河野咲子「雨カズラの生長」
天井に雨雲たちが垂れ込めている。
垂れ込める雨雲のもとでわたしは浅く眠っている、眠っていると思えるくらいにはぎりぎりの浅さの眠りだから、わたしが見ているのは雲の夢ではなく紛れもない雨雲そのものだった。とはいえ雨雲は雨雲のようでありながらいわゆる雨雲ではないかもしれない、そうだとしてもわたしはそれを雨雲と呼ぶ。
(なんということはない)
つまり、天井に雨雲たちが垂れ込めている。
子犬のように愛らしく
ざあざあ笑い
雨雲が笑うほどに雨が降り、降りそそいだ雨はわたしの顔や身体を遠慮なくびしょびしょに濡らし、雨粒はほのかに爽やかでうっとりと甘くおいしい。あまりにおいしいので、いつまでもこの喉に雨を受けつづけていたいと思う。
ざあざあという雨の音色もじつは雨につたわる記号であって、さいきんは耳が慣れてきたのか
お空の暮らしはいい暮らし、お空に飽いたら雨降らし
というようなことをかれらがてんでばらばらに呟いているのがはっきりと聞き取れるのでかなりうれしい。とてもうれしい。
かつてはたしかに部屋らしい部屋であったはずのこの部屋が、いまでは見る影もなく雨雲の園と化しているのはわたしがメンテナンスを怠っていたせいにほかならず、酷いひび割れだらけの強化硝子の窓はもはや雨雲の侵入を防ぐ手立てにはなりえない。入り込んできた雨雲たちは勝手気ままにたゆたい、笑い、甘い雨を好きなだけ降らして遊んでいる。降らされた雨は半睡のわたしや家具の表面をとめどなく流れ、惜しげなく床に水たまりをつくり、扉や窓の隙間からあふれて部屋の外へと流れ出ていく。
部屋の外には海があるのだと言ってみようとしても、海と海でないところの違いはいまではよくわからなくなっている。陸がないのだから海はない、わたしたちにあるのは広い水と背の高い建物と青々とした雨カズラと、水面にうかぶほんのわずかの船ばかり。
わたしが働いていた割烹料理屋を地面から無理やり切り離し、まるごと船に変える計画をご主人とおかみさんはちゃくちゃくと進めていたけれど、やっと完成した〈かんむり号〉の進水式にわたしが呼ばれることはなかった。ともども置いて行かれたお店の先輩たちといっしょにそびえたつ建物を転々とし、この高層マンションに辿り着いたのはしばらく前のこと。
運良くかなり背の高い建物に駆け込めたのはいいものの、ここでも雨雲たちはしつこく、しかしほがらかにわたしたちの住処をうばおうとした。割烹料理屋の先輩たちは、雲の侵入をふせぐための目張りに倦み、目張りを諦めてからは床から水を掻き出す作業の果てしのなさに倦んでいた。
先輩たちもわたしを置いてけぼりにした。目張りも水かきも一度も手伝ったことがなかったから、かれらが気を悪くしたのも無理はない(でも、わたしにはどうしようもなかった。わたしはものすごく眠たかった、ものすごく)。わたしが濡れるのも構わず寝ているあいだに、先輩たちはどこまでもつづく階段を駆け上がり、もっと高いところへ向かってしまった。
雨カズラの樹はわたしたちを追い込むように着々と生長し、このフロアが荒々しい葉叢に飲み込まれるのも遠い先のことではないという。
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さまざまな個性を持った7編の小説からなるアンソロジーです。参加作家は、佐川恭一・河野咲子・旗原理沙子・林やは・二宮豊・竹中優子・和泉萌香。…
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