きのこたけのこ 彼の地にて斯く戦えり
諸君 私はたけのこが好きだ
諸君 私はたけのこが好きだ
諸君 私はたけのこが大好きだ
全国一億三千万人のたけのこ派の皆様、いかがお過ごしでしょうか。
たけのこ原理主義者のフェミトーことフェミニスト・トーキョーです。
今回はエッセイや論説ではなく、純粋(?)な小説を書いてみました。
発端は、いつもTwitterを介して良質な議論にお付き合いいただいている、DNFさんとのこんなやり取りでした。
有名なライトノベル「キノの旅」に絡めての話だったのですが…
DNFさんは「きのこの山穏健派」を自称されておりますゆえ、なるほどこれは何かの挑戦あるいは挑発行為かな、と思いつつ、
このように応戦しましたところ、
と、めでたく開戦となりまして(ほぼフェミトーのせいだろ、というツッコミはさておき)、「きのこvsたけのこ」をモチーフにしたお話を競作させていただきました。
で、書いたはいいのですが、DNFさんの作品はちゃんとSSらしいボリューム感とテンポでまとめられているのに対して、私のは気づいたら34,000字という、400字詰め原稿用紙にすると…ええと……85枚分?という、SSというかほぼ中編小説みたいな長さになってしまい。
SSの規定違反じゃないのか、みたいな声も聞こえてきそうですけれども、いちおう書いたには書いたので公開しようと思います。
では、やたらと長くて恐縮ですが(汗)、最後までお読みいただければ幸いです。
ここから本編です >>>
星屑は甘き誘惑の光に満ちて
船室のある居住区画からライブラリィへと通じる長い回廊は、タイヨウにとって、お気に入りの読書スペースだった。
回廊は船の側面にあたる部分を通っており、片側は無機質で装飾どころか空調孔以外に凹凸すら無いただの壁、もう片側は外が見渡せる一面の大きなガラス窓になっており、一定間隔ごとに簡易なアルミ製のベンチが備え付けられていた。
窓の外を眺めてくつろぐには絶好の場所だが、乗員にはあまり人気が無い。長い航海ゆえに、みんな代わり映えのしない風景には飽きてしまっているからだろうと、タイヨウは思っていた。
タイヨウは、そのベンチの一つに腰掛けて、ライブラリィから持ってきた大判の本を膝の上で開き、のんびりとページをめくっていた。
「うーん、やっぱりこれのことみたいだけれど、見た目だとそんなに大騒ぎするようなものに見えないんだよな……作って確かめるしかないか」
誰にでもなくそうつぶやきながら、ふと身体に凝りを感じたので、肩を回して大きく伸びをする。背を反らせて頭を窓の外に向けると、真っ暗な空にはたくさんの星々がきらめいていた。
「ああ、いけね。もうこんな時間だ」
気づけば、午後の自由時間をほとんど読書に費やしてしまっていた。
リストバンドに小さく映った時計の電光をあらためて確認し、しまった、と思うのとほぼ同時に、回廊の端から大きな声が飛んできた。
「タイヨウ!やっぱりここにいた!!」
声を聴くまでもなく、誰なのかはすぐに分かった。動くたびになびく長いプラチナブロンドと、はっきりとした目鼻立ちは、遠目でもよく目立っていた。
タイヨウは軽くため息をつき、読んでいたページの端を軽く折って目印にしてから本を閉じた。
「いやそれがさ、聞いてくれよオリビア。僕は以前から不思議に思っていることがあるんだ」
オリビアは、銀色のまつ毛に彩られた切れ長の美しい目を、さらにきつく細めてタイヨウを睨みつけた。
「はぁ?何よいきなり」
「君はなぜ、僕がいつも『そろそろ読書をやめて戻ろうかな』と思ったタイミングで必ず狙いすましたように登場するのか、ということなんだけど。もしかしたらこれは何らかの特殊能力ではないかとイテテテテ」
オリビアは無表情のまま、タイヨウの頬を軽くつねりながら、事務的な口調で話し出した。
「夕方の共同活動がそろそろ始まりますね」
「はい」
「私はあなたの班の班長です」
「そうですね」
「点呼をしようと思ったら、あなたが観測可能な範囲内に見当たりませんでした」
「ずっとここにいたからね」
「呼び出しをかけたけど応答がありませんでした」
「あ、アラーム切りっぱなしだった。ごめんごめイテテテテ、わかったわかった」
「よろしい」
オリビアは、タイヨウの頬からようやく離した手で、今度は彼が持っていた本を取り上げた。
「またこんなもの読んでいたのね……わざわざこの状態で持ち歩く意味ってあるの?アーカイブから出して、普通に端末で読めばいいのに」
彼女はそう言いながら、慣れない手つきでページをめくった。本どころか紙という素材そのものが、この船内ではほとんどお目にかからない代物であった。
「この方が、端末で見るよりも他のページと比較しやすいよ。それに、何故って説明できないけれど、読んでいても理解が早いような気がするんだ」
本の表紙には、『決定版!再現スイーツレシピ大全集』という文字が、カラフルな写真と組み合わされて賑やかに踊っている。タイヨウがここ最近ずっと読んでいたその本は、料理の、というかお菓子作りの本だった。
「それは多分、あなたにしか分からない感覚じゃないかしら……ん?」
オリビアがページをめくる手を止めた。タイヨウが目印をつけたページだった。
「ああ、それ今度作ってみようと思って。地球で人気があったらしいんだ」
「ふぅん……なんだか変な形ね。美味しいの?」
「さぁ?」
作ったことも食べたこともないものの味は分からないよ、とタイヨウが言おうとしたところに、ティーチャーが割り込んできた。
「オリビア、タイヨウ。楽しげな談笑を中断させて申し訳ないけれど、皆さんが待っていますよ」
あっ、と声を上げて、オリビアは急いで本を閉じるとタイヨウに突き返してきた。
「いっけない!みんなを待たせてるんだった!ほら、行こうよ!」
言い終わらないうちに、彼女はもう回廊を来た方へと引き返していた。
「っていうか、別に『楽しい談笑』なんかじゃないわよ、ティーチャー!」
という声を、回廊に残響として残しながら。
(やれやれ……)
元の静けさを取り戻した回廊で、タイヨウはベンチに自分を固定していたシートベルトを外した。
ふわりと浮き上がった体を器用にひねると、凝り固まった四肢を大きく伸ばしながら窓の方に向き直る。ベンチから離れた反動で、そのまま天井近くまでゆっくりと漂い、ひやりとするガラス窓に手を触れた。
窓の外は、上にも下にも、どこまでも広がる漆黒の宇宙。
タイヨウの姿が窓に映り、黒い髪と瞳がその暗闇へと溶け込む。
今はちょうど恒星が近くに無くて、遠くの星系までよく見えている。どこかの星雲がまるで白砂糖の瓶をひっくり返したように、その黒いキャンバスへ勢いよく無数の星をばら撒いていた。
「そういえばティーチャー、前から思ってたんだけど」
「何ですか?」
「なんでティーチャーは、オリビアが僕のほっぺたをつねるのを止めないの? あれだって、いわば暴力でしょ?」
