【気になる④】学校現場で「マジョリティ性/マイノリティ性」を意識して活用する

1 「先生」がもつ特権

ランクが低い方にいる人は、高い人から踏みつけられるような痛みを感じるが、ランクが高い方にいる人は、気づかないことが往々にしてあります。

教員は子どもに対して、人数こそ少ないですが、立場や権力が強いです。マジョリティであり、ランクが高い側です。偏見や差別をしているつもりがなかったとしても、無自覚に傷つけてしまうことがあります。

教員になったのが「学校が好きだから」という理由であれば、おそらく子どものころから学校においてマジョリティ性の経験が強かったものと思われるので、なおのことです。
「学校が好き」とまでいかないしても、「学校に特に抵抗がない」というだけでも、つまりマイノリティとしての苦しさをそう感じる機会はなかったということではないかと思います(毎日勤務する場として、心理的に抵抗のない場所を選ぶのは、自然なことなのですが)。

つまり、マイノリティである子どもの気持ちを想像しづらいことがあります。子どもの中でもさらに、マイノリティ性の強い部分がある子どもにとっては、二重三重で、なおのことです。

自分が子どもだった頃、先生の無理解に、理不尽さや不自由さを覚えたことがある人もいるのではないでしょうか。誰もがなんらかの経験はあるのではないかと感じますが、どうでしょう。

健康状態、家庭の事情、学力や運動能力。
障害とよばれるもの。
ルーツや人種、日本語力。
コミュニケーション力や、器用さ、要領の良さ。
心理的な安心が育まれているか、のような、目に見えにくい部分も。

そして、【気になる③】までに書いてきたように、
できるできない以前に立ちふさがるものがあり、
それは一朝一夕で即なんとかなるものばかりでもありません。

「かわいそうに」と憐れむのは上から目線の現れです。
「しかたないよね」は単なる諦めです。
「気合いで頑張れ」は無責任な叱咤ですし
「大丈夫だよ安心して!」でも安心できません。

自分のマジョリティ性を自覚していくと、
こうした言葉が変わるように思います。
これは、
気をつけても気づかないところはあるので、
気をつけても終わりはないと思っています。

2 子どもにどう拡げる

先生が想像力を拡げる努力をするのと同時に、
子どもたちの想像力も拡げることが、
できるだけ誰もがいやすい場づくりにつながると思っています。

教室の心理的安心安全というのは、
できなくてもいいよーとか、しからないよーとか、
そんなことではなくて、
いかに教員がランクに自覚的であるか。
マイノリティ性について知り、気づき、想像し、
どうしたらその「不自動ドア」をやわらげたり取り除いたりできるか、
ということだと思っています。

そして、そうしやすい集団づくりに、
構成員の主体である子どもたち自身の力、
集団の力はとても強いです。
人生の序盤でその走り始めをサポートするのは、
その後もそう助け合っていってほしいと願うからです。

3 私が日々やってみていること

学級経営的な面では、
・教員の苦手なことや率直な日々も意識的に開示し、
 ランクが激高という印象を薄める
・ものさしをできるだけ複数にする
 学力や運動能力以外のあらゆるものに拡げる
・多様性と言われるものの中のカテゴライズを敢えて外して混ぜる
 (ランクの概念の種類でもある)
 「①ルーツや言語、人種、障害、のような観点での分類だけでなく、
 ②得意不得意、好き嫌いなども人によってそれぞれ。つまり教室は既に多様」
 みたいな説明がされることがありますが、そこを混ぜる意識を持つ。
 というか、単に子ども目線に戻す。

日々の中に加え、さまざまな授業やアクティビティでも行います。

・自分を相対的に捉える 自分はこう人はそう
 道徳などだけでなく
 たとえば経験の有無や濃さにばらつきが大きい場合は国語の読み取りの前にあえて自分の立ち位置を先に把握してそれから読み取りに入るとおもしろい。
・感情のワーク、NVCなど。自分を知り、人を知る。低学年のうちから!
・NVCの共感サークルも、小さいうちから、できる。
 しばらくは「きもち(感情)」ばかり扱う。
 そのあとで「たいせつ(ニーズ)」を少しずつ入れていき、少しずつ慣れて、感情とニーズを感覚的に判別できるようにする。
 バウンダリーが健全に育まれる感。
・感じてはいけない感情はない ということと、
 人を責めたり自分を引っ込めすぎたりせずに
 関われる方法があると知る。
・これができてくると、ケンカやもめごとの解消や解決も、子どもどうしでとてもしやすくなってくる
・調停を、初めのうちは大人が介入する割合を多くする。段階的に大人の割合を減らしていく。こどもどうしでなんとかするようになっていく。やりかたも覚えていく。
・当人どうしの許可がとれたら、二者間のもめごとをクラス全体で扱う。全員でニーズ想像するのもとても味わい深い。
・できるだけ俯瞰する目、相対的な自分の位置を感じ取るため、全員で動く、座標軸なども使う。
 好き、どちらかといえば好き、どちらかといえば嫌い、嫌い、の4コーナーで遊ぶ+そこにした理由も伝え合う。同じ気持ちでも理由が違うことは刺激的らしく、超盛り上がる。
 ワークショップ的な活動、インプロ、いろいろできる。
・ランクの低いところがあることを、他の部分の想像力へ汎用し、自分には気づいていないところがあるかもしれないという想像力を養う
・そのうえで、
 ものごとを決めるとき、多数決ではなく、メリットデメリットをあらいだして検討したり、これで困る人いないかなと考えたり、その場合どうするといいかの対応も考えたり、そしたらAでもBでもないC案に落ち着いたり。そういうのを守破離のイメージでやっていく

説明が言葉足らずでうまくできないので、またこれについての具体的な記事書いてみます。

4 おまけ

小学2年生向けにやってみた多様性関連のWSにて。
自然に身に付くものも大切だけど、
大人のありかた、日々の生活、授業、学級活動に加えて、
いろいろなアクティビティを通じて
意図的に意識させていくことも大切だと感じています。

幼少期、低学年のうちからこれを当たり前として育ち、
高学年でも段階的に継続できるといいです。
思春期以降に感じやすいしんどさを乗り越え、
人を想いやれる人になっていってくれたらと願います。

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