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40億円の借金を背負っても立ち上がった凄腕経営者・湯澤剛さんからの学び
借金40億を完済した
とある経営者さんについて
***
株式会社湯澤フードシステムの
代表取締役社長、湯澤剛さんの講演を
本日聞かせていただきました。
「人生、何があるかわからない。
そんなお話を今日はしたいと思います。」
から始まった講演。
ど、どんなお話なんだろうか、、
と思ったら
なんとこのお方、
早稲田大学をご卒業し、キリンビールにて
順風満帆にサラリーマンをやっていたところ
35歳のある日突然
40億もの借金を背負うことになったと言うのです😳
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もう、、、壮絶すぎて
1時間半ほど?の講演が、あいた口が塞がらないままあっという間に過ぎていました。
と言うのも、居酒屋を中心に
飲食店を33店舗経営されていたお父様が
ある日突然、心筋梗塞で亡くなったと言うのです。
幼い頃から、
ずっと忙しく翻弄していた父を見て
「絶対に跡だけは継ぎたくない」と思っていたそうですが
急逝した連絡を受け急遽帰省。
その後すぐに葬儀が行われ、
ひと段落もつかぬまま訪ねてきたのは
メガバンクと地方銀行の営業マン。
そこで、借金があることが
判明したそうなのですが
その額が、半端じゃ無かった。
連帯保証人となっている60過ぎのお母様に
全てをなすりつけることなぞ出来るわけもなく、
取引先や従業員のことも見捨てられず・・
でも、自分が継ぐのも全く受け入れられない。
一度は「帰ってくれ!」と断るものの、
亡き父の会社で事務員として勤務していた女性が泣きながら訪ねてきたことを受け
一時的に、亡き父の会社の
手伝いをすることに決めたそうです。
ただ、立ち止まることができない経営状況の中
次々と流れるように決済処理をする内に、
いつの間にか、「社長」と呼ばれるようになり
ここからどん底資金繰り経営生活がスタートしたと言います。
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画像元:https://kanagawa.doyu.jp/kaiin_interview/interview-11/
ちなみにその40億の借金は
なんと、完済するまでに80年はかかる
と、銀行マンの方から言われたそうです。
更に、蓋を開けてみれば
会社の経営状況はボロッボロ。
どれだけ酷い有様だったかというと、
以下の通り☟
・33店舗あるうち、
各店舗に「幹部社員」も「店長」もなし。
店長は33店舗に対し2名だけ。
・板前による売上金の持ち逃げ多発。
板前に辞められたら困るから、と見て見ぬふりをするものの、内部告発が相次ぎ揉め事に。
・板前は仕事中に麻雀をする有り様。
タバコを吸いながら、そのままの手で寿司を握る。
・督促状の大量の山。
・自宅にまで督促の電話がかかってくる日々。
自宅には、生まれたばかりの子供と奥さん。
とにかく、
各所に支払滞納を謝罪して回る毎日だったそうです。頭の中は常に、資金繰りのことばかり。
「今月末までに5,000万支払ってくれないと、
資産を差し押さえさせてもらいます。」
と、信頼していた取引先から言われた帰り道
東京駅のホームで丸の内線を待っていたら
電車が来たタイミングで無意識に体が浮き、
自殺しかけたこともあるそうです。
人間、本当にメンタルに来ると
体が勝手に動くものなのかと、大変な恐怖を感じたと仰っていました。
・・まさに、絵に描いたようなどん底。
「どうせこんなことをしたって焼け石に水」
「うちの社員はクズばかり」
「人間誰も信用できない」
そんなことばかりを考えていたそうです。
一体どのようにして、
こんな状況から現実を変えてきたのか。
その結果の原因は、
以下の通りだとお話しされていました。
①想像しうる最悪の状況を紙に書き出した。
…不安や、心配事を頭の中に溜め込まない。
最悪な事態を客観的に見てみることで、
「なんだこんなもんだったか」と思うことができ、驚くほど心が軽くなった。
②期間を決めた。
…5年は頑張ろうと決め、日めくりカレンダーを作った。どんなに嫌なこと、最悪なことがあれど「今日が終わった」と、日々心をリセットした。
うまくいかなかったら、破産計画に移ったら良いだけだと腹を括った。
③一点突破、全面展開!
…限られた時間や資源を、1つに集中させた。
33店舗のうち、ひとつをモデル店としてうまくいったタイミングで広く展開した。
④ターゲットを明確にした。
…ターゲットを決める=自らの戦う土俵を明確にするということ。
「お客様を選ぶ」ということはかなり辛いが、「何かを選んだら、何かを捨てる、やらないことを決める」ということが重要。ブレない!
ターゲットを決めたら、メニューや内装、接客など全てをそれにフィットさせる。
**
大半の社員の退職、食中毒事件、火事によるお店の全焼、社員の死、などなど
多くの出来事を乗り越えながら
これらを実践し、着実に売り上げを上げていったそうです。
こうしてかなりの試行錯誤の結果、
当初「5年だけは頑張ってやる」という思いだった湯澤さんですが
16年という歳月を経て、
なんと完済まで80年はかかると言われていた借金を全て返済したそうです。
凄すぎる😭
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経営とは、
逆境の連続であると仰っていました。
避け難く、逆境は訪れる。
そんな時、
「まだ何億も借金があるのに」と、
いつだって同じ所に引き戻され
変化してゆくことのできない自分に
かなりのフラストレーションを抱いてきたと
お話しされていました。
常に資金繰りや借金返済、
利益、売上、原価、人件費、などなど
数字で頭がいっぱいの状態。
一体、何のために経営しているのか。
何のための人生なのか。
悩み考え、メンターに相談し
ようやく辿り着いた結論が、
「人が輝き、地域を照らし幸せの輪を拡げる」
という経営理念だったと言います。
「借金を返済するため」に経営するのではなく、
ただ純粋に、仲間と共に成長し
豊かな人生をつくりたいと、心から思ったそうです。
この経営理念が、今でも原点となり
いつも立ち返るものになったと仰っていました。
これだけ苦しい時を乗り越え、
現実に負けず、「なぜ自分ばかり」と被害者意識に陥らず、常に自分が今できることは何か、という点に目を向け足を動かしてこられた湯澤さん。
本当に、この世の中の多くの人へ
生きる希望、頑張る勇気を与える素敵な方だと感じました😭
「必ず数年後、どうであれすべて決着がつく。
いつか、こんな時があったなと笑える時が必ず来る。」
そう思いながら、逆境を乗り越え
今では講演活動を多く行っておられると仰っていました。
今日の講演会の最後に、
お話しされていたことが忘れられません。
「元々経営なんてやりたくなかった。
しかし、大企業で働いていた12年間を振り返ると
ただの一度ですら、地域のために自分が役立っていると実感できた時は無かった。
今、中小企業の経営者になって思うことは、
これからの人口減少社会は、中小企業の時代である。
規模が小さい中小企業だからこそ、地域の一部を照らすことができる。
規模の小ささは、弱みではなく強みなのである。
右手にロマン、左手にそろばん、
背中にガマン、そして心にジョーダンを!
諦めなければ、必ず道は開ける!」
この上なく、かっこいい経営者さんでした✨
どこかで
人生の道が重なる瞬間があれば
本望です🌸
湯澤さん
公式webサイトはこちら💁♀️
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