有料構築記事の言い訳を考えよう
いつからか一部の上位勢は記事を有料で公開するようになり、界隈の火種となっている。かくいう筆者も若干の否定派なのだが、擁護する側にも一定の論理があることは理解している。PJCS2025の第一回予選が終わり構築記事が出始めた今、どうすれば軋轢を回避できるかを改めて考えてみたい。
とはいえ筆者には法律の知識がほとんどないため、経済学を切り口に収益を得ることの言い訳ができないかを探る。
黙認されている?
大前提として、有料記事はたぶんアウトである。
抜粋するのが面倒なのでリンクだけ貼ったが、収益が出るのはまずいらしい。たぶん訴訟されたら普通に負ける。でも現状は訴訟されてないため、事実上許されているという扱いだろう。こういった知的財産権が保護されているのは、平たく言えば「他人のふんどしで相撲を取る」ことを許してしまうと、誰かの発明にタダ乗りしようとするやつばかりになり、新しいものが生まれなくなるからである。
有料構築記事は、要するに二次創作同人誌(以下同人誌)と同じ状況である。細々とやっている分には見逃してくれるが、荒稼ぎして目立つと潰される。そこで同人誌界隈の人たちは、印刷費やイベント参加費などの諸費用だけを価格に乗せ、ごくわずかな利潤しか出ないようにしている。
これに倣うなら、費用に合わせて適切な価格設定をしていれば、クロではあれど公式に目を付けられることはないだろう。現状そこまでべらぼうな価格をつけている記事はないため、とやかく言われる必要はあまりないように感じる。しかしせめてその辺の奴らの批判に対して理論武装しておくべきではないか。
「いくらまでなら許されるか」という議論をするつもりはない。ここで問題にしたいのは、ポケモンの構築記事における「費用」はどこに発生しているのかである。費用を価格に転嫁するとして、そもそもの費用が明確ではないのである。そのため以下でいくつかの候補について検討したい。
説1.設備投資
switch本体、ソフト、配信機材等の費用を回収しているという説。それぐらい身銭切れよ。
説2.機会費用
「本来他のことをできたはずの時間(ここでは残業や単発バイト等)」を対戦や執筆に充てたことで発生する仮想的な費用を指す。これはポケ勢どころか趣味人全員がほぼ同条件なので、界隈の他のプレイヤーから請求するのは無理がある。
説3.執筆そのものの対価
記事の文章、あるいはアイデアの作成に労働としての費用がかかっている。ポケモン公式にタダ乗りしているわけではなく、執筆の費用を価格に転嫁しているのだという発想は、一見妥当のように思える。
しかし(説1.2を含む)初期費用的な考え方には次のような問題がある。物理の同人誌と違い構築記事はweb媒体が前提であり、記事に「競合性」がない、すなわち記事を買える人数に制限がない。すると記事が売れるたびに相対的な費用は軽くなっていく。それによって①利潤が出ることを避けられない、②需要と供給が釣り合わないという二つの問題が浮上するのである。
①について詳説すると、物理の同人誌は一冊一冊に費用がかかっている薄利多売の方式である。一方web記事は、初期費用分を売り上げると以降は全て利益となる。よって先述の「利潤を出しすぎない」という原則から外れるのである。この状態でトラブルを起こすと公式に潰されかねない。同人誌界隈でもデジタル版を公開する場合があるが、モラルがある人は無料、もしくは割引価格で提供している。
②は価格決定における構造的な矛盾を示している。記事の需要にできるだけ応えるためには、費用に合わせて価格を下げる必要がある。しかし「執筆費用が低い」というのは記事が一定数売れる前提の話であり、その予測は難しい。またnoteには価格の下限(100円)があるため値下げには限度がある。そのため記事を書く側と読む側で価格感を合わせるのは不可能に近い。
新聞や雑誌などがweb記事をマネタイズする際は、サブスクの形式をとることで1記事あたりの価格を下げている。ポケモン界隈もこれを真似てサブスク(noteの機能でできる)もしくはまとめ売りをしてもいいのかもしれない。
説4.「排除性」の付与
有料にすることで、不特定多数が記事を読み型がバレるのを防ぐという主張をよく見かける。その場合の価格は、記事が届いてほしい相手以外を排除する費用として見ることができる。しかし言い訳としては無理筋だろう。なぜなら「記事を一般公開しない」という選択ができるからである。見せたい相手だけをクローズドな環境に招待するなど、金銭を介さない手段がいくらでもある。支払金額によってプレイヤーの「やる気」を判別できるという反論も出そうだが、学生が多い界隈においてそれはあまりに乱暴な想定である。
説5.応援
ここまでで、記事の価格に対して費用面から合理的な説明をつけるのは難しいことを確認した。であれば、不合理な部分は記事の執筆者への応援と捉える他ない。執筆者を応援できるなら購入し、できないなら購入しない。結局そこに収束していくのではないか。
ただそれなら読者側に金額をゆだねるため、また公式に言い訳するために、クラウドファウンディングや投げ銭、それかせめて別記事に誘導して3点方式にすべきではと思う。初期のVtuberでもその程度のモラルはあったのにと思ったが、普通に初期のVtuberよりモラルがない界隈ではあるかも。
結論
構築記事の有料化については、批判に対して変に理屈をこねるよりも「俺は面白い構築とアイデアを持っているから応援してくれ!」と言い張ってしまう方がいいのではないか。その際は公式が見逃しているだけということを自覚し、トラブルを起こさないよう注意してほしいものである。そして周りの人間も、他者の応援の気持ちには基本的に文句をつけるべきでないことを忘れないようにしたい。