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文献紹介(その2)オフェイロン『アイルランド 歴史と風土』~アイルランドの扉を開くカギとなる一冊


本書について

 1947年初版、1969年、1980年改訂。抵抗運動に身を投じたこともあるアイルランド人作家ショーン・オフェイロンによって書かれ、アイルランド史の基本的文献と言われています。

 日本語版は、1997年初版、2004年まで増刷、英文学者、橋本槙矩の素晴らしい訳で岩波書店から出ています。現在、古本にある限りのようですが、まだ入手可能です。

 訳者もあとがき述べているように、アイルランドの文学や歴史に触れる際、物差しのような役割となってくれる本です。


この本のよさが最初は分からなかった

 20年くらい前に、私が日本語で書かれているアイルランドものの本を買い込んだとき、この本が入っていました。当時は内容がよく理解できず、長い間、本棚に入れてそのままになっていました。

 ところが、2017年に出版された山本正『図解 アイルランドの歴史』の巻末の読書案内のリストにこの本が入っているのを見つけ、再び手にしてみました。アイルランドについて、いろいろ知るようになってからの再読は、非常に違ったものとなりました。

 アイルランドの国としての成長を、著者の解説によって一緒に内側から眺めていく、この本はそんな仕掛けになっています。優れた文学作品のような文章表現を楽しみながら、アイルランドの歴史や精神世界の扉を開いていく、そんな素晴らしい読書体験となりました。


知らなかったこと

 中世のゲール社会(後世に創られた言葉でイギリスに支配される前のことを指す)は厳しい階級(カースト)制で、文学は貴族たちの物語であり、17世紀にイギリス人によってゲール社会が崩壊するまで、貧しい農民は長い間、奴隷のような悲惨な状態であったこと。

 権威に逆らうことは大罪とみなすカトリック教会や無知な農民に、イギリスという敵と戦う前に蜂起の計画をつぶされてしまう、18世紀の「ユナイテッド・アイリッシュメン」のウルフ・トーン(イギリス系アイルランド人)の下り。

 17世紀以降にやって来たアングロ・アイリッシュ(イギリス系アイルランド人)には、愛国者のロバート・エメット、民族主義団体「ゲール語連盟」の創始者ダグラス・ハイドなどがいて、彼らの中にはアイルランドの文化を深く愛す者がいたこと。

 こうした歴史上の出来事をなぞるだけではなかなか知りえない内側の事情をこの本は教えてくれました。


この本の時代背景

 アイルランドの本格的な歴史研究は意外と近年で1930年頃からだそうです。イギリスから独立を果たしたその頃のアイルランドは文化復興運動の真っただ中で、歴史は国民のアイデンティティを高めることを目的とされ、科学的研究は後手に回りました。

 ゲール文化復興運動では、舞台や文学作品に検閲があり発禁処分を受けるなど、表現の自由を妨げられた不都合な部分も著者は見据えます。こうしたナショナリズム運動の手放しで歓迎できないさまざまな事情を示し、行過ぎた愛国主義に一石を投じます。


この本が与えた影響

 「先住民はニューグリンジの石に渦巻き模様を描いた。現在ダブリンのナショナル・ミュージアムに見られる見事な金製品は(これもケルトより昔の)青銅器文化の人たちによるものである。ノルマン人とデーン人は、アイルランドに港と道と街を作り、イギリス人は法と秩序をもたらした。このようにアイルランドは「ケルト」文化が連綿と続いているのではなく、他国の文明の複雑な同化吸収の歴史であり、純粋なケルト人もいない。」とオフェロインは言ったのです。

 そう言われてみれば、そうだ、となったでしょうか。もちろん、多くの歴史家が影響されました。冒頭に「物差しのような役割をする」、と書きましたが、読む人にアイルランドの固定概念について気付かせてくれます。

 支配される前のゲール社会は素晴らしかった、イギリス人は冷酷で残酷極まりなかった、と歴史を単純化して考えがちな人に、アイルランドの歴史はそう白黒はっきりした、一筋縄ではいかない、ということをこの本は教えてくれます。


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トップ画像:作者蔵書 オフェイロン『アイルランド 歴史と風土』


参考文献

山本正『アイルランドの歴史』河出書房新社 2017年

『アイルランド概説』アイルランド外務・通商相発行 2004年

勝田 俊輔『「共同体の記憶」と「修正主義の歴史学」 : 新しいアイルランド史像の構築に向けて』論文 1998 年


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