私はアルパカが数えられない
私はアルパカが数えられない。
11月の中旬から1週間に一度だけ、輸入雑貨の卸売をしている会社でアルバイトをしている。
その会社は雑貨のデザインからサンプルの作成、営業から出荷まで全ての工程を一つのビルで行なっている。
そこまで大きな会社というわけではないが、取り扱っている雑貨は多岐に渡り東南アジアからインド、南アメリカからアフリカまで。
様々な国から雑貨を輸入し売るとともに、自社でも商品をデザインする。
デザインした商品は主にインドで作られ、日本に輸入される。
この会社の取締役であり次期社長とひょんなことから共通の教授を通して知り合い、意気投合。
アルバイトとしてお試しで、とりあえず週に一回8時間会社に来てみてはどうかという流れになり現在に至る。
とは言いつつ家のある吉祥寺から、ビルのある新木場までは私的にはかなり距離があるので、本当は週に2〜3回来てほしいといわれているところだが渋っている。
静岡の、ど田舎出身の私としては、朝の満員電車は3分でもうギブアップ。
それを1時間以上かけて週に2〜3度通うとなると
身体的な疲労とともに、心理的な疲労により働く前に精神科にいくことになりそうだと感じたのだ。
社員さんの中には埼玉や、神奈川の端から毎日通勤している方も多いとのこと。
吉祥寺はまだ近い方だと言われ、発狂するかと思った。
この文章だけでも、私がだいぶ腰抜けであることは、誰にも容易に想像がついてしまうだろう、、。
そうなのだ。
この週に1度8時間だけなのに私はすでに心理的ダメージを受けている。
そして昨日がその出勤日。
次の日である今日、こうして一日中家に籠りながらひたすらに病みちらかしている(どうでもいいけれど、こんな日本語あるのだろうか)
先週の出勤日、私はその日ペルーから届いた雑貨の品数が伝票に書かれたものと合っているかの確認をする業務を言い渡された。
大きな段ボールの中には、色とりどりのクリスマスオーナメントや謎のふくろう。
そして、大量のアルパカの人形。
オーナメントやふくろうまではよかった。
それぞれ品数は50個程度だったので、机に並べながら数えられる。
そう、ここまでは良かった。
問題はアルパカなのだ。
手のひらサイズのアルパカの人形。
本当にリアルなアルパカの毛で作られており、頭から体まで普通にアルパカ。
これが360個、段ボールに入っている。
このアルパカを60個ごと、大きなビニール袋に入れていく。
まず机の上に並べてみる。
そして60個ごとに袋にいれていくのだが、
何度やっても何個まで入れたのか忘れてしまう。
2、4、6、8、10、2、4、6、8、10、、
と数えながら指で今何回10を数えたかを確認していた。
しかし何度やっても何個まで数えたかわからなくなってしまうのだ。
やっとの思いで3回数え直し、360個あることを確認。
次は同じくアルパカの毛で作られた、アルパカの顔のキーホルダーである。
これは300個。50個ずつ袋に入れていく。
先ほどの360個で私の頭はかなりやられており、なんだか数えているうちに吐き気がしてきた。
途中からアルパカごとぶん投げたくなってしまう衝動に駆られ始める。
(本当に、アルパカにも作ってくれた人にも申し訳ない)
深呼吸、深呼吸。
深呼吸したら、なぜ私はこんな苦痛に耐えながらアルパカを数えているのかが
わからなくなってきてしまった。
このアルパカを数えることが、私の人生のなんの役に立つのだろうかと。
そんなことを考えながら、結局こちらも3回確認してやっと全てのアルパカを分け終わった。
なぜか2個だけ、仲間はずれのアルパカキーホルダーがいたけれど、3回も確認したのだからおそらく元々302個だったのだろうと思った。
それから他の業務に移り、退勤時間となった。
直属の上司の方から呼ばれ行ってみると、
「アルパカ、302個じゃなくて297個だったよ」
と言われた。
上司の方は非常に優しく、とりわけ注意されることはなかったが
その優しさがむしろ苦しかった。
アルパカさえ数えられない、そんな自分が嫌になった。
そして昨日。
今度はゾウを数えられない問題にぶちあたった。
毎年恒例らしい、年末の棚卸し作業。
この会社は6階建てであり、ビルの4、5階は
これまで集めてきた雑貨の展示ブースになっている。
この展示ブースにある雑貨たちの値段と、個数、どんな雑貨があるのかを
毎年手作業で数えているらしい。
インドの神様からネパールの仏像。
よくわからないお面や不気味な人形まで本当にたくさん埃をかぶっている。
おそらくこの子たちが日の目を浴びるのは、この年末恒例の棚卸し作業の時だけなのではないかと思いながら作業を進める。
そして、問題の象だ。
カタログのような、商品の写真が載せられている紙を渡され、
紙に書かれた商品とその個数の照合をしてほしいと言われた。
みると
「木彫り象L
木彫り象M
木彫り象S
木彫り象SS
木彫り小象L
木彫り小象M
木彫り小象S
木彫り小象ミニ」
の項目とともに、それらの象の写真。
そしてそれぞれの個数と大きさのセンチメートルが書かれていた。
しかし写真とはいっても、全て象。
全部おなじ。
全部で15個あるはずなのだが、実際に目の前にある象の個数を数えると
14個しかない。
1個だけないのだ。
しかしどれがないかが全くわからない。
昔から大体何センチという感覚が分からず、苦労してきたが
ここでもやっぱりわからない。
どの象を見ても、自分がそのサイズだと思うものの個数と実際に紙に書かれた個数が違う。
だんだん頭が痛くなってきてアルパカ病再発。
(ごめんねアルパカさん。君たちにはなんの罪もないんだ)
あーもう!
