浦島坂田船10周年に寄せて

9月7日は特別な日だ。

年に数回こういった特別な日はあるが、浦島坂田船にとって、そしてcrewにとって一番大切で大事な日と言っても過言ではないだろう。
そう、浦島坂田船の結成日だ。正確に言えば初ライブの日なのだが、グループの発足日が曖昧だったため初ライブを結成日にしよう!というなんとも浦島坂田船らしい理由からこの日が結成日になっている。そして今年はその初ライブから10年。つまりは浦島坂田船10周年の節目の年なのだ。私も今年は特特特別と言いたくなるぐらいには浮かれている。
一度限りの筈だったライブが毎年恒例となり、たくさんのファンの夢を乗せてついにはさいたまスーパーアリーナでライブをすることにまでなった浦島坂田船。誰一人欠けること無くここまで駆け抜けてきた。

そんな浦島坂田船が唯一「止まった」と振り返る時期がある。
2020年、新型コロナウイルスによって今までの生活のすべてが一変した。イベントや学校行事が相次いで中止になり、外出さえも制限される日々。浦島坂田船も例外ではなく、春ツアーの中止を余儀なくされ、予定していた夏ツアーに至っては発表することさえ叶わなかった。(【祝7周年】浦島坂田船からみんなへより)

全てが嘘のように止まってしまったあの頃。外出はもちろんエンタメは悪だといわんばかりのヒリついた空気の中、浦島坂田船は毎日のように配信をしてくれた。月曜日のラジオに加えて定期的なマラソン配信やゲーム配信、今ではすっかり配信部屋となった浦島ハウスでの動画投稿。ひとりじゃないと言ってくれているようでとても嬉しかった。
ライブが無くなって、準備していたものが全て崩れて、私たちの見えないところで悔しい思いを沢山したはずなのに。いつ収まるかも分からない未曾有の感染症に焦りも不安もあったはずなのに。4人は決して後ろを振り返ることなく、私たちを楽しませようという一心で前へ前へと進んでくれた。

この時の私の世界は浦島坂田船を中心に回っていた。浦島坂田船がいなければ、食べて寝てを繰り返す退屈な日々を送っていたことだろう。その空白を食むようにして活動を続けてくれたおかげで、私は微塵も辛くなかった。
4人は度々振り返る。「あの時は必死だった。なんとか食い止めなくてはならない。どうしたらcrewに楽しんでもらえるか沢山悩んだ。」と。
こんなことを言ったら顰蹙を買うかもしれないが、私は自粛期間中も毎日が本当に楽しかった。ライブに行けない寂しさ、苦しさはもちろんあった。だが浦島坂田船はひたむきに活動と向き合い続けた。crewを心配させまいと必死に手を引いて私たちを引っ張ってくれた。だから退屈を感じる暇さえ無かったのだ。もしこの時誰か一人でも歩むことを諦めてしまっていたら、浦島坂田船が10周年を迎えることはなかったかもしれない。


2020年の5月に投稿された「Here We Are」のニコニコ動画の概要欄にはこう書いてある。

俺たちはここにいる!それはずっと!

その言葉通り4人はずっと変わらず「ここ」にいてくれている。不安定なネットの海の中に。光り輝くステージの上に。私たちのそばに。


誰もが不安を抱えていたこの時期に、安心出来る場所を与えてくれたのは他でもない浦島坂田船だった。おかげで今も私の世界は浦島坂田船が全てだ。毎日に彩りをくれたこと、不安な気持ちをプラスの感情に変えてくれたこと、その全てにもう何度口にしたか分からない「ありがとう」という言葉を送りたい。

改めて、浦島坂田船10周年おめでとうございます。絶えず夢を見せてくれる浦島坂田船がこれからもずっと「取り舵いっぱい 方角は 楽しい方へと」進んでいけますように。

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