切れた糸
あと一本レポートを書き終えれば夏休みだ。
最近何かの糸がぷつんと切れて帰省した。
期末テスト週間をなんとか乗り越えて友人の住む三重で流しそうめんやらスイカ割りやらと夏の風物詩を楽しむ夏合宿を行った。
本当はそのまま東京へ帰ろうかと思っていたのだが私の限界がきたらしい。
友人の前で大号泣し「実家に帰りな」と帰された。
色々な予定をキャンセルして丸二日間実家で過ごした。
実家に到着し驚いたこととしては、自分の中の見えない疲れがこんなにも溜まっていたのかということ。
夜22時には溶けるように眠くなり、結局12時間くらいぶっ通しで寝た。
今一人暮らしの家に帰ってきたのだが朝方4時頃に大抵一回は起きる。
夜も遅くまで眠くならないことが多い。
そして家では本当にだらだらした。
実家以外の場所で私がぽけーっと何も考えずにいられることはあまりに少ないのだとも感じた。
かなり田舎の家なので入ってくる情報量が少ないということもあるのだろう。
家の前には大自然(森)
家の庭も大自然(雑草が生えまくっている)
団地の一番上の家なので人通りも少ない。
蝉の声、ひぐらしの声、木の葉の触れ合う音、水路の水の音
そんな音しか聞こえない。
刺激される神経も少ないから考えも浮かんでくることはなく凪であれるのかもしれない。
今はこうして実家の田舎さに救われているが実家を出るまでの私はとにかく家から出たかった。
地元はどこへ行くにも車がなければならず、とりわけ楽しいことも行きたい場所もないと思っていた。
しかし出てみて戻りたいと思う。
今回の東京からの逃避で何度も聞かれた問いは
「どこで働くのか」だ。
何も東京にこだわる必要はない。
自分の体はすでに合わないことを悟っている。
しかし私は常に自分の環境に満足することができない性分らしいということも最近わかってきた。
海外にいる時は常に実家に帰りたいと思い、
日本にいる時は常にでたいと感じる。
東京にいる時は田舎へ逃げたいと思い
田舎にいすぎると少し刺激が欲しくなる。
欲しかない。
欲まみれだ。
「与えられた場所で満足すればいいのに」
「しょうがない」と思って開き直ってしまえば楽なのに
と母からは言われる。
与えられた場所、時代、社会、環境に満足できない。
そういう性分の自分が嫌いでもある。
と同時に
「もっと居心地良く生きることもできるのではないか」
と既存のシステムを真っ向から疑ってかかることもできる性分だとも思っている。
「帰りたいと思える場所があるっていいじゃん。
実家に住んじゃうと帰りたいとも思えないよ」
と母から言われた。
確かにそうかもしれない。
今は1人に慣れるリハビリ期間。