音の鳴る場所にたくさん行きたい
コロナ禍が終わった、とは言えないものの、人々は2019年頃までの日常を取り戻しつつある今日この頃。
私も昨年6月からliveに行くのを再開していた。
秦基博さんが私の地元・福島、しかも私が住む市にある大きめのホール(学生時代に合唱やら観劇やらで大変お世話になった)でliveをすると聞いたのは一昨年12月頃だったと思う。
あまり公言してなかったが、10年以上彼の曲を聴き続け、新曲もチェックするほどのファンだ。
そんな彼が近くに来てくれるなんて、行かない理由がないとチケットを取って行ってきたが、バラエティ豊かな楽曲達は勿論、それらをきらびやかに彩る照明や映像、お客さん達との一体感や笑顔、すべてが素敵で、「あぁ、liveってこういう時間だった」とコロナ禍に入るまで当たり前にあった時間の尊さを再認識した。
時は流れ、コロナ禍以降に足を運んだ(予定含む)liveは、現時点で
行ったのが6本(舞台1本、live5本)
(地域別:仙台2本、水戸1本、東京3本)
予定が2本(東京1本、京都1本)、
当落待ちも2本(両方東京)
となっている。
ごくまれだが、周年等の記念公演や大好きなバンド同士が対バンするといった時、関西に飛ぶことがある。
特に課題になっていたのが、金銭管理。
遠征中に金が尽きたことはなかったが、口座の預金残高を見る度に「随分減っちまったなぁ…」と落ち込む私がいる(自分のせいだが)。
グッズで気になったりデザインや実用性を重視して買ってたが、数年前に部屋を掃除した際、「これ結局封も開けんかったなぁ」と処分に困ったのがいくつかあった。
それから、「これはデザインも可愛いし、使える!!」となったものだけ買うようになった。
さらに、そのlive・ツアー開催に合わせて新しく出たグッズを1つも買わないなんてことも出てきて、時間や金銭に余裕が出た。
以前は、行ける所はぽんぽんぽんぽん行っていたが、最近は1ツアーにつき1か所という感じになっている。
こうなった理由は特にないものの、「音の鳴る場所(liveハウスやホール等)にたくさん行きたい」というのが私の気持ちにあった。
この会場はこんな感じなのかとかここら辺はこういう場所なのかとかを感じたいし、もっと色んな場所に行って経験を積みたいというか。
道迷ったとか降りる駅間違えた・乗り過ごしたとかも含めて(ホントにある)。
前まで「あけおめ〜」とか言ってたのにもう半分が終わろうとしてるように、年月なんてあっという間に流れるから、私もいつの間にか60とかになって体が動かんくなる前に。
行って損はないと思う。今と未来のためにも。
ツアーとかによくあるのだが、今年から1度行った場所よりはじめて行く場所を優先するようになったのも先のことが理由だ。
それが何故か仙台ばかりなのだが、「この先もう2度と行かない」訳ではないし、むしろまた何か機会あったら行きたい。
さて、もう3年以内には30になる訳だが、私はいつまでこの遠征を続けているのだろうか。
時折そんなことを考える。
「年齢なんか関係ない」と言うし、仕事のモチベーションでもあるし、実際今も楽しいからやめたくないけど、いつかはそういう日が来るのを分かっているし、区切りを付けなければいけない。
それは、「音の鳴る場所」を巡る旅の終わりを意味する。
そんな日は近くて遠いのか、遠いようで近いのか。
区切りなんて付けようないから、永遠にそんな時来なくて良いのにな、と考えてしまった。