言葉と可能性
幼い頃は、よく泣いた。
「泣き虫」と言われた。
名前を読み間違える度に泣いていた。
争い事に負ける事に泣いていた。なんでも。
そして足が速かった。
「はやいね」と言われた。
小6くらいまでは負けなかった。
「ふみは〇〇だよね」とラベリングされ、
その生き方に近い道を歩んできた。
ラベリングが先か、生き方が先かは分からないが。
「〇〇は優しいね」と言われたことを思い出して欲しい。
嬉しい反面、
「私はそんな人じゃないよ」「もっと優しい人はいるよ」と
思うこともあっただろう。
もしラベリングによって、
「自分はこうなんだ」って決めつけて、
自分の人生の可能性を狭めていたとしたら、
言葉によって人生が左右されているとしたら、
そう考えると、
もっと言葉にこだわって良いのではないか。
そう思う。
最近、「ふみは文章がうまい」と言われた。
自分でも「案外、文章を書くのが苦手ではないな」と気づいた。
だから続けられている。
だから自分の可能性を信じることは素敵なことでもある。