船内のコミュニティにおいて、暴力行為は何を差し置いても固く禁じられていた。だが、オリビアが僕の頬をつねるのをティーチャーが咎めたことは、記憶の中では一度として無かった。
「あなた方が着けているリストバンド型の生体モニタリング装置は、各個人の心拍・発汗・脳波を読み取り、心身の状態に異常が無いかを常に管理および監視しています」
タイヨウは、先ほども確認した左腕の細いリストバンドへと視線を落とした。
普段は通信機と腕時計くらいにしか意識していないリストバンドだったが、本来の用途はティーチャーの言う通り、乗員の状態や船内での所在位置をリアルタイムで把握するためのものだ。
「もちろん知ってるよ?それが何?」
「であれば、ライブラリィの管理者を務めるほどに聡明なあなたなら分かるでしょう」
「……?」
タイヨウから明確な応答が無いのを確認した上で、ティーチャーは続けた。
「あなたはオリビアに何をされても、その行為および彼女に対して全く嫌悪を感じていないことがデータから分かります。むしろ副交感神経の反応などは、彼女に触れられることで、それが若干の痛みを伴うものであってもより深く充足した数値すら示すことがあります。つまり、彼女の関与があなたの自律神経に及ぼす影響を、人間同士のコミュニケーションにおける事象として端的に言い表すと……」
「ストップストップ、もういいよ、わかった」
慌ててティーチャーの回答を止めて、タイヨウは意味もなく首の後ろを掻いた。
「まいったなぁ。いつもそんな風に僕らを分析しているの?」
「収集したデータから導き出される推論のうち、過去の実績と比較して最も可能性の高いものを述べているまでです。あなたの個人的な心情がいかなるものであるかは、この船の全クラスタをフル稼働させても計算不可能です」
「………彼女の、僕に対する『端的に表される事象』は?」
「ご存知のはずですが、他者のデータは守秘事項です。それは必要に応じて、私を介してではなく彼女に直接お聞きください」
ティーチャーの受け答えは常に感情的な表現を排されたものだが、たまにウィットやジョークを含んで聞こえる時がある。と、タイヨウは思った。
「さあ、早く移動しましょう。またオリビアに叱られてしまいますよ」
「イエッサー、マイティーチャー」
タイヨウは、壁面に配されたスピーカーから響く声、実体を持たない「ティーチャー」に――音声でアクセス可能な航行管理AIシステムに――返事をしてから、天井を蹴り、オリビアを追って無重力の回廊を居住区画へと向かっていった。
***
母星たる地球を華々しく出発して、はや90余年。
地球から約1.2光年ほどの外宇宙を、恒星間航行宇宙船「クレイドル号」は、今日も順調に航海を続けていた。
地球と地球人は、別に滅亡したわけではなかった。
少なくとも、クレイドル号が出発した時点では。
事の発端は、地球の総人口が170億人を突破し、主に環境問題において、いくつか人類には解決が絶望的なものが出てきた頃合いだった。
この頃、科学者を中心として、
「太陽系外の惑星への人類移住を模索してはどうか」
「計画は壮大なものになる。手遅れになってからでは動けない」
という意見が声高に語られ、これが世間一般大衆の間で「本当に出来るのか」「いや現代の技術力なら可能では」という議論に発展し、ちょっとした「惑星移住ブーム」が起きた。
さらにこの余波で、大昔に流行った「持続化可能な社会の構築」なる理念が再燃して、それが何故か種の永続保存という話に結びついた。なおかつここに、計画によって莫大な利権が動かせると気づいたいくつかの政府とそれにぶら下がった宇宙開発事業の大企業が癒着と暗躍を重ねて、ついにはその途方もない計画を実際に動かし始めてしまった。
これが「ホウライ計画」と呼ばれるものになった。
ホウライは東洋の古いおとぎ話に登場する「蓬莱山」という桃源郷にちなむもので、目的地とする恒星系の惑星に付けられていた愛称だった。本来はもっと厳かで長ったらしい名前を持つ移住計画であったが、誰もがこの通称で呼んでいた。
一番の問題は、超長期にわたって人類の種を運ぶ方法だった。
コールドスリープ技術はいまだ実験段階で課題が多く、実現されているとは言い難いものだったため、恒星間航行には必然的に、乗員がある程度の集団で生活して世代を引き継ぎながら目的地までの生存を目指す、いわゆる「世代型宇宙船」を形成することになった。
完全な閉鎖空間、および途中で一切の物資補充が望めない航行ということで、実際に同じ空間を想定した実験が10年単位で行われ、それと同時並行して月面と月軌道において船と航行機関の建造も開始された。
だが、一つ一つのフェーズがどれも凄まじいボリュームを持つこの計画であったのに、それら全てが非常にポジティブな世論の空気の中で、驚くほど順調に進んでいった。
有識者は、その計画の淀みない推移を「誰も困っていないから」だと評した。とりあえず人類の移住は切羽詰まった問題ではないので、あくまで「実験」の延長に過ぎないと多くの人が捉えているからだ、という考察だった。
フィクション作品によく出てくるような、数ヶ月以内に隕石が地球に衝突して人類滅亡が不可避なため船の搭乗権を奪い合う、といった状況でもない。未知の惑星への移住という、それこそフィクション作品でしか見たことのない計画が、「ほどよく自分と関わらないところで」進行していることに対する民衆の反応は、ほとんどが好意的なもの、または無関心であった。
もちろんそれには、「巨大な宇宙船の建造は公共事業の一環です。大量の雇用が創出され、経済にも貢献しています」という、各国政府の高らかなプロパガンダと、実際には、文字通り天文学的な数字の予算が惜しみなく注ぎ込まれていることが巧妙に隠されているからでもあったが。
かくして、四半世紀以上にも及んだホウライ計画はついに結実した。
クレイドル号には、科学者を中心とした希望者が、厳しい審査選抜と訓練を経て万全の体制で乗り込み、全人類に見送られながら、未知の惑星ホウライを目指して地球を出発した。
――というのが、90年ほど前の話。
クレイドル号と地球の間では、常にお互いの状況を知らせる通信が続いているが、すでに光年単位で互いの距離を置いているので、通信を発してからレスポンスが届くまでに数年を要する。
もしかしたら、いまこの瞬間にはもう地球は何かの原因で木端微塵になっているという可能性もあるのだが、そうであったとしても、クレイドル号の乗員は知る由もなかった。
「でもさー、正直ピンと来ないのよね。ホウライだけじゃなくてチキューもさ、知識でしか知らないんだから。愛着も執着もないし」
重力制御下の居住区、その一角にある科学実験室。
楽しそうに動き回って準備をしているタイヨウの様子を眺めながら、オリビアは実験台のテーブルに頬杖をついてぼやいていた。
「まぁ、ね。っと、ちょっとそこ危ないから気をつけて」
