自己肯定感、不当に下げられてませんか?
はいどうもこんばんは、硫化鉄です。というわけでー。
この日本がギスギスした空気になってきちゃってるなぁ、と思ってこのシリーズを始めたわけなんですが、同時にもう一つ、気になっていることがあるんですよ。
それは、今回のタイトルにも書いていますが、日本人の自己肯定感がどんどん下がっている感じがするんですよね。
ギスギスした空気とこの自己肯定感の低下、因果関係があるのか相関関係があるのかはわかりません。が、何となく同じ変化の上に乗っている感じがします(個人の感想です)。
僕は仕事柄、子供たちと接する機会がめちゃくちゃ多いんですが、なんかね、肌感で感じるんですよ。もちろん、個人差はありますけどね。
小中学生の頃って、こんなに失敗を恐れる年ごろでしたっけ?
宿題の答えを順番に指していっても絶対に答えない子も結構います。やってきてないわけじゃない。自信が全くないわけでもない。でも、もし間違っていたら嫌なのか、答えないんですよ。そして他の子が答えて、自分が正解だったことがわかると「ぼく合ってました!」と言ったり。
授業以外の時間で質問に来た時も、ヒントを出して誘導して「式書いてごらん?」と言っても書かない。「正解」であることが確認できるまで自分の答えを表明しない子、結構いるんです。
まるで失敗すると自分の存在が許されなくなると思い込んでいるかのような子までいたりします。
これって、何が原因なんだろう?
どうも僕は、ここに「自己肯定感の低下」が絡んでいる気がするんですよね。
自分というものを肯定できない、他人からいつ否定されるかわからないと恐れている人、子供に限らず増えていると思います。
だから自分を出せない。確認できた「正しいこと」しか言えない。自分が成功した事、正しかった事について、少し過剰なまでに主張するのも同じところに端を発しているんじゃないでしょうか。
子供の世界だけでなく、社会人の世界でもこの傾向は見られます。
これが高じてしまうと、「成功した事」や「正しかった事」ではなく、「自分はかわいそうな状況にある」ことを主張するようになってしまいます。
子供のケンカでも、仲裁に入った大人に対し、自分の主張の正しさより先に「相手の悪いところ」「自分がかわいそうなところ」を訴える子、いますよね。
こうして自分の居場所、権利を確保しようとするわけです。というか、それらを他の人に承認してもらおうとする、と言った方が正しいのかもしれません。
これは、自分で自分を肯定できないから、他人に保証してもらわないと安心できない、という心理が働いているんじゃないかと思うんですよね。
でも、これ、続けていると、自己肯定感はさらにどんどん下がってしまいます。不安になります。悪循環なんですよ。
本当に自分を肯定できるのは、自分だけなんです。
じゃあ、どうしてこんなに自己肯定感が下がってしまったのか。
原因は色々あると思うんですよね。だから逆に、自己肯定感ってどうやって醸成されるんだろうか?というところを考察して、自己肯定感が低下した理由を逆算してみたいと思います。
1・親からの愛情
2・他人との濃いつながり
3・自己の成長・自己実現
4・自分はどうして生まれてきたのかを知る
今ちょっと思いつく限りで4つ、挙げてみました。一つ一つ考えてみます。
1・親からの愛情
これはもう、自己肯定感を醸成する基本のキ、でしょうね。
物心つく前から、自分の生命も何もかも、何の疑いもなく委ね切ることのできる場所です。どんなに失敗しても、悪さして怒られても、最後まで向き合い受け入れてくれる。何の心配もなく「自分が存在していい場所」です。
小さいころ迷子になった時の絶望感。初めて一人暮らしをした時、解放感とともに味わった「何かから切り離された感じ」。すぐに忘れてしまっても、たまに実家に戻ると思い出すんですよね。
何の理屈もいらない、当たり前に自分がそこにいることを許されている空間が、いかに心を温めてくれるのか。
自己肯定感の根源は、ここにあるのでしょう。
2・他人との濃いつながり
子供が外の世界に出るようになると、最初に出会う他人が「友達」ではないでしょうか。
幼稚園や保育園、小学校中学校…と交友関係は広がっていきます。
友達は、それまでに関わってきた家族とは違う、考え方や価値観の異なる存在です。だから当然ぶつかることもあるし、我慢したり喧嘩したりという事も当然起こります。子供たちはこの衝突を通して、自分と違う考え方がある事を知り、受け入れあって友達関係を築いていきます。
大人になってからの友人とは違い、学生の頃の友人や幼馴染は利害関係を気にせず付き合える存在です。こういう付き合いを作り上げていく事も、自己肯定感を高めていく要因になるのでしょうね。
3・自己の成長・自己実現
人間、何かを成し遂げることで自信がついてきます。つまり、自己肯定感が高まります。「自分は、やればできるんだ」というわけですね。しかも実績があるわけですからこれはかなり強い。
成し遂げる何かは何でもいいんです。試合に勝ったとか、ダイエット3キロ成功したとか、今までできなかった事ができるようになったとか、誰かと分かり合えたとか、自分の中の嫌いな部分を克服したとか。
このような事を積み上げていく事で、自分の立っている「自己肯定感の足場」はどんどん厚く、強化されていくわけですね。
4・自分はどうして生まれてきたのかを知る
