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「ケルト音楽」を検証する

2010年頃から、アイルランドの伝統的な音楽のことを「ケルト音楽」と呼ぶ人が増えてきた、と感じるようになりました(拙記事『ケルト音楽」について何か書かなければ、と思ったきっかけ』『ケルトは歴史ではなかった』も併せてお読みください!)。さらに、日本の一部の音楽家がアイルランドの音楽を「ケルト文化」で説明していることについて、音楽が本当に「ケルト」と関連しているのか、文献を元に検証してみました。


民俗音楽は「ケルト文化」なのか?

日本では2010年頃から、アイルランド音楽のことを「ケルト音楽」と盛んに呼ばれるようになりました。その巧妙なネーミングから、手垢にまみれていない新奇な音楽分野のように宣伝されました。

さらに、この名前から、「ケルト(語)の地で演奏されている音楽」「ケルト民族の音楽」「ケルト文化の音楽」「ケルトの楽器」といったように、音楽を「ケルト」で説明する人も現れました。起源をハッシュタルト期の2000年前といってはばからない人も現れました。

アイルランドの音楽は、「ケルト神話(註:中世のフランスで書かれたブリテンものの物語のこと。12世紀頃にフランスとイギリスの宮廷で人気を博し、のちにゲール語に訳されたのでこう呼ばれる。)」や「ケルト美術(註:現在ではイニシュア・アートと呼ばれる)」といった古代に直接つながる文化なのでしょうか?

 

「ケルト」で音楽の説明ができるのか?

「ケルトの音楽」というからには、同じくケルトとする、スペインのガリシアやフランスのブリュターニュにも共通する音楽様式があるのでしょうか?

アイルランドの古いダンスの種類であるジグ、ホーンパイプ、リールはイギリス諸島に共通するものですが、ガリシアやブリュターニュにはなく、ダンス音楽の系統が異なることを示しています。

また、5音音階はアイルランドとスコットランドの音楽におけるゲール的な特徴、と言われていたこともありましたが、現在では間違いとされています。
 
アイルランドとスコットランドでバグパイプやハープが演奏されるのは、彼らが「ケルト民族」だからなのでしょうか。「民族とは何か」という問いは、20世紀以降、非常に難しい問題をはらんできました。アイルランド人は古くからノルマン人、デーン人、イギリス人、トラベラーズ、ロマなどいろいろな人が混ざり合って形成されています。「ケルト民族」とはいったいどういった人のことを指すのでしょうか?

バグパイプは中世からヨーロッパの農民の間で使われ、イギリス中で広く見られた楽器です。ハープも古くからヨーロッパによく見られた楽器でした。アイルランド音楽で用いられる教会旋法も、中世のイギリスとヨーロッパで用いられてきた音階です。私たちは、民族の概念と音楽を容易に結びつけてしまいがちですが、そういった概念自体を問い直さなければいけない事がこの音楽にはたくさんあります。


アイルランド音楽の起源は近世

アイルランドの音楽研究者によると、今日に伝わるアイルランドのダンスの曲の起源は18世紀~19世紀とされています。エアもほとんどがこの300年の間に作られたと考えられています。

歌についても、17世紀より前という確証のあるものはなく、ジグ、リール、ホーンパイプといった主なダンスは、18世紀の終わりの25年間に作られたものとされています。
 
つまり、アイルランド音楽が形作られたのが近世なので、紀元前の「ケルト」と時代が合いません。この時代のギャップをどう説明するのでしょうか? 何を指して「ケルト音楽」というのか、あいまいで具体性に欠きます。


「ケルト」では説明できないことが多い

アイルランドのリール、ジグ、ホーンパイプといったリズムそれ自体の起源も、よそから流入してきたものです。アイルランドのダンス文化についても、イギリスとヨーロッパで人々に広く楽しまれていたものと同じ種類です。

また、フィドルやフルート、ボックスといった楽器についても、ほとんどがイギリスとヨーロッパで広く流通していたものが用いられています。ハープやバグパイプは古い楽器ですが、楽器の起源がそのまま音楽の起源になるわけではありません。

ゲール語 gaelic language、すなわちアイルランド語、スコットランド語、ウエールズ語他は、いくつか似ている単語とVSOの語順が類似しているものの、発音では、互いに通じない言語です。ゲール語が衰退していった時にゲール語の歌が失われたり、新しく英語の歌が歌われたりしました。それらをいちいち区別すべきでしょうか?それに、ゲール語を話す人だけが音楽に関わってきた訳でも、ゲール語が衰退したときに音楽も一緒に衰退したわけでもありません。

かつては言語と文化がイコールで語られた時代がありましたが、現在では必ずしもそうでないとされています。なぜなら、言語だけが入れ替わったり、言語が同じでも歴史文化が違っていたり、言語が変わらずに文化だけが取り込まれたりする例が、世界にはいくらでもあるからです。