無菌室作業用の白いエプロンを着け、手には厚手の鍋掴みという珍妙な格好のタイヨウが、慎重にオーブンを開く。中には三次元プリンターで作られたビスケット型が入っており、熱気とともにシュウシュウという音が室内へと流れ出た。
「……うん、よし。いいぞ」
型は合金製の板状で、紡錘形を半分に切ったような形の――ひらたく言えば、ロケットの先端部分みたいな形の――くぼみが無数にあり、そこにタイヨウ特製のビスケット生地が詰め込まれて焼かれていた。
タイヨウは小さなトングを使って、そのうちの一つを取り出すと、しげしげと眺めた。
「いい感じだ。焦げていないし、割れたりもしないな」
粗熱が取れた頃合いを見て手のひらの上に乗せた。オリビアは何かに似ていると思って見ていたが、それが地球で見られるというドングリという通称の木の実だということを思い出すのには、少々時間を要した。
「うーん、いい香り~。ね、食べてもいい?」
オーブンを開ける前から、実験室には鼻孔をくすぐる香りが充満している。昼食と夕食の間の、そろそろ微妙に空腹を感じる時間帯でもあった。
オリビアはタイヨウの手のひらにあるドングリ状の焼き菓子に手を伸ばしたが、タイヨウは身体をひねってそれを避けた。
「ダメだよ。仕上げるまではおあずけ」
「むー、けちんぼー」
「食べたいんだったら手伝ってよ。これを一つずつ、こっちのトレイに出して欲しいんだ。もうだいぶ冷めてきたと思うけど、火傷しないように気をつけてね」
「はーい」
タイヨウがトングとアルミ製のトレイを渡すと、オリビアは渋々といった様子でそれに従い、ビスケットを一つずつ慎重にトレイへと移してゆく。
「ありがとう、助かるよ――で、何の話だっけ?」
「だからさー、私たちって結局『中継ぎ』でしょ?チキューかホウライか、せめてどっちかだけでも見てみたかったなー、って」
中継ぎ、というのは地球で人気のあった球技スポーツの用語らしいのだが、タイヨウ達は自分たちの世代を皮肉めかしてそう表現していた。
出発時の試算では、クレイドル号は14~16サイクルほどの世代交代を経た頃にホウライに到達すると見込まれており、タイヨウとオリビアは初期から数えて5世代目にあたる。
つまり、彼らは生まれた瞬間から、目的地ホウライを見ることが絶対に叶わないことが約束されてしまっている世代なのだった。
「だからこうやってさ、日々のやりがいを探して、楽しく過ごすことは奨励されてるわけじゃないか」
人間的な生活、というものに正解があるのかどうかはともかく、船内での活動は実際かなり自由なものだった。
総員で150人程の老若男女が暮らしているクレイドル号では、朝昼夕に課せられたブリーフィングや食事の配膳、洗濯、個室の清掃などの共同作業を除けば、行動の制約もほとんど無い。
広い運動室には大人向けのトレーニング設備から子供用の遊具まで一通り揃っているし、船内の管理を司る汎用型AI「ティーチャー」は、数億冊にもおよぶ書物、アート、映像作品、ボードゲームなどをアーカイブに有しており、いつでもそれらを楽しむことが出来た。
それ以外にも、有志による船の保守作業や勉強会、サークル活動的なものもあり、船内はいつも程よく活気に溢れていた。
「せめてもの、ってやつでしょ。それに、あなたみたいに『リョーリ』なんてものに興味を持つ人が現れるのは、ティーチャーも想定外だったんじゃないの?」
「変人みたいに言わないでくれ。そもそも料理ってのは、地球人の生活では当たり前のものだったんだぞ」
「それは知ってるけどさー。スクール活動で習ったし、あなたからもさんざん聞かされたから」
オリビアは幼い頃からタイヨウと一緒に過ごしてきたので、彼が『料理』というものに並々ならぬ関心を寄せていることもよく知っていたが、その情熱の深さにはついていけない部分も感じていた。
料理に関しては、地球では誰もが生命活動の一環として日常的に行なうもので、なおかつ素材や調理法が凝ったものになるとそれを趣味で行なう人もいる、ということは教わっていた。
しかし、船内の居住区にはキッチンどころか調理器具の一切が無いので、実際にその料理を試すことは出来なかった。船内における食料の生産は、常時70種類を超える野菜や穀物を中心とした植物工場を起点として、その調理までがほぼ完全に自動化されており、乗員は料理をする必要が一切無いからだった。
キッチンが存在しない大きな理由はもう一つ、船の設計時点において意図的に省かれたからだった。
理由の詳細としては、料理には船内において最も貴重な品である水を多量に要する、技量によりけりだが多くの廃棄物が発生する、何より調理器具には殺傷能力を要するものや、火災を発生しうるものが多いから、などが挙げられた。
ともあれ、幼きタイヨウ少年は「料理をする地球人」のアーカイブ映像を見たときから、ぜひ自分もやってみたいと考え、長年に渡ってティーチャーに料理のための器具と料理設備の設営を交渉してきた。
だが、船の設計段階で却下されている代物であるからして、その交渉は頑として受け入れられることが無かった。
それでも諦めきれなかった彼は、アーカイブの中から料理に関する本とレシピ集ばかりを貪り読み、それと併せて、ライブラリィにおいて行われている生産設備と、その産出状況を把握することに専念した。
『ライブラリィ』は、言葉通りにクレイドル号の各種蓄積情報およびティーチャーを稼働させるためのスーパーコンピューターを指して呼ばれることが多かったが、実際にはそれだけではなく、船の中で必要な食料や水の管理、食料を生産するための植物工場やその加工施設、それ以外にも船内で使用される衣料品や衛生用品、各種薬品、化学合成品、金属加工、それらを元にした簡単な工作機械を作り出す生産ラインを含むもので、クレイドル号の全長1400mにもおよぶ船体の容積のうち、実に6割を占める基幹産業システム全体を指す名称だった。
タイヨウは、クレイドル号の生産システムがどのようなポリシーのもとに構成されているかに着目し、ライブラリィの植物工場を中心に、現状どのような食品が生産されているかを徹底的に調べた上で、船上で新たに生産可能な食物、およびそれを使用して作ることができる料理が無いかを模索した。
そして結論として辿り着いたのが、地球で「スイーツ」と呼ばれることもある、いわゆるお菓子の類だった。
お菓子作りであれば、一般的な素材を使用した料理に比べれば水をそれほど使わないし、食物アレルギーの本を参考にして、クレイドル号では入手困難な動物性タンパク質を起源とする材料も、大抵は船で生産可能なもので代用できることがわかったからだ。
彼は新たに、バニラ、ナッツ類、菜種油(植物性生クリーム用)などの生産をティーチャーに申請するため、船内での生産実績が無かったそれらの植物について、冷凍保存倉庫にあった種子を使って実験用ファームで一種類ずつ生産工程を確立させた上でティーチャーに生産を認めさせる、という根気の要る作業を、数年がかりで見事にやってのけた。