これは、1の「親からの愛情」をさらに強化するものです。何故自分が生まれてきたのかを知れば、何があっても、無条件に「自分はこの世に存在していいんだ」と思う事ができるわけです。
この自分の生まれてきた理由。
自分が生まれて来たのは、両親がいて、数億分の一の競争を潜り抜けた証です。そしてその両親も、同じ奇跡の末に生まれて来たわけです。そして祖父母、曾祖父母……営々と繋がってきた先祖の奇跡の軌跡。その末に自分がいるんです。もう存在するだけで奇跡中の奇跡なわけです。そんな奇跡の化身が、存在してはいけないなんてあり得ないでしょ。
その奇跡に恥じないように、立派に生きていく事が、自分が生まれて来た理由であるはずです。
つまり、自己肯定感が下がっているのは、この4つのうちのどれか、またはその全てが不十分である可能性が高いのではないかと思います。
1・親からの愛情
昔に比べ、家族というものが随分希薄になっているように感じます。家族より個人。親である前に一人の人間なんだから、その権利は最大限に認められなければならない。
つまり、子どもにとって、親が無条件に自分を守ってくれる存在ではなくなってしまっているケースが増えているのではないでしょうか。子供より、家族より、自分の事が優先。それが良い事なのだ、という思想が広まっているように感じます。
家族を大事にしよう、と言うだけで批判するような人たちもいるくらいです。
この状態で育ってしまっては、自己肯定感の基本の部分を醸成するのは難しいでしょう。
2・他人との濃いつながり
いやぁ、ケンカしなくなりましたよね。「暴力はいけません」「争いは良くない」それはそうなんでしょうけど。
子供たち同士ですらもう本音をぶつけ合わなくなってきています。表面上仲良くはしているけど、相手が本当に何を考えているのかわからない。自分の考えていることを相手に言わないのだから当たり前です。
軽い口喧嘩レベルが起きたとしても、お互いの本音をぶつけ合うんじゃなくて、子供ながらにマウントの取り合いみたいなことをやっていたりします。それで深くわかりあっていければいいんですけど……そうはならないんじゃないかなぁ。
だから昔と違って、一度ケンカをしてしまうと、仲直りするケースはあまり見られません。
そしてここで下手をうつと……いじめが始まったりするんです。
3・自己の成長・自己実現
批判を覚悟で言いますが、自己肯定感の低下の原因の一つに、「そのままでいいんだよ」という無責任発言があると僕は思っています。
自己嫌悪に苛まれている人を肯定してあげないのは、その人の自己肯定感を下げるんじゃないか、と思われそうなんですが。
僕は全然違うと思っています。
もちろん、その人の個性を否定して「変われ」と言うわけじゃないんです。その人の価値観や個性は当然「そのままでいい」。
でも、現状ではその人は悩んでいるんです。つまりそのままの状況でいいわけがないんです。
人は、それぞれの中に、それぞれの「理想の自分像」があると思います。明確に意識していなくても、あるはずなんです。自分の嫌なところを直したい、とかもその一種です。
その「理想の自分」は、もちろんそのままで持ち続けていい。他人に合わせる必要なんか一切ない。その人だけの物であり、そしてその人以外にはなることができない素敵な人物なわけです。
だから「そのままでいい」ではなくて、その理想の自分に、一歩でも近づいてほしいと僕は思います。ゆっくりでいい、自分のペースでいいから、そこに近づいてほしい。
「そのままでいい」は優しい言葉なのかもしれませんが、そのままで変わらずにいる事は、その人の自己肯定感を下げることにつながると思います。理想の自分から逃げてしまっている事を、本人は無意識のレベルでわかっているから。
4・自分はどうして生まれてきたのかを知る
先祖とのつながりを大切にする文化が失われて来ている気がします。お盆は単なる行楽の連休になってきていて、お墓参りをする人も減ってきてしまっているのではないでしょうか。
家族や先祖を大事にすることは、他人同士でもお互いを尊重することにつながります。相手にも同じようにご先祖様がいて、歴史をたどってその人が存在していると認識するわけですからね。
そもそも、日本人は先祖をたどると必ずどこかでつながっているんですよ。つまり日本中が家族と言うわけです。それがわかっていれば、お互いを尊重でき、みんなの自己肯定感も上がります。
しかし、日本では、先祖と現在の自分とを分断させようとする言説が幅を利かせています。
特に戦前を完全に「悪」とすることで、先祖や歴史を否定する勢力がいて、何故か力を持っています。
この「歴史との分断」も、自己肯定感を下げている大きな要因になっていると思います。
家族より個人
本音でぶつかる事の否定
「そのままでいいよ」という無責任な「優しさ」
先祖や歴史との分断
これらが、この日本に生きる人々が自己肯定感を失わされた原因なんじゃないかと思います。
また、もっとダイレクトに「日本人なんか駄目だよ」って言っちゃう人もいますしね。
他人の自己肯定感を下げる行為は、暴力に等しいと思っています。
日本に生きる僕たちが、自己否定するように仕向ける言論の暴力。
こういう方向に持っていこうとする人々から、自分たちを守っていきましょう。
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