ロックなデザイナーさんのお話を聴いた夜
ZERO SCHOOL 第3回目の講義がありました。
講師はブランディングデザイナーの青栁徹さん。
栃木の郷土食「しもつかれ」の、ブランディングの旗手のような方。
「食文化ムーブメントの火付け役」という印象も持ちました。
連想したのは、3分弱の動画にも関わらず、ムーブメントの起こし方がよく分かる以下の動画。
最初に一人が踊り出して、だんだんと一緒に踊る人が集まってゆく様子が映像に収められている。
最初に「しもつかれ」に熱狂した青栁さんは、少しずつフォロワーを得て、ここまで大きなうねりを生んだのだろうなぁと感じた。
好きな言葉として、青栁さんが紹介なさった言葉
この言葉から私は、楽器を連想した。
楽器はある意味で、楽器職人さんの作品だ。
それがいちばん活きるやり方で演奏することで、自分の気持ちを表現する。
その楽器を売りたい・広めたいから演奏しているのではなくて、
自分の思いを分かち合いたい・自己を表現したいという意志。
「精神性をコンテンツに」=共感する人は興味を持つ
ということもおっしゃっていた。
「共感」をどうデザイン・可視化してゆくのか、ということも大事なのだなぁと。
しもつかれは一般的には、味を嫌う人もいる料理だそう。
でも、1000年の歴史がある食文化であったり、健康面によかったりなどといったトータルな魅力を、青栁さんは見逃さなかった。
食を、たんなる「おいしいorそうでもない・嫌い」の一つのモノサシだけで計ろうとしない。
ミュージシャンも、いわゆる歌唱力がある人が人気かというと、必ずしもそういう訳ではなさそうだ。
歌い方・雰囲気・歌詞……トータルで、聴き手の心をゆらすんだろうな。
ロックシンガーの忌野清志郎氏は、
「何百万枚も売れるロックなんて、あんましロックじゃない」
という言葉をのこしている。
万人がおいしいと言う食べ物も、それはそれでいい。
でも、一部の人がいいと言って、たとえ食べなくてもその世界観に共鳴する人が集まるのは、とても豊かな在り方だと思う。
大事なのは、それを目に耳にした人の心が、どう反応するか。
人のこころにまっすぐに届くプロダクト・サービスとは?
Voicy緒方さんによると、提供者のある種の「狂気」によって生まれたサービスによって、95%以上の感動を受け手が感じ続けることで、(個人向け)サービスとして生き残れる。
地元の人からも絶望視されていた「しもつかれ」を、大きなムーブメントにまで発展させている青栁さん。
そうした「狂気」はどこから生まれるのだろう?
おそらく、一見ネガティブな原体験から来るのではないだろうか。
青栁さんは講義の中で、ご自身の幼少期の経験談をシェアしてくださった。
つらいご経験をなさったにも関わらず、やがてそれを仕事などを通じて克服されたストーリーに心が動いた。
そうしたご経験がすべて、現在のデザイナーとしてのお仕事につながっているのだろうと深く痛感した。
ラッパーは、自分の境遇や想いを語るところからはじめるそうだ。
逆境の方が、よいリリック(歌詞)が書けるらしい。酸いも甘いも。
マイナスの方に大きく心が振れたから、自分の内からとめどなく湧き出てくる想いがあって、それがキャリアにも栄養を与えるのかもしれない。
青栁さんの講義で、しもつかれはケーススタディであって、
全体としては、アート思考+デザイン思考の重要性を伝えてくださった。
両方の視点が大事であり、それをキャリアに当てはめてゆくのが大事とのこと。
「表現したいもの」と「ビジネス」をどのように両立するか?というお話でもあるかな、と感じた。
そこで思い出したのが、以下の本。
「ビートルズよりストーンズより儲けてしまったバンドの秘密」という説明文のように、アート思考とデザイン思考を体現したようなバンドだなぁと。
この本の章立てを見るだけでも、青栁さんの話してくださった「しもつかれ」の内容がすぐに連想される。
数字. 章立ての文章
>>> 青栁さんのしもつかれの話で、章立ての言葉に該当しそうな部分
青栁さんも、元々ミュージシャンでいらしたそうで、どんなジャンルかはお話になっていなかったが、
しもつかれのムーブメントのお話を聴く中で、
「自分ひとりでは弾けない楽器を、みんなで奏でる」
ような場もデザインなさっている方だと感じた。
自分の思いを吐露するラップや、独唱・一人演奏の状態から始まって、気づいたらどんどん芸達者なフォロワーが集まってきて、オーケストラになっているような生き方
講義の中で「マルチでプロトタイプ&テストを実行」とあった。
青栁さんに刺激をいただきつつ、「爆死上等(ダメでもともと)」の考えで、自分のビジョンに対するプロトタイプ(試み・試作品)を少しでも多く行動にうつしてゆきたいと感じている。
* * *
≪追記≫
講義終了後、主宰の大西千聡らいちゃんによる、延長での質疑応答があった。
その中でコンフォートゾーンを出ないと変わらない、という話の流れで、
「誰に認められたくて、(人生プランを)置きにきているの」
という言葉が刺さりまくって震えた。
スイッチが入って、眠っていた細胞たちが「うっしゃ、やっと出番かい!」と腕まくりをするかのようだった。
こういう言葉に出会いたかったんだと
つい、今までの自分で何とかクリアできるプランを立ててしまいがち。
去年までの自分が認められたいと思っていた人たちを思い浮かべたが、ほんとは心の底から認められたいと思っていた人たちではないと分かってしまって、こわかった。
安易な承認欲求を優先して、いちばん自分が大事にしたい冒険心をわすれてしまっていたみたい。
じぶんの本心は、誰かが代行してくれる訳じゃないから、自分自身が引き受けることに意識を向ける
認識できたから、変えてゆける。