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人生は、自分のもの

 昨夜は夜の7時台に寝てしまったから、今、午前零時を回った頃に、こうして缶チューハイを飲みながら、一人ゆっくり色々なことに想いをめぐらせている。私は、期間の定めがなく、毎日会社に通って直雇用の契約社員として働いていて、コロナ禍が原因でリストラになってから、派遣社員としてしばらく働いて、結婚のため、求職を今はストップしているが、毎日当たり前のように会社に行っていた時代から、今は自由にライティングの仕事をしている身分(母から見れば、ただの道楽者かもしれないが)となって、私は本当に、人生とは、仕事とは「これ一つだけ」という生き方は無いな、と実感している。
 私にはただ一つ、「書くこと」という好きなことがあって本当に良かったと思う。もちろんそれ一本で食べていくのは難しいが、頭と手が動く限り続けていける。小さい頃から本当に不器用で、取り柄なんか無いと思っていた私だが、神様には本当に感謝している。
 ただ、私は婚約者のたけさんのように、ずっと40年近く一つの会社で忍耐強く頑張っている人にもすごく憧れる。一つの会社でコツコツコツコツ、働くサラリーマン。サラリーマンなんて、とバカにする人もいるかもしれないが、今の時代は、この「コツコツコツコツ、一つの会社で頑張っていく」という人、特に若者が非常に少なく、皆3年もすれば辞めて違う職場に行く人が多い時代だが、私は出来れば一つの会社でコツコツコツコツ努力しながら、その傍らで詩やエッセイを書いていきたかったのだか、精神を病んでしまったため、仕方がなかった。
 過去というのは、いくら振り返ってみても過去は過去でしかないので、私はいつも「今、何ができるか」を考えているが、私の母は特に、私や自分の過去に拘りたがる。「あのときは良かったのに」、「病気にさえならなければ」、「あの男と出逢わなければ」、「私は不幸だ」とは、飲んだときによく言う母の口癖。私には到底理解できない。だって、過去なんか振り返ってやいのやいやの言っても過去は過去だし動かない。飲んだときに、「ああしていれば良かった」とか、ましてや「私は不幸だ」等と言っているような人間は、たとえ身体や心にハンデを持った障害者であっても、自分の幸せを逃すタイプの人だと私は思う。私も両足に若干のハンディキャップを持って生まれてきた人間だが、小さい頃から「足が悪いからできない」等と後ろを向くタイプではなかった。寧ろ母のほうが、「うちの娘は足が悪いから」と、私を後ろに隠すタイプだった。
 人生、「幸」か「不幸」かは、他人ではなく自分自身が決めること。だから、私はこれから先、結婚してまた愛知県のどこかで事務のパートとして本業を探すけれど、けっして自分にハンデがあるからと諦めない。私の母は、私を身籠ってから、遺伝の糖尿病を悪化させ、目を悪くして、今ではほぼ全盲であるから、しかも、私の父親に捨てられた人間だから、だからこそ、自分のことを「不幸だ、不幸だ」と嘆くようになったのだが、でもだからって母はたとえば将来目が見えなくなることも踏まえて点字を習うとか、そういう努力を全くしてこなかった人だから、私はそうはなりたくないと思う。だから、はっきり言って母とは離れたい。考え方が私と全く合わないから。母は、私とたけさんが結婚して、自分は愛知県に行けないから、せめて墓だけは、たけさんと私が入る墓に入れてほしいと言ってくるが、私は、それは単に自分が寂しくならないためだけでしょ?と思う。生きている間に、仕事は一生懸命やってきただろうが、自分の健康管理や、自分の身体が悪くなっても、そこから人生を開拓しようとしなかった母は、単にいいとこ取りなだけだと感じてしまう。まあ、母はちょっと、恨みや思念の強いタイプだから、私はたけさんと私と、たけさんのご両親が入るお墓に入れようと思うのだが。母の祟が怖いからね!
 話を戻すが、自分の人生は自分のもの。
 誰がなんと言おうと関係ない。
 私は、自分の人生を切り開いていく、切り開いている人たちに乾杯のエールを送る。

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