Chapter 1-3 “科”学と神羅
英語で「科学」を意味するscienceの語源はラテン語の scientia「知識」であるが,scienceのscは「切り分ける」ことを表す(例えばscissors「はさみ」)。分けることは分かることなのだ。
日本語の「科学」は明治初期にscienceの訳語として作られたものだが,scienceは分析・分類をその本分とする。そこで明治の知識人は「分ける」を意味する漢字「科」*を使い,分ける学問「科学」と訳したわけだが,いみじくも科学の「科」は「罪科」の「科」,すなわち「科〈とが〉」であった。ここから「知恵とは――あるいは知恵を意味する科学とは――罪なものだ」といった寓意が得られる。プロメテウス神話と失楽園の挿話,これら二つの物語と今のような言葉遊びの世界が重なってくる。
知恵を持つことに対する相反する感情。以上見てきた通り,これはギリシア神話,聖書に共通して見られる興味深い符合である。と同時に現代のわれわれにも共通する心性といえ面白い。火(知恵)を与えられるということがなんと素晴らしくありがたいことか,しかし同時にそれは盗品**であり,罪なことだという世界観が,神の形に似せてつくられている人間が神の取り扱うべき火(知恵)を扱うようになれば,自らを神と錯覚するだろう,という畏〈おそ〉れがある。
「神羅」というネーミングは神を模す人間の自己神格化を表している。阿刀田高はギリシャ神話を扱う自著の第一章をプロメテウスに充て,こう書いている。
「考えてみれば,人類が他の動物を越えて著しく能力を発達させ,文明を持つようになった,その原点は火の利用にある。火を恐れていた類人猿が火を手なずけたときから人類の進化が始まった。いっさいの発達,発明発見がここから始まっている。発見は発見を生み,発明は新しい発明と繋がり,やがて核兵器を造り,クローン人間を思案し,神を否定するようにさえなる」(阿刀田高『私のギリシャ神話』集英社)
FF7では遺伝子組換やクローニングなど「神の領域」にまで手を伸ばし始めた現代科学のありようも語られており,宝条博士(神羅カンパニーの科学部門の総括)は「科学者としての欲望」に負けて暴走するが,それは我々の世のでも起こりうることなのだ。人体実験や化学兵器といったものは,我々の世界が生み出したものであることを想起されたい。
ヒュージマテリア搭載型ミサイル。ジェノバプロジェクトやセフィロスコピー計画といった生体実験,モンスターの創造(いずれも魔晄がつかわれている)――これら神羅の所行は,まさに阿刀田の記述――「やがて核兵器を造り、クローン人間を思案し、神を否定するようにさえなる」そのものである。
FF7を読み解く鍵
「神羅」というネーミングは人類の自己神格化を意味する
「人類は明らかに,自然界を支配する力を持ちたいという欲望と同時に,そういう力を追い求める自分自身への不信感を持っている。近年のバイオテクノロジーの進歩によって,私たちはこれまで以上の不信感を抱くようになった。そしてなおかつ,その不信感が原始的な迷信なのか,あるいは太古からの知恵なのかを,私たちは判断しなければならないのだ」
(リチャード・ハインバーグ『神を忘れたクローン技術の時代』橋本須美子訳 原書房)原題は"Cloning the Buddha - The Moral Impact of Biotechnology" なかなかショッキングなタイトルだ。
プロメテウスの火は確かに人間に自立をもたらした。だがしかし,それは自滅への可能性をも孕んでいた。
語注
*「科」は「斗」(ます)+「禾」(イネ科の穀物)から成る。収穫した穀物を斗で量ること。転じて区分・等級・条目などを意味する。「分ける」を意味する「科」の例としては知識が「分」類整理された「百科事典」や「科目」などの他,医学の分類である「外科」「内科」など。量刑から「罪科」の意味が出てくる。
**ミッドガルはなぜ八番街まであるのか。プロメテウスが天界から地上に火をもたらす際,大茴香〈だいういきょう〉に火を隠して盗んだとされる。茴香の実は香辛料の「八角」として知られる。ミッドガルのように,8つの袋果が円形に並ぶ。プロメテウスが盗んだ火の在処に相応しい。