どの象も、象だからなんでもいい!
結局勢い余って、横で棚卸しを一緒にしていた上司の方に
「私、象数えられません!」
といってしまった。
所詮週に1度しか来ないアルバイト。
できる業務が限られることは、自分でもわかっている。
そして、自分の努力不足なのだということも重々承知である。
しかし、しかし人間にはどうやら
その人にとっての向き不向きがあるらしいのだ。
この話を母に電話でしたところ
「え〜私だったら、アルパカさんかわいいね〜って思いながらやるかな〜」
と言われた。
そして挙句の果てに
「たぶんね、無理だと思うよ。あなたには。」
短歌か!とツッコミをいれたくなるような一句を詠まれる始末。
昔からそうだった。
母や妹は、何不自由なくできることが私にはできなかった。
私の妹はメルカリで自分の推しキャラのグッズを華麗に売りさばき、
その売上額で新たな推しグッズを着実に購入している。
そんな妹を見て、いざ自分もやってみるぞとメルカリを開設し
いらなくなった本たちを出品してみた。
しかしそもそもメルカリからの通知設定ができておらず、
売れているのに通知が来ない。
久しぶりにメルカリのアプリを開いて見たら、
なんとまあ
本が売れているではないか。
急いで出品しようとしたところ、梱包の仕方がわからず
妹に聞き、セブンで発送しようとしたところ
発送方法が分からずもたもたしている私に、
店員さんはイライラしたのか早くしてくださいと言われる。
こんな感じなのだ。
私は。
新品の服を着れば、タグを切るのを忘れそのまま普通に街に繰り出す。
すぐ服に何かの汁をこぼすし、その取り方もわからない。
コンビニでは、何を食べたいのか全然決まらずに30分くらい
余裕で滞在してしまう。
常にがま口の財布からお札を出すのがおそく、
出したお札は何重にも折れているので店員さんに怪訝な顔をされる。
傘は、さっきまで持っていたのにどこかにすぐに置き忘れるし
置き忘れたことすら忘れている。
母や妹と二人で買い物に出かけると
いつも「私がいなかったら普段どうしてるの?」と言われる。
自分の不注意だから、気をつけて直すことができる部分も多いと思う。
でも、あまりにも直すところが多すぎて嫌になった時は思い出していることがある。
私の友達の中の一人が来年国家公務員として働く。
彼は文部科学省で勤務するらしい。
そんな彼がよく言っていたことがある。
自分はカフェでアルバイトをすることにずっと憧れがあった。
しかし実際に働いてみたところ、注文をとるのを忘れる、急かされるで耐えられず
1週間ほどで辞めたらしい。
だから飲食店で働いている人には頭が上がらないのだと。
一見万能で、国の政策を考えられる人もカフェで働くことはできなかったりする。
私には何ができるかは分からないけれど、できないことが多い分
他にできることがきっとあるはずだと信じている。
(というか信じたい、、)
まだ、自分を活かせる仕事や、環境が見つかっていないだけ。
そう自分を正当化させて、家から一歩も出られずに、泣き続けた今日という日に終わりを告げて、明日を生きようと思う。
生きるための正当化も、たまには必要、、だよね。