日々雑感。
早く起きた平日の朝は、早めに家を出て、駅前のカフェに入り、コーヒーとたまにケーキを食べながら、本を読んだり、文章を書いたりしている。私は仕事中は勿論、執筆はしないが、詩のことやエッセイのことを仕事をしながらも時々考えている。
詩に関しては、散文詩や物語詩が多い。エッセイはどんなテーマで書こうか、自分なりに設定して、プロットを立てる。
これが、私がもしも専業主婦で、家で書いていたのなら、ノート(B6ほどの)にプロットを書いて、プロット集を作っていただろう。今ではすっかり私も仕事に生きる独身の40女だ。仕事をしていると、どうしても時間に追われてしまうため、手軽なスマホのメールの下書きに詩やエッセイのプロットを書いて保存し、休日にパソコンで、その文体に肉を付けながら書いていくという作業をしている。
パソコンは、初代のものが古くなり、インターネットに繋げなくなってから、暫く買わなかったのだが、私の彼が、「クリエイターなら、パソコンは持たなくちゃ。」と通販のヤフーショッピングで中古品だが、1万円で買ってくれた。そのパソコンが、Windows10だし、キーボードが少し感度が鈍いが、やはり、スマホでタッチするのと、キーを打つのとでは違い、私は仕事は事務でパソコンを使っているせいか、キーボードを打つ音が好きなのもあり、実感が湧くので、特に詩が良いのが出来る、と思う。
手書き文章も好きだ。
手書き文章は、やっぱりあたたかい。
詩人の銀色夏生さんや、竹内めぐみさんなんかも、手書きで詩を書いた詩集を出しているが、やっぱり手書きは良い。その人が、素朴に純粋に言葉を愛している気持ちが伝わるから。
手紙も私は好きだ。
今はもう、殆どLINEかメールが主流で、手紙文化は廃れつつあるのか、と思いきや、そうではない。私の地元のTSUTAYAの文具と本のコーナーでは、文具の方にすごい可愛らしいレターセットがたくさん置いてある。一式500円ほど。少し高価な気もしないが、書き手の、そして読み手の好奇心を擽るような素晴らしいレターセットなら納得がいく。
思い出したことがある。
私は美術館に一人で行った帰りに、美術館のお土産コーナーで買った画家のポストカードに、カフェで詩友に詩を書いて贈ることが今でもある。葉書サイズの中に収める短い言葉に想いを込める。「長い詩よりも、短い詩で人に感動を与えることが、何よりも大事なのです。」と、かつて詩人の先輩に言われたことがある。短い詩。そのなかで魅せる世界。「詩とは文学ですが、私はもっと、詩は一つの芸術として捉えられることも必要だと思います。」とそのようなことを、確か昨年4月号の商業誌「詩と思想」のなかで、詩人の佐々木貴子さんが仰っていた。文学性と芸術性。この二つを上手く両天秤に掛けて、釣り合わすのはなかなか難しい。しかし、それをやってのけてしまう佐々木さんのような詩人は本当に天才なのだろう。
ふと、我に返り、私は目の前を見た。お皿にチーズの欠片ほど残ったケーキ、冷めたコーヒー。時計を見てみた。8時20分。そろそろ行かねば。私は残りのケーキを口に放り込み、コーヒーを飲み干すと、カフェの階段を降りた。カウンターの定員さんの「ありがとうございました!」の声に、「ごちそうさまでした!」と元気よく返す。
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