「ケルト」は歴史ではなかった
日本で一部の音楽家が、「ケルト」でアイルランド音楽を説明していることについて違和感があることは、「ケルト音楽』を検証する」や「ケルトについて何か書かなければ」ですでに述べました。しかしながら、歴史の分野で、「ケルト」はどのように研究されているのか知りたいと思い、最新の考古学の論文を読んでみました。それらをまとめて、「ケルトではなければ何なのか?」をお話します。
まず、歴史学者に文献の問い合わせをした
最近の「ケルト」研究について知りたくても、ネットではお決まりの説ばかりが引っかかり、自分で調べるには限界を感じました。そこで、歴史学者の田中美穂先生に、まずはおすすめの論文を紹介してもらうことにしました。先生も、ご自身の専門である中世アイルランド史において、「ケルズの書」などの解説に、「ケルト」を用いることに違和感があったことを論文で述べられています。
歴史学の論文を読むのは私は初めてです。文学作品とも理系の論文とも違い、人の営みを対象にしている点では文学、科学である点では理系、そのどちらの要素もあって面白い、と思いました。どの論文も、物の見方、考察などに、研究者の個性がにじみ出ていて魅力的です。読書が趣味でもある私は、新しい世界の読み物を楽しみました。
歴史学では、まず、遺跡や文献といった史料があって初めて成り立つ学問だそうです。学者はそういったものの観察から入り、国や時代のさまざまな比較を行い、成分分析や年代測定など科学的手法も加えて、検討を行います。その上で、分かることと分からないことを明らかにし、膨大な数の先行論文と照らし合わせながら考察をまとめていきます。歴史学者の仕事は、想像していた以上に大変そうだと思いました。
「ケルト懐疑」は、昔の仮説を検証した結果
「ブリテン島の「ケルト人」は、アングロ・サクソン人に追われ、ブリテン諸島のそれぞれ端にたどり着いた。それが、「ケルト周縁」といわれるアイルランド、スコットランド、ウェールズなどである。彼らは共通の祖を持つ「ケルト語」を話し、中世を通じ先史以前の「ケルト文化」を保ち続けた。特にアイルランドはローマ帝国に支配されていない純粋の「ケルト文化」が残る唯一の「ケルトの国」である」・・・・と、これがこれまで唱えられてきた旧来説です。
しかし、このような説は、18,19世紀に作られた仮説のようなもので、さらに言えば、史料をもとにしていないのでフィクションの域を出ない、つまり、おとぎ話のようなものです。当然のことながら(しかし、遅まきながら)、1970年代には発掘調査などを行って検証していこう、となったそうです。考古学、歴史学、言語学、文学といったさまざまな分野から精査した結果、先に述べた「ケルト移動説」も「共通のケルト文化」も確認できなかったそうです。(個々の詳しい研究内容を知りたい方は、文末に挙げた参照論文を読んでみてくださいね。)
ケルト語については、次のような新しい見解が示されました。アイルランドのケルト語を話す人々は、青銅器時代(B.C. 2000~B.C. 500年)よりも前に到着しており、その祖先は北スペインからやって来たのではないか、というものです。また、ケルト語派は互いに通じないほど違いが大きく、分類とその名称が適正かどうかも含めて、言語学者のさらなる検証が待たれている段階だそうです。
「ケルト」でなかったら何なのか
では、「ケルト人」がやって来ていない「ケルトの国」でないアイルランドには、もはや魅力がないでしょうか。そんなことはありません。
考古学者の新納先生は、遺跡調査を分析して古代アイルランドの真の姿に迫ります。(130ページにもおよぶ叢書は、古代の冒険にいざなうような大変わくわくする内容です。興味がある方はぜひ、ご一読ください。)
文化の混合によって独自に発展したアイルランド島の美術
かつては「ケルト文様」と呼ばれていた、曲線の文様で飾られたヨーロッパの鉄器文化(ラ・テーヌ)様式の「装飾付き剣」などの金属製品は、検証の結果、大陸とイギリス諸島の交流の中で、アイルランドで独自に発展をとげたもの、とされました。
「ケルト」ではなくても、アイルランド固有のもの、ということに変わりはないわけですね。それ以降の時代の遺物である「ケルズの書」「ケルト十字」なども、同様に「ケルト」を冠せずに、アイルランド島の美術=イニシュアアートと呼ばれることになりました。
「動向が見えない人々」~鉄器時代(B.C. 500~A.D. 500年)
