ステーキを食べて欲しい生産者と、ハンバーグを作りたい料理人。
こんにちは。フェミニスト・トーキョーです。
いや久々にnote書きます。サボりっぱなしで申し訳ありません。
X(旧Twitter)を青バッジにしたら、適度な長さの長文が書けるようになってしまったので、ついそちらに頼りがちになり…。
言い訳はこのくらいにして、本題に入りましょう。
急にnoteを書く気になったのは、とある事件に関して思うところがあったためです。
漫画の実写ドラマ化にあたって、原作者が「必ず漫画に忠実にして欲しい」という要望を出していたに関わらず、プロデューサーや脚本家の思惑と齟齬が発生し、原作者が脚本を書くなどという自体に陥った末に最悪の結果になってしまった事件です。
各メディアで報じられるほど有名な事件になってしまいましたし、詳細についてはここでは省きます。
原作者さんのご冥福を、ただただお祈り申し上げます。
創作好きの身としては、この事件そのものに関して言いたいことも色々とあったのですが、それぞれの立場での言い分もありますし、原作者さん以外の人間が新たなバッシングのターゲットにされることは原作者さんも望まないであろう、という思いから、あまり積極的には話題にしないようにと考えて、私はXでも散発的に触れる程度でした。
ですが。
この事件に関して、日本シナリオ作家協会のYoutubeチャンネルにおいて、「【密談.特別編】緊急対談:原作者と脚本家はどう共存できるのか編」という動画が1月29日にアップされたものの、この内容が「脚本家」という立場を擁護するためのものであるとして物議を醸しました。
私が話題になっていることを知った時には既に動画は消されており、URLは生きておりますが、詳細欄には以下のような記述がありました。
しかし、その後この動画の内容を文字起こしして切り取られたものがX上で拡散されて、むしろ騒ぎが大きくなりました。
さらにそこに、この動画へ対談の特別ゲストとして出演されていたという、脚本家の伴一彦氏(@sacaban)が、切り取られた内容も含めて自身の意見に関する説明を行なうという事態になりました。
そして伴氏の、
「私も動画を見れなくなってしまったので、もし動画をお持ちの方がいたら提供して欲しい」
という呼びかけに応じるような形で、個人がアーカイブしていたとおぼしき問題の動画がYouTubeへとアップされました。
動画は、この記事の執筆時点(2024/02/02 21:00-JST)でも見れていますが、正当な手続きを踏んでアップロードされたとは思えない代物ですのでリンクは貼りません。あしからずです。
私もさっそく視聴してみました。
動画そのものに上記の問題があるので、内容を詳しく語ることは避けますが、切り取り&拡散されたものと比べるとどうかと聞かれれば、
「切り取られた内容には間違いもあるが、切り取られた内容よりも実際に全部聞いた印象の方が、遥かにひどい」
というものでした。
気になる方は探して視聴してみてください(視聴はあくまで個人の責任でお願いします)。
そしてここからが本題というか、私が動画を視聴して、
原作者 ✕ プロデューサー ✕ 脚本家
の関係性が、今まで思っていたものとは違うと感じましたので、それについて書きます。
ここからは私の印象が元になる話ですので、実際の事情とは異なる部分も多々あるかと思います。恐れながらご了承の上でお読みください。
まず、漫画に限りませんが、原作ありの作品を実写など映像化する時の構図について私が想像していたのは、
「原作者から提供された原作を元に、制作サイドが映像化の実現のために各部で協力しあって内容を詰めてゆく」
というものでした。
実際にこういう形で進められるものも無くはないと思いますが、どうも先の動画を見ていると、脚本家の感覚はそうではないようでした。
まず、プロデューサーと脚本家の関係性というのがそもそも、
プロデューサー → 元請け
脚本家 → 下請け
でしかなく、要は脚本家から見てプロデューサーというのはクライアントであり、お仕事をくれるお客様になります。
動画を見ていて強く思ったのが、今回の事件のように脚本家が何かしらの問題を抱えた場合、普通にプロデューサーへ問題提起するなり相談するなりすればよいのでは?と思ったのですが、どうも対談の話しぶりから
「プロデューサーに困ったことを解決してもらう」
というのは誰も考えていなさそう、というか、そもそもそういう文化自体が存在しないのでは?という空気を感じました。
つまり、番組制作における関係者の成り立ちというのは、通常の企業で進められるプロジェクトの命令系統とは異なるものであるのだろうと。
これが、前述のような
「クライアント」 ✕ 「業務委託された個人事業主」
という形だと考えるなら、すんなりと飲み込めました。
「下請け(脚本家)に対しては、いったん仕事の指示を出したあとは、そこで発生する問題の解決も含めて、下請けの器量・度量に任される」
として、そこに脚本家の職業人としてのプライドなどが重なれば、おいそれと元請け(プロデューサー)に相談することなど出来ないのは想像しやすいです。
困ったことがあるたびに相談などしていたら、
「あの下請けは使えないから、次の仕事では外そう」
となることも考えられますしね。
さて。
では、プロデューサーから見て原作者というのは何か?と考えると、
「原作という素材を生産している生産者」
以上でも以下でもないのではないか?と思い当たりました。