「本当は、もっといろいろな食材を使った料理も作りたいんだけど。キッチンさえも用意してもらえてないしね」
タイヨウは別のテーブルで用意していたチョコレートを運びながら、室内を見渡す。材料と調理器具だけは何とか作る許可が下りたが、船内スペースの限度もあり、キッチンはどうしても確保できなかった。
科学実験室でお菓子作りをしているのはそのためで、タイヨウが先ほど使っていたオーブンも料理用ではなく、化合物の燃焼実験で使うものだった。
もっとも、温度調節が細かくかつ正確に可能なので、うってつけではあったが。
「でもさ、お菓子ならもともとクレイドル号のレパートリーにも一応あるよね。クッキーとかビスケットとか」
オリビアの言う通り、現状で提供されるメニューにも、デザートや会食用のおやつとして、いくらかの菓子類はすでに船でのレパートリーには存在していた。
「でもレパートリーが随分と少ないよね」
「それは思うわね。なんでかしら?」
「乗員の肥満を懸念したんじゃないかな。特に、お菓子が好きな誰かさんの」
「もう少し真面目な見解が聞きたいんですけど?」
「お菓子は食品ではなく、嗜好品としてカテゴライズされているからだね。生命維持に不可欠なものではないから、という理由で」
「ああ、そうかぁ……子どもたちは喜ぶから、もっと種類があったらいいのに」
子どもたち、というのは、オリビアが自主的に面倒を見ている、要保育時期にある児童たちのことだった。タイヨウと二人だけでいる時はすっかり気を抜いているオリビアだが、子どもたちの前では優しさと毅然さを兼ね備えた立派な世話役を務めていたし、実際に年少者からはとても慕われていた。
「あれとか、ほら。マッシュルームの形したやつ?名前、なんだっけ……」
「え、『キノコノヤマ』だけど……忘れちゃった?」
『キノコノヤマ』は、クレイドル号で食べられる最もオーソドックスな菓子の一つで、傘上の形をしたチョコレートに小さな棒状のクラッカーが半ば埋没する形になっているもので、全体でマッシュルームの形を模している。
子供たちには人気があったが、逆に言うと子供の頃からずっと食べているお菓子なので、大人たちには定番すぎて飽きられている面もあった。
「それそれ。いや、名前とかあまり気にしてなかったから」
「んー……うん、そうか……」
「でもさ、チョコのお菓子ってただでさえ少ないでしょ?あんなユニークな形のお菓子を、なんでわざわざレパートリーに加えたんだろうね?」
「まぁ、そうだね……」
タイヨウはライブラリィの生産状況を調べたから知っていたが、『キノコノヤマ』はクレイドル号の出発当初から、これを作るためだけの生産ラインが存在していたことが判明している。
おそらく設計段階において食事および嗜好品のレパートリーを決定した人員の中に、よほどこのお菓子が好きな者が居たのだろうと推察された。
「で、今作ってるのはどんなやつなんだっけ?」
「ほら、こないだ本で見せたやつだよ」
「ああ」
オリビアはレシピ本を手元に引っ張り寄せると、折り目がついたページを眺めた。もっとも、原材料名などは半分も知らなかったので、興味は出来上がりの様子を示した写真と、料理の名前のみに向けられた。
「『タケノコノサト』、って読むのでいいのかなこれ?」
「うん、それで合ってるみたいだね」
「ふうん……」
タケノコノサト、タケノコノサト、と、オリビアは呪文のように唱えながら反芻していた。
「名前も形もヘンテコだけど、この表紙に書いてある『再現レシピ』って何のことなの?」
オリビアは本を持ち上げて、表紙をタイヨウの方に向けて見せた。
「うーん、僕もなんとなくだけど……地球では、あらゆるものが『商品』として『通貨』を介して『流通』している、って教わったろう?」
「うん」
とオリビアは答えたが、それが具体的にどういうことなのかを感覚では理解していなかった。もっとも、それはタイヨウも同じだったが。
「で、『商品』ってのは、自分で作るのが困難だったり、そもそも作り方が公開されてなくて『購入』するしかないものがあって、お菓子に関してもそういう品物があった。らしい」
「なるほど……?ああ、わかった。普通だったら『購入』するしかないその『商品』の作り方を解析して、個人で作るための方法としてまとめたのがこの本、ってこと?」
「そういうこと。らしい」
「はぁ……地球の人たちって、もしかして暇なの?」
オリビアは本を頭上にかかげて、座ったまま回転椅子をぐるぐると回転させた。
「暇なのかは分からないけれど、そのお菓子には変な曰くがあるんだよ」
「いわく?」
「それも、さっき話にあった『キノコノヤマ』と。因縁というか」
「因縁??」
首を右に左にと傾げるオリビア。
タイヨウは、ビスケットの先にチョコレートを塗布する作業をしながら、地球からのアーカイブで数々の文献に登場する、『キノコタケノコ戦争』について、オリビアに語って聞かせた。
***
「……つまり、実際の『戦争』じゃないのよね?」
「うん、さすがに」
トレイに並べたチョコレート付きの完成体をタイヨウが冷蔵庫へしまっている間に、オリビアが談話室からコーヒーを2つ持ってきてくれたので、話の続きをしながら一息ついていた。
「えーと……戦争、ってさ。人類の行ないで最も憎むべきものだって習ったじゃない?」
「だね」
地球上から戦争行為を廃絶するのには、途方もない努力と、数を言いたくないほどの犠牲と、何世紀にも渡る国家間の激しい攻防があったことを、その醜さや愚かしさとともに彼らは学んでいた。
「それなのに、たかがお菓子の好き嫌いに『戦争』なんて呼び名をつけてたの?なんで?」
「もちろん僕にも、実際のところは分からないんだけどさ、メディアや文学、エンターテイメントの分野にいたるまで、色んな文献のいたるところに出てくるんだよ。その『キノコタケノコ戦争』って言葉が」
「"Battle of Mashrooms 'n Bambooshoots"、ねぇ……」
「中には、霊長類最強と呼ばれた女性アスリートがタケノコ派閥について、キノコ派を粛清するために暴れて地球のコアを破壊しかけた、なんてことが克明に記されている記録もあった」
「絶対に嘘でしょそれ」
「まぁさすがにジョークだと思うけど、何かしら永きに渡っての諍いがあったのは確からしいよ」
実はタイヨウには、一つ心に引っかかっていることがあった。
この船の菓子レパートリーに、もともと『タケノコノサト』が無く、『キノコノヤマ』だけが採用されていることだ。
タイヨウが調べたさまざまな文献によると、両者の人気度は互角というわけではなく、『タケノコノサト』の方が常に若干上回っている、とされた記録が多かった。
それなのに、なぜキノコとタケノコの両方を船で採用しないどころか、不人気のキノコだけを採用したのか?