「ケルト人が大勢やって来て鉄器を伝えた」と旧来説で考えられていた鉄器時代の1000年間は、考古学者の目にはだいぶ違った様子に映ります。住居や墓といった生活の痕跡がほとんど発見できない、とても静かなアイルランドの姿です。特に、凪(なぎ)に例えられる、生活の痕跡が見られない空白期間(B.C. 40~A.D. 250年)が存在します。いったい何があったのでしょうか。
考古学者は、地球規模の寒冷化が引き起こした長く厳しい時代を示唆します。未曽有の危機をどのようなに対処したのか、または、できなかったのか、当時の社会状況と合わせて考察していくところは、歴史ミステリーに挑むようで、思わず固唾をのんでしまいます。
アイルランド固有の文字~オガム文字(A.D. 4~7世紀)
アイルランド語は、表記としての文字を持たないのでアルファベットが当てはめられていますが、アイルランド語は発音が難しく、アルファベットとは実はなじみがよくないそうです。
ところが、最近、アイルランド固有の文字としてオガム文字を見直す研究があるそうです。石柱に刻まれたオガム文字の遺跡を辿っていくと、アイルランド人は4世紀頃にイギリス諸島に進出し、100年間ほどマン島を支配していた、と推察できるそうです。
旧来説の「ケルト人」は追われてばかりでしたが、史実の「アイルランド人」は活発なのですね。
村を持たないアイルランドの社会(B.C. 600~A.D. 900年)
アイルランドは統一した国を作りませんでした。町はデーン人やノルマン人が作りました。アイルランド人は村さえ作らなかったそうです。現在もアイルランド語には村(village)に相当する言葉がないそうです。
土や石で円形の囲い(リングフォート)を築き、その中に数個の住居がある、それらが島中に点在するのが伝統的なアイルランドの社会だそうです。点と点をつなげばまるで網目状になるそうです。
村や都市という集合を持たなくても、祭祀などを通じ、人々が心でつながった社会を築いていたのではないか、中央集権国家とは真逆の網目のようなネットワークを持つ社会だったのではないか、と考古学者は考えます。このあたりは、伝統音楽でかつて村々で行われていた家々の交流を想起させて興味深いですね。
いわゆる土着の宗教(B.C. ?~A.D. 6世紀まで)
アイルランドでは、泥炭地(ピート)で古代のミイラが多く発掘されるそうです。亡くなった状況などから、現代人にはとうてい理解できない残虐な儀式や呪術、複雑な規範が伺えるそうです。
それが、ドルイド教なのかというと、ドルイド教がどのようなものか分からない限り、なんとも言えないそうです。私たちがイメージするドルイト教やそれにまつわる暦などは、近世に創作・脚色されたものなのです。
キリスト教は、農業における技術革新を起こしながら、共同体の中に少しずつ受け入れられ、6世紀半ばには社会に根を下ろし、次の中世の時代には、学徒の島と呼ばれる、アイルランド修道院の黄金期を迎えます。
幻想は幻想であって、歴史ロマンではない
以上を踏まえ、みなさんは「ケルトの国」というイメージを壊されてがっかりされたでしょうか。それとも、実証に基づく歴史解説の力強さを感じたでしょうか。
論文では、これまで仮説をきちんと検証してこなかったばかりか、誤解を広める後押しまでしてきた学術界の「反省」という言葉が散見されました。現地では、アイルランド国立文化遺産公園、国立スコットランド博物館、大英博物館などで、すでに広まってしまった「ケルト」の先入観を打ち消すために、イベントなどを通じ、一般へのアナウンスが行われている段階だそうです(文末に挙げたパネルの解説文をご覧ください)。
「ケルト」は、近代的な産業社会に生きる現代人のわれわれに、太古の幻想を与えてくれました。けれども、時代によっては、政治イデオロギーに利用されたり、蔑視の対象になったり、ヘイトを引き起こしたりしています。「島のケルト」はあくまでもおとぎ話であって、史実ではありませんでした。これから研究がもっと進んで、実際に生きた人々の姿がさらに明らかになることを期待したいです。
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文献紹介:
①アイルランドとイギリスにおける「ケルト再考」の諸研究をまとめた報告。「ケルト懐疑」の近年の研究の大枠が理解できる基本的文献。 田中美穂『研究動向「島のケルト」再考』(リンク先のPDFをクリック)2002年 史学雑誌 111 巻 10 号 p. 1646-1668