この記事のタイトルにしたのがこの話でして。
例えば、ここに「近衛牛」という高級牛肉があったとします。
(※架空の牛肉です。存在しません。おそらく。)
これは国産高級牛肉で、生産者が長年の苦労の末に製品化に成功し、牛肉そのものを心ゆくまで味わいたいファンの間で話題を呼んでいるものです。
そして、この近衛牛を使った料理のビッグイベントを企画したプロデューサーがいて、生産者のエージェントと交渉の結果、仕入れの契約を得ることが出来たので、料理人と契約してイベント開催を進めることになりました。
関係をまとめると、こんな感じです。
「近衛牛の生産者」→ 原作者
「近衛牛」→ 原作
「エージェント」→ 原作者の担当編集、出版社など
「イベントプロデューサー」→プロデューサー
「プロデューサーと契約した料理人」→ 脚本家
(実際には、イベントを運営するスタッフやキャストがいますが、ここでは割愛します)
この構図を冷静に眺めると、原作というものは、プロデューサー(というか企画全体)からすれば、ただ指定の代金を支払って買ってきただけの仕入れ素材でしかない、と見ることが出来ます。
ただし、その購入時に、生産者から、
「この肉は素材の旨味を活かして欲しいので、ステーキや焼肉のようにあまり加工しないで味わう料理にしてくれ。そうでないと近衛牛とは言い難い」
という注文をプロデューサーが受けて、いったんは了承したとします。
ですが。
繰り返しになりますけれど、この肉はお金を出して買ってきた、ただの料理素材です。
生産者の要望があるとはいえ、代金を払っている以上、こちらの好きに使ってなにが悪い?という意識が生まれないとは言えないのでは、と思います。
もしこの考えを押し止めるものが唯一あるとすれば、生産者とその製品に対する畏敬の念、いわゆる「リスペクト」だと思いますが、これは強要されるものではありませんから、現場の人間が最初から持ち合わせていないのであれば望むべくもありません。
そして、この牛肉は料理人に渡されて、いちおうは生産者の要望も料理人へ伝わったとします。
しかし、ここではまた料理人の思惑が加わります。
「この肉はもっとこうした方が美味しくなるはずだ。今回のイベントに映えるようにするには、ただのステーキでは地味過ぎる。そうだ、ハンバーグにして添え物をたくさん増やそう。そうしよう」
と考えて、さっそくその肉をミンチにするかも知れません。
***
先に挙げた対談の動画について、あえて一箇所だけコメントを抜き出して挙げるならば、
「用があるのは原作だけで、原作者には用はない」
というものがありました。
聴いた時には耳を疑うものでしたが、
「料理人として必要なのは優れた食材だけであり、生産者の意見は自分が作りたい料理の味には一切影響しないから興味がない」
という風に読み替えるとしっくりくるな、と思いました。
しっくりくるだけで、納得はしませんが。
***
というわけで、とても美味しい近衛牛のハンバーグが出来上がって、
「”近衛牛”のグルメイベント」
が盛大に開かれます。
近衛牛を使っているのは間違いないので、嘘ではないです。
ハンバーグ自体も料理として何ら問題ないものに仕上がっており、初めて近衛牛を味わう人たちからはそれなりの称賛を受けます。
しかし、元からの近衛牛を知っている人たちは、
「なんでハンバーグなんかにしちゃったんだろう(´·ω·`)」
「近衛牛はこんな風に食べるものじゃないのに…」
と、不満を漏らします。
生産者の落胆ぶりは、いかばかりでしょうか。
イベント向けに出荷したこと自体を後悔しているかもです。
この話の流れで一番面倒なのは、料理人には全く悪気がないことです。
料理をハンバーグにしたことをクライアントであるイベントプロデューサーに何ら責められず、予定通りの報酬を受け取れたのであれば、むしろ与えられた素材でそつなく仕事をこなせたことに満足しているでしょう。
では全体として、どこかに問題が生じているかと言えば、イベント自体が盛況であったなら、特に誰も困っていないはずです。
唯一、生産者がガッカリさせられたという点くらいですね。
実際の問題に置き換えるのであれば、原作者の意図通りの作品を作ろうとするならば、単に書面上の契約だけではなく、原作者も企画段階からガッツリと食い込む権利をもらい、脚本家とも積極的にケンカして、何が何でも自分の要望を通せる環境づくりをするしかないのでは、と個人的には思います。
ともあれ、解決に向けた道筋はいくつかあるかとは思いますが、私がこの記事の中で最も言いたいのは、
「用があるのは原作という『金を出して買ってきた素材』だけであり、原作者の意見を反映させることにビジネス上の意味も意義も無い」
という意識が制作サイドの前提として在るならば、原作者の要望に沿った作品など作られるはずもない、ということです。
リスペクトなどただの精神論であり、カネにならないなら用は無い、と言われてしまえばそれまでですから。
先の動画の話を聞く以上、この意識を変えるのは一朝一夕で出来ることではないと感じましたので、現状においては原作者さんには、自分が嫌な思いをしないための対策を最大限に講じていただくのみかと思います。
日本漫画家協会などもこの事件を受けて相談に応じるとしておりますので、今後こうした動きが拡大することを切に望みます。
全ての創作者と創作に、心からの敬意を表しつつ。
斃れた魂に、最大限の慰霊の念をお送りします。
(了)
最後までご精読いただき、誠にありがとうございました。