『戦争』という大袈裟に思える比喩が、しかしながらただの比喩では収めきれない何かを含んでいたのでは?という、疑念とも懸念ともつかないモヤモヤとしたものを、僅かながらタイヨウは感じていた。
そんなことを考えつつ手元のコーヒーへ落とした視線に、ふとリストバンドの時計が映った。
「そういえば長い時間付き合わせちゃったけれど、子どもたちの方はいいの?」
「うん、今はちょうどお昼寝の時間だから。たまに途中で起きちゃう子もいるけれど、アニカにお願いしてあるし」
アニカはタイヨウたちより5歳下の13歳で、オリビアが最初に世話をした子どもたちの一人だった。オリビアをとても敬愛しており、タイヨウは幼い彼女がオリビアの後を一生懸命について回っていた姿をよく覚えていた。
「そうか、アニカも頼れるようになったね」
「昔から真面目だったもの、あの子。小さい頃は臆病でよく泣いていたけれど……それでもウルウルした時の大きな目が本当に可愛くて、おねえちゃん、おねえちゃんってずっと離れなくて……思い出すなぁ……」
子供の話をしている時の、情愛と優しさが溢れ出ているオリビアの表情が、タイヨウは好きだった。
***
クレイドル号の人口調整および世代継承は、それがこの航海における最重要課題でもあるため、特に慎重に行われていた。
船内では自由恋愛が認められていたが、いざ子どもを持ちたいとなった場合は『ペアリング』という申請を事前にティーチャーへ行なった上で、ということになっている。
地球における婚姻の申請とは非なるもので、単純に遺伝子の継承を明らかにするための意味合いが強く、生まれた子どもは誰の子どもであろうと全員で面倒を見る、という意識が根付いていた。夫婦や家庭における縛りも、決まりとしては存在せず、精神的な面でもそれはかなり緩いものとなっていた。
しかし当然ながら、自由恋愛のみに任せていると人間の数が世代によってまちまちになる。実際には、想定よりも常に少なくなりがちであった。
とはいえ、ただ世代を繋ぐためだけに出産を強制するのは好ましくないというのもクレイドル号の理念にはあったので、世代ごとに人員が不足すると予想された場合は、あらかじめ船内に凍結保存された受精卵を用いて人工子宮による育成で補なう、という措置が取られていた。
ペアリングによって生まれた子は「ナチュラルズ」、人工的な場合は「シリアルズ」と呼ばれていた。オリビアやアニカは前者、タイヨウは後者だった。
これは単に両者を区別するための呼称に過ぎず、差別的な意識は乗員たちにも一切ない。ただ、乗員の間で代々伝わっている、
『ナチュラルズには感情が豊かな子が多い』
『シリアルズには変わり者が多い』
という風説があり、タイヨウとオリビアはお互いにその説を固く信じていた。
***
「タイヨウもさ、たまには手伝ってよ。子供、嫌いじゃないでしょ?」
「まぁ、ね」
「いつもこんなとこに籠もってないでさ。ただでさえ、あなたちょっと、皆から浮いてるんだから」
「え、そうなの?」
「そうなの?じゃないわよ、そういうとこだよ。もう……」
オリビアはやれやれといった風に首を振り、眼前にこぼれた前髪をかき上げながら眉を寄せた。
「せっかくライブラリィの『管理者』にまでなったんだから、もっと自慢していいのに」
数々のスイーツ用素材を生産するためにライブラリィの工程管理を熟知したタイヨウは、ティーチャーにその知識とスキルを認められ、限定的ではあるが、ライブラリィの生産管理における運用権限を持つ『Administrator』の称号を与えられていた。
これまでも稀に乗員に対して与えられてきた権限ではあったが、彼のように10代のうちに取得した例は過去に無い、とのことだった。
とはいえ、彼はそのせっかくの権限を、もっぱら「書籍を紙で出力して本にする」などという、自分の趣味嗜好を実現するのに使っているのだった。紙に関しても、紙の素材になるものがそもそも無かったので、わざわざ紙の精製に適した植物を栽培するところから始めて、である。
「いや自慢も何も、やりたいことをやっていたら手に入っちゃった、みたいな権限だしね。偉くなったつもりも無いから、悔しいとかも無いし……」
と、誰かがドアをノックする音が聞こえた。
どうぞ、とタイヨウが声をかけると、ゆっくりと開いたドアの隙間から、小さな頭がのぞいた。
「オリビアおねえちゃん、いる?」
ノックの主は、ちょうど話題に出ていたアニカだった。
「あらアニカ。みんな起きちゃったかな?」
「ううん、でもモニカとカイトがそろそろ起きそうだから……うわっ!この部屋、すっごくいい匂いがする!」
室内の甘い空気を吸い尽くそうと、行儀悪く鼻を鳴らすアニカ。好奇心に満ちた大きな瞳と、襟の上で揃えられたショートボブの色が、どちらもちょうど先ほどまで作っていたミルクチョコレートのようで、髪型からしてキノコノヤマを連想するなぁ、とタイヨウは思った。
「よかったら、二人とも行く前に試食していくかい?」
「ええっ!なになに、何を作ってたの??」
軽く飛び跳ねながら期待を膨らませるアニカ。
「それって実験台ってこと?」
「そうか、オリビアは食べたくないんだね」
「冗談だってば。だいたい、私も手伝ったじゃないの」
「はいはい」
タイヨウは冷蔵庫から、トレイに乗った完成品を取り出してきた。手を消毒してからそのうちの一つに軽く触れてみたが、チョコレートの部分もちゃんと固まってくれているようだ。
「大丈夫そうだね。じゃあ、どうぞ」
「「いただきまーす」」
3人は同時に、口の中へ出来立てのタケノコノサトを放り込んだ。
「……ん?」
「これは……」
「お……」
そしてまた3人同時に、
「「「おいしーいっ!!」」
と感嘆の声を上げた。
「なにコレっ?サクサク感が絶妙だよっ!」
「しかもそれがチョコレートとすごく合ってる!」
アニカとオリビアが激賞しながら、早くも2つ目に手を伸ばした。
「うん……うん、なるほど。こんな食感になるのか。アーモンドパウダーが効いてるのかな……チョコはもう少し柔らかめでもいいかも……」
冷静にレビューしながら電子パッドにメモをしていたタイヨウだったが、研究対象がみるみるうちに減ってゆくのを見て、慌てて静止の号令を出した。
「待った!そこまで!二人で全部食べないでくれよ」
「そうだよ、オリビアおねえちゃん、これ他の子にも食べてもらおうよ!こんなに美味しいお菓子、私たちだけで食べちゃったらもったいないもの!」
「あ、いや。そういう意味ではなくて……」
「いいわね!いまお皿を持ってくるから!」
「あの……僕が確認する分も……」
結局、タイヨウが検証に使えるように残してもらえたのはわずか数粒で、残りはすべてオリビアたちに奪取されてしまった。
「だいじょーぶ!ちゃんとみんなにも感想聞いてくるから!」
「それだけは忘れないで頼むよ……僕は片付けがあるから」
うなだれるタイヨウを実験室に残し、急かすアニカに引っ張られて、オリビアは実験室を出た。
『――偉くなったつもりもないし、悔しくもない』
ふと、タイヨウの言葉を思い返していた。
彼の料理やお菓子作りへの情熱は、確かに最初の頃こそ理解しかねることも多かったが、ああしてきちんと実を結ぶと、それが必ずしも無駄なことではなかったのが分かる。
地球では、『努力』というものが奨励されると聞く。
オリビアも概念としては理解していたが、競争というものが積極的には存在せず、緩やかな生活が続くクレイドル号では、なかなか尊重されにくいものであるように感じていた。
彼が成していることは、おそらくその『努力』だと思う。
だから、皆にも彼のひたむきさがもっと伝わればいいのに、と常々思っていた。
(……あなたが悔しくなくても、私が悔しいのよ。)
