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#021 『万年筆談義』 まえがき

 そこに行けば万年筆の情報を豊富に得ることができる。万年筆談義をすることができる。一人でも参加できる。万年筆に関する企画を立てることもできる。ミニ学習会や教室を開くこともできる。そこには修練を重ねた職人がいて、時間をかけて修理やペン先調整をしてくれる。クライアントが納得できるまで職人は付き合ってくれる。
 自由度が高い。技術力が高い。大人の遊び場として究極のもの。
 このような理想的な空間を多くの人が長いこと望んでいた。しかし、これらの条件を全て満たすことなど考えられないことだった。場所はどうする。誰がやる。資金はどうする。一瞬にして理想と現実の差の大きさを理解し、無謀な夢だと諦めるしかない。そのようなことは実現不可能だと誰もが考えた。
 しかし、諦めなかった男がこの地球上に一人いた。しかも日本に。それがWAGNER主宰者の森睦さんだ。彼は約30年間、万年筆の修理とペン先調整の修練を重ね、万年筆に関する情報を収集・整理をし、万年筆関連の人脈をつくり、万年筆談義が可能な空間を追求し続けた。そして、ついに2018年8月、その夢のような空間「万年筆談話室」を作り上げた。
 なぜ森睦さんはそのような空間を立ち上げようと思ったのか。なぜ、それを実現できたのか。そもそも森睦さんとはどのような人物なのか。私は、森さんとは長い付き合いになるが、森さんの行動力に圧倒されっぱなしである。
 画家・古山浩一さんの2011年のブログにこのようなことが書かれている。
 「一昔半前、森さんとでべそちゃんと私の3人で万年筆の殿戦をどう戦うかという話になった。でべそちゃんは萬年筆くらぶと『フエンテ』。私は職人の記録保存。森さんは日本で本格的な、万年筆の売り買いや交換ができるペントレーディングを立ち上げた。さらに万年筆研究会WAGNERを設立。万年筆の啓蒙、記録を推し進めた」
 過去の記録を遡ってみると、「2006年12月26日(火)のフエンテの忘年会の与太話でPen Collectors of Japanの立ち上げが決定」とある。このような記憶も遠いものになりつつある。
 1990年前後の日本では万年筆店が次々と閉店し、文房具店での万年筆売り場は縮小されていった。
 鳥取の万年筆博士の山本雅明さんから、
「私は万年筆の殿戦を闘って店を閉めます」と言われた。
 精一杯やった結果としての決意。あれは胸にじいーんときた。心に沁みた。世の中の大きな変化には、誰も抗うことはできないのか。
 そのような時期、まだ40歳過ぎだった森・古山・中谷の3人は、万年筆業界の人間でもなんでもないのに、いま自分たちにできることは何かと酒を飲みながら話し合った。万年筆が酒の肴であった。
 古山さんという人は酒が入るとやたらと理想と現実の距離が縮まる。そして責任論が出てくる。
「理想を実現していくことが人生であり、理想を実現しないということは責任を果たしていないことだ」
 と断ずる。
「自分の人生に責任を持たなくちゃいけないんだよ」
 と話し相手に迫る。古山さんの頭の中には、芸術の世界で生きている自分の姿があり、常に理想を求めている自分があり、追究しているテーマがあるからだろう。そして、
「人生に責任がもてないなら生きている意味はない」
 と言い切る。
「何のために生きているんだ? 自分の責任を果たすためだろう!」
 と言い放つ。そして、責任を果たさない人間を、
「許せない!」
 と断裁する。
 このような議論(?)を、夜を徹して何度やったことか。
 あの頃は、今日のようにネットが充実している時代ではなかった。点に過ぎない3人が、ただひたすら自分ができることをやり続けていたら、多くのドラマが生まれ、なんと20数年が経ってしまった。

 ここらでちょっと立ち止まって、ゆっくりと万年筆の話をしたくなった
 私たちにしか書けない殿戦の一場面とも言えるものもあるかと思う。
 そのような思い出話を経て現在を見るとき、森さんがオープンした「万年筆談話室」の真価が見えてくるかもしれない。古山さんの言葉を借りれば、理想を追求して責任を果たしたということだ。もっとも、森さん自身にはそのような自覚はないであろうが。
 過去があり現在があり未来がある。これらの橋渡しの役割を、この書籍が果たしてくれれば幸いである。




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