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時間軸で醸されてきた歌に、耳すます
沖縄出身の知人に薦められて、この新作映画を観てきました。
たくさん考えさせられることがあって、まだ消化できていないので、内容について思ったことはまた別の機会に譲りますが、
まず冒頭の歌に、いきなり心を動かされました。
上間綾乃さんによる『悲しくてやりきれない』。
この映画の中でも説明がありましたが、ウチナーグチ(沖縄語)には「悲しい」という言葉に当てはまることばが存在しないそうで、
肝(ちむ)ぐりさ
「誰かの心の痛みを、自分の悲しみとして一緒に胸を痛めること」=ちむぐりさ、がウチナーグチバージョンの『悲しくてやりきれない』のサビでうたいあげられています。
(2017年発売のCD『タミノウタ~伝えたい沖縄の唄』に、『悲しくてやりきれない』が収録されているようです)
『悲しくてやりきれない』といえば、2016年公開の映画『この世界の片隅に』で、コトリンゴさんがカバーされたのも印象的でした。
そもそも『悲しくてやりきれない』は、サトウハチローさん作詞・加藤和彦さん作曲で1968年にリリースされた楽曲で、Wikipedia情報では、それ以降さまざまなアーティストの方によってカバーされています。
ただ、2020年のこういった時期の新作映画で聴く、この曲のメロディと歌詞の世界観は、どうしようもなく、おのずと心揺り動かされるものがありました。
曲がつくられた何十年後も、当時とちがった環境で、状況で、歌い手によって歌われ、録音され、何らかの形で再生され、耳に届く、というのはふっと不思議なことにも思います。
楽曲全般に関しても、発売当時どれだけ聴かれたか、というのも確かに一つのモノサシではありますが、時間・時代という“ふるい”にかけられても尚、残るものもあるのだと。
時間軸で醸成され、それが今回聴き手の状況に自然と寄り添いながら、確実に一人ひとりに届いていることの不思議さに。
一つの作品が、時代ごとにいろんな人に醸されてゆく、そんな奥深さと。