保育室へと急ぎながら、オリビアは舌の上に残るチョコレートの味を噛み締めていた。
「ねー、タイヨウ。まだなのー?」
「はやく食べたーい!」
「わたしもー!」
実験室のドアが半開きになって、子どもたちが鈴なりに顔をのぞかせている。
「ほらほらみんな、お兄ちゃんに無理言わないの。もう少し待っててね。危ないから入っちゃだめよ」
髪をお団子にまとめた頭をバンダナでくるみ、タイヨウと同じく実験用エプロンをつけたオリビアが、子どもたちを諫めながらビスケット型に生地を詰めている。
「「はーい」」
オリビアが注意するといったん散開する子どもたちだが、しばらくすると『まだー?』と言いながら戻ってくる。その繰り返しだった。
「やれやれ……週に二回とはいえ、いまだにこれだものなぁ……」
タイヨウが溜息をつきながら、アルミ製のボウルでチョコレートをテンパリングしていた。
「いいじゃない、子どもたちに大人気になれて。お兄ちゃん?」
冗談めかして笑うオリビア。
「人気があるのは、僕じゃなくて『タケノコノサト』だろう?」
「うん、それはそうね」
「そこは否定しようよ……」
「あははっ」
様子を見に来るのはさすがに子どもたちだけだったが、出来上がりを楽しみにしているのは子どもたちだけではない。
最初の試食から数週間、タイヨウが作った『タケノコノサト』は、いまや船内でブームと言っていいほどの人気を博していた。
***
『本当に美味しいし、変な見た目も見慣れるとかわいい』
『こんなものが船で作れるなんて思いもしなかった!』
『お菓子をアレンジするという発想がなかったよ』
という、単純なお菓子への賛辞はもちろんだったが、
『本当にタイヨウが作ったのか?驚きだよ。』
『ライブラリィに籠もっているばかりだと思ったら、こんな発明をしてたなんてなぁ、見直したぜ。』
『知識をこんな風に活用するなんて、凄いことだわ。』
などなど、今までは「いつもライブラリィに入り浸って、何をしているのかよく分からない変わり者の若者」という認識だったタイヨウの評価を改める声も、少なからずあった。
前者の感想は主にタイヨウを、後者の賛辞はオリビアを、とても喜ばせた。
「クレイドル号だとさ、食べるということは基本的に生命を維持するための義務みたいなところがあるじゃない?」
「うんうん」
「そもそも『料理にはどんな種類があるのか』を皆知らないから、食べる楽しみには実はとても奥行きがある、ということも知らなかったわけで、それへの気付きではないかと僕は思ってるんだけど……」
「うんうん」
「……なんだか最近、オリビアはとても機嫌がいいね?」
「うんうんうん」
そんな感じで、タイヨウは船内のあちこちで『あのお菓子を作ってくれ』と声をかけられることになった。
(みんな、キノコノヤマに飽きてたっていうのが一番なんだろうな……)
と、タイヨウは分析していた。何故なら、よく聞かれる声として、
「キノコノヤマも、別に悪くはないんだけどさ」
という前置きがされることが多かったからだ。
キノコそのものの評判が良くないわけではないが、大人などは生まれた時からずっと見てきたお菓子で、しかもクレイドル号のレパートリーにはチョコレート菓子がほとんど無い。目新しいものがもてはやされたとしても、仕方のないことだろうと思った。
そんなわけで、仕方なくビスケット型を追加で製作し、オリビアにも作業を手伝ってもらうことになったが、常に作っているわけにもいかないので、週に二回の『タケノコデー』を設定し、その日のみ皆に振る舞うことになったのだった。
***
「……とは言っても、オーブンがこれだからな。限界があるよね」
大量生産を阻む一番のネックはオーブンだった。そもそも料理用ではない燃焼実験用のオーブンなので、タイヨウもビスケット型の形状は色々と試行錯誤したのだが、一度に焼けるのはせいぜい50個程度。タケノコの里を所望する人数も常にそのくらいは居るが、一人に一粒というわけにもならず、全員が満足に食べられる量はいまだに作り出せずにいた。
「でもほら、『キノコノヤマ』はティーチャーに欲しいって言えばたくさん出てくるじゃない?あれはどうやってるの?」
「あれはきちんと工程を確立させた上で、ライブラリィの生産ラインに載せてるんだよ」
「あー、普段食べてるパンとか、ソイバーグみたいなものと一緒ってこと?」
「そういうこと」
「そうかぁ……」
オリビアは、以前に受けたクレイドル号の構成に関するレクチャーを思い出した。
ライブラリィの製造区画には、日常的に食べている食品のための生産ラインがあり、野菜工場などから産出された素材を使って、ほぼ100%自動によって各種の食品が作られている。確かそう教わった。
つまり食品の中でも嗜好品の部類でいくと、以前からあったビスケット、スコーン、ゼリー類、そしてキノコノヤマなども、その生産ラインに載っているということで――
「ちょっと待った。あらためて考えると、そのレパートリーって『キノコノヤマ』だけなんだか妙に浮いてない?」
「うん、それは僕も前から思ってる」
「なんで一つだけ、ものすごく固有製品っぽいのが入ってるの?」
「何かしら理由はあるんだろうけれど、とりあえずマニュアルには載ってなかった。そのうち調べてみようかとは思っていて……」
そんな話をしている間も、子どもたちが絶え間なく様子を見に来るので、二人はとりあえず作業の手は止めないでいた。
「じゃあさ、このタケノコノサトも、その生産ラインに加えればいいんじゃないの?」
「それは――」
一瞬、チョコレートを混ぜるタイヨウの手が止まった。
「――生産ラインの区画には、もう余裕がないんじゃないかな」
「そうなの?」
なんとなく、タイヨウの『ないんじゃないかな』という言い方が、彼にしては妙に曖昧なもののように、オリビアには思えた。
ライブラリィの管理者として生産ラインを熟知している彼なら、余裕の有無はイエスかノーで即答できるはずだが、なぜ『ないのではないだろうか』などという、推測のような言い方をするのだろうか。
「おねえちゃーん、お菓子の入れ物もってきたよ」
オリビアの思考をさえぎるタイミングで、アニカが実験室に入ってきた。
「ありがとう!そこに置いておいて……あら?これ、中身が残ってるじゃない」
子どもたちにおやつを出すために使っている平たい樹脂製の深皿には、もともと入っていたらしきキノコノヤマが、まだいくつか残っていた。
「そう、これ今日のおやつだったんだけど、あの子たち食べないのよね。タケノコの方がいいんだー、って」
「そうなの?タケノコが人気なのはいいけど、それも困ったわね……どうしよう、これ」
「よかったら、僕がもらってもいい?」
いつの間にか、タイヨウがチョコレートのボウルを抱えたまま、二人のすぐ後ろに近寄ってきていた。
「食べるの、これ?子どもたちの残り物よ?」
「別にかまわないよ。アニカ、そっちに調味料を入れる小さなお皿があるから、キノコはそれに移して、深皿は一度拭いて消毒してくれるかな」
「うん、わかった」
言われたとおりに、キノコを移すアニカ。コツン、コツンという、キノコが小皿の底に当たる音が、オリビアの耳に妙に響いた。
「あのさ、タイヨウ?さっきの話なんだけど……」
「さっき?って……ごめん、何の話してたっけ?」
「あ、えっと……」
本当は生産ラインの話に戻したかったが、アニカの存在が気になった。
つい今しがた話していたのに、珍しくタイヨウが話題を覚えていないことにも、わずかな違和感を覚えた。
「でもね、けっこういるんだよ。『キノコ派』の子も」
そしてそのもやもやしたまとまらない気持ちは、再びアニカによってそがれた。
「キノコ派、だなんて。なんだか物々しいね」
テンパリングを終えたらしいタイヨウが、小皿のキノコを口へ運びながら笑った。
