クラスで怒るのを辞めた。
昨日、チェーンナーさんの企画「忘れられない外国人のあのひと」について書きました。
これ、実は続きがあるんです。
忘れられない外国人のあのひと-怒るのを辞めた-
日本語教師2年目までは、怖い先生でした。
身長147cmの小柄な私。
そんな私でも怖いと言われたことがありました。
クラスでも宿題をしてこない学生、約束を守らない学生に
毎日のように怒っていました。
当時の担任クラスの学生は「先生、怖いね〜(笑)」が口癖(笑)
ちょっとどころではなく、手のかかる学生が集まったクラスだったので
毎日、問題が起きていました。
問題がある日が日常。
問題がない日は非日常。
私も感情も感覚も麻痺していたのかもしれません。
怒っているのも疲れていたある日。
専任2年目が終ろうとしていた時でした。
「忘れられない外国人のあのひと-授業がつまらないと言ってくれたひと-」
で「授業がつまらない」と言ったAさんが4月から入学する妹を学校に連れてきました。
Aさんは大学に進学し、母国でできなかったキャンパスライフを楽しんでいました。
A「ちーちゃん先生、僕の妹!先生のクラスだとうれしいな〜。よろしくお願いします!」
ち「私のクラスだといいな〜。でも、テストで決まるからね。私のクラスになったら、頑張るね!」
普通の会話でした。
たわいのない会話でした。
当時、タバコを吸っていた私。
Aさんも喫煙者だったので、Aさんに「喫煙所にいこう」と言われた。
A「先生、大丈夫?」
あーこの人は人のことをよく見ている人だ。と思った。
私は、またこの学生に助けられる。
素直に「大変」と答えた。
泣くことはなかったが、自分が悩んでいることを全て話した。
Aさんは
「今、僕に話した先生の気持ちをクラスのみんなに話してもいいんじゃないかな?先生のクラスの学生って先生のこと信じてないわけはないと思う。一生懸命悩んでくれてるのも全部わかってると思うよ。」
また、君に助けられた。
感謝しかない。
次の日。
Aさんに言われたように、学生に素直に自分の気持ちを話して
「どうしたいか」をクラスで考えた。
チームティーチングなので、他の先生も了承済み。
テーブルも椅子もどけて、床に座ってみんなで話した。
学生一人一人の悩みとか、クラスへの要望、授業のこと
宿題のこと、時間が許すだけ話した。
最後は、みんなで笑顔になって、「また明日!」と言えた。
「怒る」のは怒っている人も体力とメンタルを持っていかれるし
怒られている人も体力とメンタルを持っていかれる。
お互いによくないのだ。
学生のためにも自分のためにも怒るのを辞めた。
Aさんのおかげで、また日本語を教えるのが楽しくなった。
それからは、「ちーちゃん先生はなんで怒らないの?」と言われるくらい
やさしくなったちーちゃん。
専任3年目は、怒ることなく過ぎていきました。
(一回だけ怒ったけど・・・。)
「怒る」ことはすごく疲れる。
でも、学生が間違ったところにいかないように、サポートしなければいけない。「怒る」より問いかけて、一緒に解決していく方が、学生も私もスッキリする。
何がよくて何がダメなのか。
当時、宿題をしないことで怒っていた担任クラスは、宿題をなくした。
出来る限り、授業中に完結させるカリキュラム 作りをした。
それもちゃんと学生と話し合って、なくした。
長期休みの宿題は、
学生から「テキストから自分たちで選びたい」と言ってきたのだ。
自分たちで「漢字は何ページで〜。文法は〜」と決め、
テキストに付箋を貼って、「先生、冬休みの宿題これね!」と。
やるかどうかは半信半疑だったが、そこは学生を信じた。
なんと、今まで宿題を出したことがない人も宿題をやってきて
全員宿題を出したのだ。
「怒る」ときにいう、「〜しなさい」って強制力が高いんだなーと感じた。
「怒る」辞めた結果、学生に自主性が生まれていた。
もしかしたら、「怒る」ことで人の自主性を受け身に変えていたのかもしれない。
ここまでに至ったのは、全部インターンの時に私に
「授業がつまらない」と言ってくれたAさんのおかげ。
そして、専任2年目で心配してくれて、相談に乗ってくれたAさんのおかげ。
「教師が学生に教えられてどうする!」と人もいるだろう。
別にいいんじゃないかな?
一緒に学べばいい。
教師は常に学ぶ姿勢を忘れてはいけない。
私はAさんにたくさんのことを教えてもらいました。
私は、学生、学習者と一緒に学んでいくことができる
日本語教師でありたい。
何歳になっても
いつになっても
「教えて?」と言える人間でありたい。
それを教えてくれたのは、外国人の日本語学習者でした。