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過去を大切に愛でつつ、過去に囚われず「今」を生きる
カメラロールの整理をしていて
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2024年、2023年、2022年、2021年
時を遡るにつれて
今ではすっかり忘れ去って
思い出すはずもなかった、思い出や記憶たちが
写真と共に、
ワァっと蘇ってきました。
同じ自分なのに、どこか他人のようにも思える。
まぁそれもそのはず、
普段生きている時には
こうして、自分自身を客観的に、絵としてみることは無いですからね。
これらの写真を撮った当時は
「自分」としての日々を、当たり前に
粛々と生きている
それでも、
「今」という時間は常に平等に過ぎ去って
まさに今この瞬間、息をしているいっときが
自分にとっての最新の状態な訳であって
自分の気づかぬ内に、
色々な体験を実は毎日していて
自分自身も、良くも悪くも
大きく変化し続けてきているのだなと
すごく、感じました。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/157260255/picture_pc_5c9869e006286dc73e944374db4d8d5d.png?width=1200)
人って、本当に不思議ですね。
人生をより良く生きたい、
毎日をより楽しく、面白く生きたい
世の大半の人はそう強く願い、
全ての瞬間を生きているはずなのに
時が過ぎ、明日になると
そんな一分一秒の記憶なんて
必ずどこかへ行ってしまう。
1週間前の今日、この時間、
何をしていただろうか?
2年前のこの日、見たであろう夜景は
どこから見えた夜景だろうか?
3年前のこの日、食べたであろう
美味しそうなパフェ
どんな味がしただろうか?
写真という形で
確かに、自分自身がそこにいた証。
・・・きっと、
今この瞬間、この記事を書いている時の
私の思い、記憶、感情
そんなものも、
すぐ忘れてしまうのだと思います。
まぁ、「time will tell.(=時が解決する)」ともよく言うように
一定の記憶を忘却する身体の機能は、
人間にとって良い影響もたらしますが。
人生の全ての瞬間を
等しくセーブしておくことは不可能だとしても
せめてもの、
こうしてたまーに、なぜか気が向いたりして
カメラロールを見返した時に
どの時期、どの瞬間の写真
どの時の自分を切り取っても、
常に最高だと思える人生を
送りたいものです。
「この時の自分は、幸せだったなぁ」
「この時は、良かったなぁ」
「この頃に戻れたらなぁ」
などと、今の自分と過去の自分を比較して
幸福度や美しさを天秤にかけたりせず
全ての時代の自分を、
「上書き保存」ではなく「フォルダ保存」して
どのフォルダをぱっと開いても、
最高だと思える自分であること。
どのフォルダを開いても、
奇跡のような
キラキラとした思い出、今も生きる高揚感
そんなもので、満ち溢れる状態であること。
それが、本当に理想だなぁと
ふと気付かされました。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/157260326/picture_pc_2c20160f51a18a2ef429422ec07ede30.png?width=1200)
人生100年時代、
ものすごい数の「自分フォルダ」が出来ることでしょう。
フォルダの中身、1から10まで
全てを明確に正確に記憶し続けることは
不可能です。
今この瞬間のことも、
必ずいつか忘れてしまう。
それでも、フォルダを開いた時に
ワァっと押し寄せるプラスの感情、
そんなものを常に抱き続けていたい。
全ての瞬間の自分が、
キラキラな宝物だと言えるように。
全ての瞬間の体験が、
忘れたくないかけがえのないものだと
思えるように。
過去を大切に愛でつつ、
過去に囚われず「今」を生きる。
それでは、また💐