モノ書病。
家にいると、やはり無性に何かが書きたくなる。今朝はわりと遅く起きて、朝御飯もそこそこに公募ガイドをひっぱり出し(今月号)、やはり「コツがわかるエッセイ講座」を再度受講しようと決めて、メールを送った。他にも3月まで、エッセイを2本書いて、大賞に応募する。
以前にも書いたかも知れないが、私にとって書くことは呼吸なのだ。また、食欲でもあるし、生きることそのもののような気がする。特にBGMに米津玄師やDo As Infinityなんかを聴いていると、興奮と好奇心がシンクロしあって、どんどん書ける。
私は音楽のことはよくはわからないが、以前、クラブ歌手に憧れて、ボーカルのレッスンを受けていたことがある。その時は自分が唄うためにCDを選んでいて、椎名林檎や鬼束ちひろや、笹川美和、EGO-WRAPPIN'、中島みゆき、GO GO7188、CORE
OF SOUL などの曲を聴いて唄いまくっていたが、唄を辞めてから、書くことに目覚め、それからは書くためのインスピレーションを呼び起こすような曲を選んで聴いている。
話を戻そう。
とにかく私は、家にいると書いていたくて堪らないのだ。それは、今に始まったことではなく、幼少の頃から、私は暇があるとまっさらな紙に向かっていた。まだ字をあまり知らなかった3歳~5歳頃は絵をよく描いていた。お箸の持ち方よりも先に私はペンの持ち方を覚えた。小学校に入ってからは、国語はそんなに優秀な方ではなかったが、読書感想文はなかなかのものだと、担任の先生からも評価されていた。中学の頃は、人権作文コンクールで優秀賞を、高校・短大は文系女子校だったので専ら書くこと優先。社会人になってからは会社はものつくりの理系会社だったけれど、仕事の合間を縫っては、メモ用紙に詩を書いたりしていた。詩の合評会や、朗読会、同人誌に入ったのもこの頃だった。
あれから15年以上時を経た今、私はこの「モノ書き病」にかかっていて幸せだと心底感じている。私は人に生まれて、本当に良かった。この地球上で、人類だけが唯一、モノを考えることが出来る脳を持つ生き物で。感動したり、喜んだり、悲しんだり、苦しんだり、人を愛し守ったり、幸せにしたりすることが出来る「人間」として生まれて、私は本当に良かった。
光があれば、陰もあるけれど、私はこれからも喜びや幸せを言葉として書いていき、誰かの心に届けたいと願っている。