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週末に大学の恩師が主催する長野県上田市での別所温泉合宿に参加した。

恩師は現在71歳で既に大学は退任されている。しかしゼミのOB、OGの方々、そして私のようなゼミ生でもなんでもないただ授業を履修していただけの学生とも今でもこうして機会を作りそれぞれの学生の成長を見守っていてくださる。

毎回恩師会うたびに、そして恩師の周りに広がる人の輪と出会うたびに自分がすーっと引き戻されていく感覚がある。

定期的にお会いすることで、普段は埋もれて見えなくなりがちな、そんな大切なものに出会い直す。

その感覚はいくつかあるのだが、
そのうちのひとつが

「自分に素直に生きる」

というものだ。

こうして感覚を文字にしてみると至極当たり前のように見えるけれど、これを日常生活の中で実践するのはなかなか難しい。

そしてすぐに埋もれてしまいがちなのだ。

恩師は大学卒業後伊藤忠商事というめちゃめちゃバリバリの企業に就職し、27歳まで働いていた。

しかしその後、どういうわけか仕事を辞めたくなってしまった。

その当時大企業を辞めるということは
まずもって考えられないことで、
当然みんなに反対された。

しかし彼は辞めたくなってしまったのでやめた。

そして1年間世界を放浪した。

帰ってきたのち定職にはつかず、様々なNGOで活動した。
その活動の一環で講師として呼ばれた大学でのちに教授となった。

教授を退任した今は時々自分の山小屋で自然と遊んでいる。

この人生だけ見ても恩師がいかに自分に素直に生きてきたかがわかる。

このような人生の背後にはある大きな出来事がある。

それは以前唐突に恩師から語られた。

30年ほど前に突然前立腺がんが見つかった。
見つかった時にはかなり重度になっていて医師からは手遅れだと言われた。
宣告された余命は一年
あまりにも短かった。

彼はそこで自分の持っていた学生を思った。
博士の学生はどうする、修士の学生はどうする。
自分が死んだら彼らはどうなると。

そして生きねばならぬと思った。

しかし彼は放射線治療などは受けなかった。
もし自分が病院に入ってしまうと彼らの研究は止まってしまう。

それに一年の余命
明日死んでもいい、という思いで毎日を精一杯楽しく生きる。
それで死んだらそれまで。

そう考えて最低限の薬だけもらい普段とは変わらぬ日常をおくりながら治療をしていく決意をした。

明日死んでもいい、後悔のない今日を生きる
その精神ですでに恩師は30年生きている。

これを聞いたときになぜ私が恩師のもとに戻ってくるたびに
「自分に素直に生きる」という感覚に戻ることができるのかがわかったような気がした。

恩師は常にそれを体現し、私に自然に語ってくれる。

情報だらけの現在
予測できない未来

お金、仕事、生活、介護…心配の種はいくらでもある。
そして溢れる情報が常に私たちにこうした方がいい、ああしたほうがいい、まだ足りない、もっともっとと畳みかけてくる。

不安や恐怖で私を情報の海にダイブし漂う。

気がつけば自分は何をしたかったのか、何を本当に求めているのかがわからなくなる。

情報は常に私の目を曇らせる。

恩師はスマホどころか携帯すら持ち歩いていない。
大学でメールアドレスを持つことを強いられたために退職してもそれを使っている。
よって彼と連絡を取る手段はメールだけだ。

つい数年前までそういう時代だった。
情報は私たちが「自分に素直に生きる」
ことを阻害してくる。

ありのままの恩師の姿にこの週末も救われた私だ。


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