプのVTRが誕生します。
量産体制の整った酸化クロムテープを採用し、木原はその記録性能を最大限活用するための回路の研究と、テープの使用量を最小にし、性能を維持するためのヘッドを改良。トラッキング性能を向上させるための機械加工方法を全面的に改良し「テープの高密度化」に対応。
これにより、当時の放送を記録再生してもほとんど画質の劣化が認められな高画質対応のVTRとなったのです。
これが、木原が考案した「U-ローディング方式」を採用したカセット・ビデオ・プレーヤーで、後に電子機械工業会の推薦規格になる「U規格」の原型となる、世界初のカセット式VTR『U-matic』として完成、当時はまだ『ソニーカラービデオプレーヤー』と呼ばれていました。
1969 (昭和44) 年12月にソニーは、この『ソニーカラービデオプレーヤー』の技術仕様と実験データなどを公開し、松下電気と日本ビクターに
ビデオ・カセットの規格統一をするべきである
と働きかけ、1年の長い月日をかけ、
1970 (昭和45) 年3月、ソニー、松下電気、日本ビクターを含む国内外の8社による、世界初のカセットビデオ規格「U規格」が合意されることになり、VTRはカセットの時代を迎えることになります。
1970 (昭和45) 年10月、ソニーは日本での製品発表を行い、続く11月にはアメリカで発表され、大きな反響を呼びます。
また、ビデオは工業用にも家庭用においても、大量のソフトの利用と販売が必要になるとの予測から、高性能なマスターVTRとそのソフトを複製するダビングシステムを盛り込んだ『ソニーカラービデオカセット総合システム』を1971 (昭和46) 年3月に発表。
盛田昭夫は、
このシステムによって、家庭用のカラービデオの時代が始まる。
今年はビデオ元年である
と、宣言。
このシステムを全米の大都市を中心に配置し、ソフトのダビングサービスを展開すると共にサポート窓口を設置するようにもなったのです。
いわゆるレンタルビデオの始まりでもありました。
“ 特にアメリカでは主に企業用に使用され、四七年二月にはコカ・コーラ社が、社員教育用マルチ・メディアの新学習システムにソニーのビデオ・カセットを全米二〇〇ヵ所に設置するため、二〇〇万ドルの投資をすると発表しました。同年四月にはアメリカIBM社から、マーケティング及びマネージメント用にビデオカセット三〇〇台の大量注文を受けました。さらに同年八月には、フォード社からビデオ・カセットプレーヤーとテープ六万巻の大量発注の契約を結びました。
順調にマーケットが拡大していったのは、カセットになったことで誰にでも簡単に使うことができるようになったためでした。またビデオの、教育用途、販売宣伝用途に優れていることが認識されてきた時代であったことも要因となったと思います。”
『ソニー技術の秘密』第4章より
1971 (昭和46) 年9月に、3/4㌅幅のテープを使用しカラーで最大90分の再生に対応した、世界初のU-matic方式カラービデオカセットプレーヤー (再生専用) 『VP-1100』を238,000円で発売。
1972 (昭和47) 年3月に、カラービデオカセットレコーダー『VO-1700』を358,000円で発売します。
これに続き、松下電気が『Uビジョン』、日本ビクターが『U-VCR』を発表し、3社のU規格VTRが出揃ったのでした。
カセット化による操作性の向上から、教育用途や企業の販売宣伝用途などの需要がマーケットを拡大していきますが、やがて放送業界が注目することになります。
U-matic方式カラービデオカセットレコーダーが発売されてまもなく「U-matic」方式はアメリカのCBS放送局への技術提供という形で、ポータブルのテレビ取材用U-maticシステムが 森園正彦 (もりぞの まさひこ、後ソニー副社長) の手によって完成。
民族暴動のニュースの取材時に初めて使用され、それまで使用されていた16㍉映画撮影機での取材方法に変わり、電子媒体を用いたニュース取材体制「ENG (electronic news gathering) 」の原点となり、全世界の放送局に普及。以後30年近くU-matic方式は放送業界などの業務用機器として活躍することになるのです。
文:黒川 (FieldArchive)