②日本の古墳学者が地球規模で歴史を検証するため、西の端の島であるアイルランドの古代史を検証したもの。上の記事の大筋はこの論文から取った。アイリッシュファン、考古学ファン必見! 新納泉『鉄器時代と中世前期のアイルランド』2015年 岡山大学文学部研究叢書37
③日本で2017年に公開されたアニメーション映画「ブレンダンとケルズの秘密」を題材に、中世の美術である「ケルズの書」が「ケルト文化」であるようにいわれることに、専門家の立場から異を唱える。脱ケルトの具体例としておすすめの論文。 田中美穂『『ケルズの書』は「ケルト美術」の傑作か?-「ケルト」再考論の入門としてー』大分工業高等専門学校紀要 2017年
④「大陸ケルト」研究の本場ドイツでは、過去にナチ・イデオロギーの人種主義と結びついていた「ケルト」研究のタブーに言及。ブルターニュの民族運動に結びついた「大陸ケルト」の事情にも詳しい。近年の「ケルト音楽」にみられる「ケルトブーム」や「インターケルティック・フェスティバル」にも言及。かなり突っ込んだ論も紹介。現代の人種主義につながりかねない「ケルト・イデオロギー」について教えてくれる。日本でのシンポジウムや「日本ケルト学会」の最新報告も。 原聖『ケルト概念再考問題』 京都大学
⑤2015年、2016年にロンドン大英博物館、エディンバラ国立スコットランド博物館で開催された「ケルト展」が、「ケルト」の先入観を取り除くために一般へのアナウンスを主旨に行われた報告から始まる。「ケルト説」がどのような経緯によって導かれたか、それに関連して、「ケルト語派」についても詳しく解説している。 常見信代『ケルト研究の現在・過去・これから-近年の考古学、言語学、考古遺伝学の動向からー』(リンク先のPDFをクリック) 2020年 北海学園大学人文論集 第68号
⑥なかなか消えない「ケルト」神話に、最新の分子遺伝学研究を紹介し、「ケルト」ではないアイルランド人の真のルーツに迫る。 田中美穂『アイルランド人の起源をめぐる諸研究と「ケルト」問題』2014年 大分工業高等専門学校紀要
⑦ハロゥインについて新しく書籍を出版するなど「ケルト」礼賛を続ける「ケルトの大家」鶴岡氏を学者として許されないと断じるところから始まる最新の論文。日本の「ケルトブーム」にも言及。今後は、ヨーロッパの「ケルト人」さえ名称が変わるかもしれない、今後、英国の歴史から「ケルト」の名が消えるだろう、と最新の動向を伝えている。九鬼由紀『〈研究動向〉「ケルト」とは何か』(タイトルを検索しクリック)2020年 関西西洋史論集 43号
⑧いわゆる「ケルト礼賛」の一般向け書籍。参考のために購入した。2015年,2016年の大英博物館での「ケルト展」を、先に紹介した常見先生とは真逆に宣伝するところから始まる。学者に交じって一般人も執筆を担当。幻想と史実をごちゃまぜにしたファンタジー読み物として楽しめる。書いている学者自身が「未知の部分があまりにも多い」「現実と虚構のどちらが正しいわけではないところにケルトの魅力がある」と弁明を入れている。巻末の「ケルト関連年表」は、時空を超えた壮大なスケールになっている。木村正俊編著『ケルトを知るための65章』2018年 明石書店
トップ画像:Tripadvisorより、アイルランド国立文化遺跡公園(The Irish National Heritage Park) 囲い(リングフォート)の中の住居の様子。下の動画を見るとリングフォートがどのようなものかよくわかる。
~アイルランド国立文化遺産公園の解説パネル~
「人びとはアイルランドを『ケルト』の国と考えがちであるが、ケルトの『侵入』を示す証拠はまったく存在していないのである。おそらく、ある程度の人びとの移住はある。(そして、伝承のなかにはそれをとどめるものがある)が、今日の私たちがみな西洋文化を受け入れているのと同じように、文化が受け入れられていたということもありうるのである。アイルランド語のルーツをたどるのは困難であるが、それはケルト語の原初的な形態であり、考古学者や言語学者のなかには、それが到来したのは青銅器時代の、『ケルト族』などが存在する前のことであると考える人もいる。アイルランドの古い伝承によると、アイルランドのゲール語を話す人びとの祖先はミレー族であり、北スペインからやってきたとされている。これは以前から神話にすぎないと思われてきたのだが、遺伝子研究によると、現代のアイルランドの人びとと、北部スペインのバスク地方の人びとの間には、著しく強い関係があるということである。」新納泉『鉄器時代と中世前期のアイルランド』2015年 岡山大学文学部研究叢書37 p110