「知らない?最近みんな言ってるのよ。『おれはタケノコ派だ!』とか、『わたしはキノコ派!』って」
「ああ……そういえば言ってたわね」
オリビアも、保育室で子どもたちがキノコとタケノコのどちらが美味しいかについて可愛らしい議論をしているのを見かけていた。モニカなどは、かなり保守的なキノコ派のようだった。
「あーっ!タイヨウ、つまみ食いしてる!」
またドアの陰からだった。男の子たちが何人か、咀嚼しているタイヨウを指さして抗議の声を挙げていた。
「これはキノコだよ。いまタケノコも出すから待ってな」
タイヨウは、小皿を持ち上げて中身を子どもたちに見えるように傾けた。少年たちは残念そうな声を上げる。
「なんだよー、タイヨウってキノコ派なのか?」
「これからはタケノコ派の時代だぞー」
ちょうど話題に出ていた用語が飛び出す。室内の三人は顔を見合わせて、やれやれ、という苦笑いを見せた。
「冷やしていた分はもういいだろう。アニカ、ついでで悪いけれど手伝ってくれないか」
「はーい」
残っていたキノコを素早く平らげると、タイヨウは手を拭いて冷蔵庫の方へ向かう。
オリビアは、空になった小皿をなんとなく見つめていた。
(タケノコも、一度にたくさん作れるようになったらいいのにな)
そんなことを考えながら。
転機が訪れたのは、それからさらに一ヶ月ほど経ってからのことだった。
宇宙空間では、というより太陽系以外の場所では、日付や曜日というものにはあまり意味が無いのだが、クレイドル号では地球の太陽暦を踏襲して「年」「月」「日」「曜日」および時間が定められ、乗員はそれに従って生活していた。
そして地球でいうところの「月末」に、船内における各部門のリーダーが集まって、その月にあった出来事や懸念事項などを共有するための会議が行われていた。
とはいえ、クレイドル号の日常はほとんど問題らしい問題も起きないものだったので、形式上の報告で終わるのが常だった。もともとは毎週末に行われていたのが、あまりに議題が無いので、30年ほど前に月末のみ開催に改められた、とタイヨウは聞いたことがある。
そのタイヨウも、ライブラリィの管理権限を持つという理由で、最年少の列席者として参加させられていた。と言っても、生産部門について型通りの報告をしたあとは退屈な議題を聞き流すのみで、あくびを噛みころすのにいつも必死だった。
「――今月はこんなところかな。他に、何か話がある者は?」
議長のアランが、良く通るバリトンの声で言った。彫りの深い顔にロマンスグレーの髪とあご髭がよく似合う彼は、クレイドル号の6代目船長でもあった。
『何か話がある者は』という議長の問い掛けは、議題に乏しい月例会議においては会議の終了を告げる合図と同義だった。タイヨウは椅子からお尻を上げるつもりになったが――
「私から、一つ提言があります」
ふいに、列席者の頭上から声が降ってきた。ティーチャーだった。
「おや、意見とは珍しいねティーチャー。何の話かな?」
アランが応えた通り、ティーチャーは会議の途中で質問された内容に回答することはあっても、自ら発言してくるのは稀なことだった。タイヨウだけでなく他のメンバーも、浮かせかけた腰を椅子に戻して姿勢を正した。
「ライブラリィ管理者を務めている、タイヨウのことですが」
いきなり名前を呼ばれ、座り直そうとしていたタイヨウはバランスを崩しかけて、椅子の足が少々大きめの音を立てた。皆が一斉に彼の方を向く。
「彼のライブラリィにおける活動時間が、先月比で32%減少しています。理由は、先月より彼が取り組んでいる嗜好品に多くの時間を割いているためだと認識していますが、相違ないでしょうか、タイヨウ?」
「は、はい。具体的な割合は把握していませんでしたが、影響の原因はそれで間違いないと思います」
確かに、タケノコノサトを作る作業が週二回加わったので、ライブラリィに足を向ける時間が少なくなっているのは実感していた。
「何か支障が起きているのかな、ティーチャー?」
アランが尋ねる。
「いいえ。ライブラリィの運営自体は正常です。問題も発生していません」
「ふむ?」
「タイヨウに関してまず申し上げたいのは、ライブラリィの稼働効率が、彼が管理者になってからの1年間で1.3%の上昇を成したことです。1年で1%を超える高効率化を達成したのは、記録では37年振りになります」
おおっ、という感嘆の声が挙がる。
「それは知らなかったな。凄いじゃないか、タイヨウ」
「い、いえ。そんな……」
これにはタイヨウも驚いた。
「ですので、出来れば彼には今後も積極的にライブラリィの運用に参画していただくのが、クレイドル号にとって有益であると推算されます」
何のことはない、お菓子を作るために必要なリソースを確保するために、既にある植物工場などの運用効率を上げようと、効率の悪そうな作業工程の再構築をしたり、資源のリユースなどを積極的に取り入れていただけだったのだが、それが結果としてそんな風に船へ寄与していたとは。
「なるほど。つまり、菓子作りなんかにかまけていないで、もっと私の相手をして欲しいと妬いているのだね、ティーチャー?」
冗談めかしたアランの言葉に、列席者から笑いが漏れる。
「私は嫉妬なる感情を持ち合わせておりませんが、彼がライブラリィに関与できる時間を増やせるように、という意味であればアランの仰る通りです」
苦笑いを見せるアラン。タイヨウは背中がむずがゆかった。
「いや、からかってすまなかった。承知したよ――ということだが、どうかね、タイヨウ?」
タイヨウは腕組みをして天井を見上げ、姿を持たないティーチャーに向けて言った。
「そうですね……作業の手順さえマニュアル化できれば、当番制にして僕以外の人にも作ってもらうようにする、ということも考えてはいました」
何人かのメンバーが小さくうなづく。
「ふぅむ……タケノコノサトの需要が今後も続くようであれば、そのようにルーティーン化するのもよい……か?」
というアランの言葉に、初老の委員が注文をつけた。
「悪くない案だと思うが、当番制という点がどうも引っかかるな。嗜好品の製造のために、恒常的な仕事を増やすのはいかがなものだろうか」
ううむ、と唸る声がいくつか聞こえた。いずれも年配のメンバーからのようで、過去に何か苦い経験があるのかも知れないな、とタイヨウは思った。
「だったら、有志だけにしてはどうかしら?」
「それはそれで、人数が多少増えはするが、負担がタイヨウからその有志メンバーに移るだけになってしまうのでは」
「継続してニーズが発生しそうなものを、有志の人間でまかなってゆくのは、どこかで無理が出てきそうな気がするのですけれど……」
など、複数の意見が出たが、いずれも妙案に繋がりそうなものはなかった。
アランがあご髭を撫でながら、どうまとめたものかと思案していると、
「そこで、私からの案なのですが」
と、ティーチャーがあらためて発言した。
「ライブラリィに、『タケノコノサト』の生産ラインを新設する、というものです」
メンバーは新鮮な驚きを得たという感じで、互いに顔を見合わせた。
「なんだ、そんな方法があるのか。それなら――」
アランはティーチャーにそう聞き返そうとしたが、列席者の中で唯一人、タイヨウが複雑な表情をしているのに気づき、途中で言葉を切った。
「でもティーチャー、現状の食品向け生産ラインには設備のスペースにも資材にも余裕は無いはずですが」
そのタイヨウが、口を開いた。
アランはその口調に、妙に真剣な空気を感じていた。
「はい。ですので代わりに、『キノコノヤマ』の生産停止を提案します」
再度どよめく一同。
タイヨウだけが動じていなかった。ティーチャーのその提案を、ある程度予想していたからだった。