「ケルト」を音楽の背景として説明し、史実として語るのは間違い

実は、島でも大陸でも、「ケルト」は史実ではなく、近世に作られたフィクションです。アイルランドでは19世紀後半から20世紀初頭にかけて、それが国民の物語となり、歴史として採用されいたこともあります。そうした経緯を踏まえても、民俗音楽は「ケルト」とは別の歴史的文脈で発展してきました。

「ケルトの地」に範囲を限定しては、貿易、戦争、出稼ぎ、移住などで人々がイギリス、ヨーロッパ、さらにはアメリカ大陸に行き来していたことが見えてきません。人びとの行来が、まさに音楽が辿ってきた道筋なのですから。

民俗音楽は、これまで記されることのなかった市井に生きる人々文化です。それを解き明かそうとした現地の研究者の並みならぬ努力を忘れてはならないと思います。人々がどのようにして、音楽を作り、奏で、楽しんできたのかという内容が本当の民俗音楽史なのです。
 

「ケルト」にこだわっていると見落としてしまうもの

実際のところ、アイルランドの音楽は、人々自らの手で娯楽として作りあげたものであり、生活する人々の魂の発露というべきものでした。

アイルランドの音楽的遺産は、現地の民俗音楽研究者に真面目に研究されています。そこでは、音楽は「ケルト」で説明されていません。

もし、現代人の耳に「ケルト音楽」のカテゴリーがあるように聴こえるとしたら、それは、1960年代のフォークリバイバル以降のミュージシャンたちが用いた音楽の手法や楽器が似通っていること、意識的に取り組まれた音楽の結果だけを見ていること、音楽復興を成さなかった失われた地域を考慮にいれていないこと、正しい音楽の知識が共有されていないことなどによるものではないでしょうか。

どのような分野の音楽にもいえることですが、知識がなければみなどれも同じように聴こえるものです。

「どう聴くかは学ぶべきものである」ー Naomi Andre


すべては「ケルト音楽」という名称から生まれた誤解

近世に創られた「ケルト」の概念は、1980~90年代になると音楽産業界で「ケルト音楽」という商標を生み出しました。当時の「ケルト」は、驚異的な経済成長が「ケルトの虎」と呼ばれたように、長い紛争からようやく和平に向けて動き出し、勢いの出てきた時代を象徴するキーワードとなりました。

しかしながら、「ケルト音楽」と聞けば、古代からずっと奏でられている音楽であるかように錯覚してしまいます。本来、専門的な音楽家ならば、演奏と共に世間に向けて音楽を正しく理解してもらう努力をしなければならないはずです。それを楽器でも曲でもなんでもかんでも「ケルト」で説明をすませてしまうのは、安易すぎると言わざるを得ないでしょう。

1980年代以降、かつて民族主義の時代に「ケルトイデオロギー」を共有したことのある国々のフォークミュージシャンたちが活発に交流しています。そういった意味でなら、今後、「ケルト音楽」がどのように融合・発展していくか期待できると思います。

アイルランドの歴史は、古来より他国との複雑な相互関係・相互作用によって成り立ってきました。音楽もまた、古代から単一民族によって演奏されてきたのではなく、中世の郷土的な音楽の面影を残しながら、他国との活発な文化交流によって今日まで発展してきたものなのです。


「舞踊とそれに関係した音楽は、人々がアイルランド語を話す代わりに英語を話すようになっても生き続けた。我が国では、音楽は言語から独立していた。いずれにしても英語を話す社会になってからも同様の舞踊の形式が流行していた。」ブレンダン・ブラナック『アイルランドの民俗音楽とダンス』


「ケルト」が現代に引き起こす諸問題については→『「ケルト」は現代の人種主義!?』をお読みください。


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トップ画像:Photo By ilovebutter リムリック郡アデア村 (Adare Village)に立つ「ハイクロス」。中世アイルランドに見られたこのような十字架に代表される文様は、東洋の影響を受けたギリシャのパルメット文様が変形したものとされています。現在は「ケルト十字」とは言わず、「ハイクロス」と呼ばれています。



参考文献

ブレンダン・ブラナック(竹下英二訳)『アイルランドの民俗音楽とダンス』
全音楽譜出版社 1985年

山本正『アイルランドの歴史』河出書房新社 2017年

山本正『「王国」と「植民地」 近世イギリス帝国のなかのアイルランド』
思文閣出版 2002年

オフェイロン(橋本槇矩訳)『アイルランド 歴史と風土』岩波文庫 1997年

出口保夫、小林彰夫、斉藤貴子編『21世紀イギリス文化を知る辞典』東京書籍 2009年

Pete Cooper. Complete Irish Fiddle Player. Mel Bay. 1995.

Alan Ward. Music from Sliabh Luachra. Topic records notes.
1976.

Harry Bradshaw. Michael Coleman 1891-1945. VivaVoce booklet. 1991.

Francis O’Neill. The Dance Music of Ireland. Waltons (1907).

Brendán Breathenach. Ceol Ronce na hÉireann 1,3 . An Gum. (1963).

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Tamiko/ フィドラー
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