FF13考察⑤ / 魔法が使えない明日
この記事では、『FINAL FANTASY XIII』が持つメッセージ性やテーマ性について考察します。あくまで個人の解釈であることを承知ください。
◾️キャラクターが切り拓いた可能性
・レインズの感化
バルトアンデルス受け売りの、世界観に纏わる重要な情報を提供していた男シド・レインズは記事でも度々取り上げた。言うまでもなく、彼はコクーンのルシであって、下界のルシであるライトニングたちとは対立関係にあるはずの人物だ。
けれども、多くのプレイヤーはシドに悪い印象を抱いてはいないはずだ。聖府の改革を志していた生真面目なシドは、最終的に命令主体であるバルトアンデルスを裏切って、その思惑をライトニングたちに打ち明けていた。
プレイヤーが切り拓いた可能性とは、まさにシドを感化させ、傀儡から抜け出す決意を促したことにあるだろう。
右も左も分からないまま、襲い来る敵と向き合うべき過去に追われていたライトニングたちは、事態が好転することを信じて、その歩みだけは止めなかった。そうした一行の振る舞いに、シドは理想を抱いていたころの自身の面影を重ね合わせ、未来への希望を取り戻すための闘争にその身を投じた。
結果的にシドは戦いの中で散っていったが、彼の告白によりライトニングたちは進むべき道を見失わないで済み、その後の展開に目的意識と能動性が与えられていた。幻惑に長けたバルトアンデルスの言葉に、最後までライトニングたちが惑わされずにいられたのも、これゆえだろう。
・可能性の力(召喚獣)
もう一つの切り拓いた可能性とは「ラグナロクの温存」だ。
ファングがラグナロクを発動した際のことを思い出して欲しい。その規模はヴァニラによるものと比較しても些か小さく、弱々しくすらあった。記事④では「ファングのラグナロクは失敗が運命付けられていた」としたが、それを踏まえてもどこか違和感が残る。
最終兵器の規模感の差異にも、何か理由があると見ていいだろう。
これまでの考察からも、ラグナロクは使用権がある都合上、個人での発動を前提にしていることが推測できる。そのため、エンディングにおける二人の融合は異常事態であって(以前の記事ではこの異常を作中唯一の「奇跡」としていた)、融合により最終兵器の規模が拡大したとは考え難い。
残った可能性は、ラグナロクがもつ魔力吸収の特徴だ。吸収した魔力の多寡によって、ラグナロクの規模に差異が生まれていた可能性は十分にある。これについては、ラグナロク発動時のそれぞれの状況を改めることで確かめられる。
まずファングの発動に際しての、周囲の魔力の源泉は、同道していたパーティーメンバーと相対するファルシ=オーファンのみであった。仲間の魔力が吸収されていた可能性については前回の記事で触れたために省略するとして、ラグナロクはファルシの消滅が目的の魔法なのだから、当然眼前のオーファンからは魔力を吸収できない。このことからも、ファングはラグナロク発動に際して、利用できる魔力が極めて少ない状況にあったと分かる。
これに対して、ヴァニラの置かれていた状況では、周囲に莫大な魔力が漂っていた可能性が高い。
今一度、ファルシ=アニマが破壊された場面を思い出して欲しい。アニマがPSICOMの攻撃によって破壊されると、墜落先のビルジ湖では広範に渡って、波打つ水面がクリスタルへと変化していた。また高所から落下したはずのライトニングたちも、全員が無傷のままに着地を果たしていた。
実は最終シーンにおいても、同様の不可思議な現象が起こっていることが分かる。ファルシ=オーファン打倒後、場面が切り替わった直後のパーティーメンバーは、どうしてか中空を浮遊していた。
クリスタルとは魔力結晶であり、アニマ破壊時には、その周辺領域で魔力の影響があったことが理解できる。そして人間と比べても多量の魔力を溜め込むファルシが、機能停止に際して魔力を流出していたとしたら、ビルジ湖一帯がクリスタルに染まった要因の補完もできる。
そもそもコクーンが浮遊大陸であること、またライトニングが支給されていた重力を操る道具からも、世界には重力魔法が存在していることが分かり、一行の空中浮遊も魔力の作用によるものだと理解できる。
オーファンも例に漏れずファルシであるため、機能停止に際して莫大な魔力を放出し、ヴァニラ・ラグナロクはこれを吸収したことによってコクーンを支えるだけの力を手にしたのだろう。
そして、この結末に辿り着くためにも「ラグナロクの温存」は欠かせないのだ。
これまでも、ラグナロクとはファルシを消滅させるための仕組みであることを語ってきた。これについて「ラストバトルなんてせずとも、もっと早くに最終兵器を発動していれば話は丸く収まったんじゃないか」という考えが頭を過った人も少なくないだろう。実は、その考えは妥当ではない。
ラストバトルの直前にて、黒い烙印を保持した、つまり最終兵器の使用権を残していたルシはヴァニラ唯一人だった。そして、この最後の切り札を戦闘前に切ってしまっては、発動にかけてオーファンの莫大な魔力を利用できないことになってしまう。当然、墜落するコクーンを支えることも不可能になり、セラの願いは達成されず、結末としても望ましくないものになっていたはずだ。
だからこそライトニングたちは、ラグナロクを温存したままオーファンを打倒する必要があった。
リンゼにより創出された、人間を管理するための“頭脳”と“魔力源”が融合を果たした「オーファン」という悪夢。その打倒が、魔法を少しばかり使えるだけのルシにとって、どれほどの困難を極めるかは想像に難くない。
けれども同時に、人間にも確かに培ってきたモノがあった。黙示戦争を通して知ってしまった恐怖、そして恐怖を乗り越えるために向き合う必要のあった葛藤、葛藤に向き合った先で手に入れた力。神のシナリオには無い「召喚獣」という名の片割れは、人間が切り拓いた可能性の力であり、困難に向き合い続けてきた彼らだからこそ、欠けることなくその真価は発揮される。そうして六人と六体の力が合わさったことで、大番狂せは成し遂げられたのだ。
◾️メッセージ、テーマ性
・「決意」
公式の掲げる一つのテーマ「決意」は、諦めることなく困難に向き合い続けたキャラクターと、そしてエンディングにまで辿り着いたプレイヤーに相応しく、これまで辿ってきた道のりを想起させるだろう。
作中で頻出した「信じる」というキーワードも、決意に至るために欠かせない、期待や希望の存在を示しているはずだ。
より良い未来、より良い結末を信じて歩み続けたからこそグッドエンドは待ち受けていたわけで、作品を締めた最後の台詞もきっと、終幕の先のキャラクターたちが明るい未来を掴み取る可能性を提示していたのだろう。
・「家族」と「自立」
アニマが消滅し、ルシの烙印から解放されたキャラクターたちは、魔力の流出が止まって魔法を使えなくなっている。
クローンは初めに子孫を残すための愛を持ち、黙示戦争で恐怖と葛藤を覚え、神の死によって争いが身に付き、そして最後には魔法を使えなくなった。そうして、名実ともに「人間」となった彼らの獲得と喪失の歴史は、子供が大人へ成長していく姿と重なるものがある。
ファルシからの施しを絶って、過酷な下界で頼るものも無いまま、それでも未来を信じ歩み続けなければならない姿に、自身の過去を見るプレイヤーも少なくないはずだ。もちろん、これからそうした困難に立ち向かわなければならない人もいるだろう。
また物語には、多くの家族のかたちを見ることができる。
両親を亡くし、妹を守るために親から貰った名前を捨てたライトニング。その幼少期を孤児院で過ごし、家族を持つことに憧れたスノウ。片親の下で育つ息子を心配し、守り抜こうとしたサッズ。母の死に戸惑い、父と心を通わせたホープ。血の繋がりは無くとも、600年の時を超えてお互いを想い続けたヴァニラとファング。
彼らは大切な人を想う気持ちを蔑ろにすることなく、繭を破って未来へと羽ばたいていった。
「家族」と「自立」は対立しない。
作品は家族愛を描きながら、たとえ魔法が使えなくとも今を必死に生きる人々を、前向きに送り出そうとする意図が籠められていたのかもしれない。
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