「『キノコノヤマ』は嗜好品の一つですが、乗員からのリクエスト回数は近年ずっと低下傾向にありました。加えてこの一ヶ月ほどで、さらにその前の半分以下にまで落ち込んでいます」
ティーチャーが説明を続ける。
「クレイドル号の記録上、生産ラインの入れ替わりは珍しいことではありません。ニーズの低下により廃止されたり、他の食品と入れ替えられた食品はこれまでにも存在しました」
タイヨウは口を一文字に結び、押し黙っていた。
「加えて、今後30年間の食品ニーズと人気の予測を試みましたが、キノコノヤマがタケノコノサトを上回ることはない、という結果が出ております。乗員の年代別増減パターンを23通り用意してシミュレーションしましたが、全パターンにおいて同じ結果です。」
タケノコ派の圧勝、という未来予測。
理屈としては理解できるものであったし、たかが嗜好品、と言ってしまえばそれまでとも言える物品の話ではあったが、今まで当たり前に存在したものを葬るという決断がはたして正しいのか、という意識がメンバーの口を重くし、タイヨウのみならず全員が押し黙った。
「――決を採るか。乗員全員で」
先ほどの初老の委員が、独白のように言った。
他のメンバーは目立って賛同も反対もしないが、それしか無いかな、という空気が漂い始めていた。
「……多数決そのものには反対ではないが、本件に関してはすぐには同意できない」
アランが答えた。
「すぐには、という条件付きで、だがね。いま採決を試みれば、勢いのあるタケノコ派に票が集まるのは明らかだろう。現状における得策とは思い難い」
年配のメンバーたちも然りと思ったのか、異議は唱える者はいなかった。
アランは他に意見が無いのを確認し、長く息を吐きながら椅子の背もたれに身を預けた。
「ティーチャーの提案は承ったが、少し様子を見ようじゃないか。タイヨウのことにしても、別に彼が直ちにライブラリィの運用に復帰しないと船が沈む、という話でもない。そうだろう、ティーチャー?」
「はい。現状、本件には対応期限は設けません。あくまで提案です」
アランはうなづくと、タイヨウの方を向いて声をかけた。
「というわけだ、タイヨウ。私も色々とヒアリングしてみるから、君も良い方法が無いか模索してみてくれ」
「――はい」
絞り出すような声でタイヨウが答えて、会議はお開きとなった。
「ああ、タイヨウ。ちょっと――」
皆がバラバラとミーティングルームを出ていこうとしたところで、タイヨウはアランにつかまり、部屋には二人だけが残った。
「これは極めて個人的な意見として言うのだが……私は出来れば、この件は君の考えを最優先にしたいと思っている」
「えっ?」
「ライブラリィへの貢献は君の研鑽による賜物だし、タケノコノサトにしてもそうだ。君が居なければ生まれなかった代物だろう?私もあのお菓子はいただいたが、とても面白い味だったよ」
「…………」
「全て君がいなければ成し得なかったものに対して、多数決でどうこうと決めてしまうのは、どうにも勝手ではないか、と感じてしまってね」
「そんなことは……僕もこの船の一員である以上、決定に従うのは当然のことだと思っています」
アランは目を細めて微笑み、タイヨウの肩に手を置いた。
「それが聞けただけで十分だ。その思いは持ったままで、まずは自分がどうしたいかをよく考えてみてくれ」
アランはそう言って部屋を出ていき、後にはタイヨウだけが残された。
「僕は……どうしたら……」
もう一度天井を見つめたが、ティーチャーは黙して何も語らなかった。
定例会議の内容は秘匿されない。出席者は自身の判断で、議事の次第を誰に話してもかまわない。そもそも議事録も作られて公開されている。
「キノコノヤマが廃止され、代わりにタケノコノサトが嗜好食品のレギュラーとして追加される」
という議題が出たことは、決定事項ではないという点を除けば一応は真実であったので、話題に飢えた乗員の間に瞬く間に広がった。
当然、悲喜こもごもであった。
タイヨウは誰かに会うたびに、それがタケノコ派なら「よくやった」「ありがとう」と声をかけられたし、キノコ派であれば「何故なんだ」と問い詰められることもあった。
「やれやれ、だな……」
ため息をつきながら、タイヨウは逃げるように実験室へ入った。
会議の翌日は、ちょうど『タケノコデー』だったので、ライブラリィで材料を揃えた彼は、なるべく人と顔を合わせないように移動し、いつもより大分早いが実験室に引きこもることに決めていた。
「おつかれー。大変ね」
だが先客がいた。彼が早めに来ると見越して、さらに早く張り込んでいたオリビアだった。
「ああ……まいったよ、本当に――」
――まだ決まったわけでもないのに、とタイヨウは続けたかったのだが、
「でも、本当によかったよねー!おめでとう、タイヨウ!」
と切り出したオリビアの前に、その言葉は喉の奥で消えた。
「ええと……よかった、っていうのは?」
「え?だって、ティーチャーにもすっごい褒められたって聞いたよ?」
「あ、ああ。それは確かに嬉しかったけれど……」
「今まであまり言わなかったけどさ……私、タイヨウが認められて嬉しいんだよね……あなたの頑張りって、形になって褒められることなんてあまりなかったじゃない?」
「いや、でも……」
「謙遜しなくていいんだって。凄いことは凄いでいいじゃない」
喜びをあらわにしているオリビアを前に、タイヨウは目眩がしていた。
違うんだ、違うんだオリビア。
僕は、嬉しいけれど嬉しくないんだ。
どう伝えればいいのか分からない。なんでも理屈で上手く説明できるようになったと思っていたのに、こんなのは初めてだ。
「――あら?誰かしら」
オリビアがそう言うまで、ドアがノックされている音にも気づかなかった。
「いいわ、私が出るから。タイヨウはちょっと見えないところにいて」
思考停止に近い状態だったタイヨウは、言われるままにドアから死角になる用具棚の陰へと歩いていき、それを見計らってオリビアはドアを開けた。
「あ……オリビアおねえちゃん?」
ドアの外に立っていたのは、モニカだった。
現世代では珍しく、アニカと父母を同じくする妹で、小さい頃のアニカにそっくりだった。
「なんだ、モニカだったの。どうしたの?一人で来たの?」
オリビアはドアの外を見回す。付き添いはいない。
いつもなら保育ルームにいるはずの時間で、黙って来たのならアニカが心配しているのでは、とオリビアは思った。
「うん……あのね。タイヨウくんに、おねがいしたくて……」
「タイヨウに?ええと……今ちょっといないのよね」
「そうなの?」
「うん。用事なら私から伝えておくけど、なぁに?」
「あのね……キノコノヤマ、なくさないでほしいの」
タイヨウからは声しか聞こえなかったが、オリビアが押し黙ったのはわかった。
「わたしね、タケノコもすごくおいしいとおもうの。あんなのつくっちゃうタイヨウくんはすごいっておもうの。だけど、わたしはやっぱりキノコのほうがすきで……」
「モニカ……」
「でも、みんながタケノコのほうがいいって……タケノコのほうがおいしいから、キノコはなくなるんだって……」
モニカの涙声も、オリビアがモニカを優しくなだめているのも、タイヨウはどちらも耳を塞ぎたくてたまらなかった。
結局、オリビアはモニカを保育ルームまで送っていくことになった。
彼女が実験室に戻ってくると、タイヨウは丸椅子に腰掛け、両肘をテーブルにつき顎を乗せて、思い詰めたような表情をしていた。
「あの……さ、タイヨウ……」
オリビアはテーブルの向かいに座ったが、タイヨウは眉一つ動かさなかった。
「……うん?」
「例えば、なんだけど……ここで、タケノコの代わりに、キノコを作るって、出来たりする……?」
タイヨウは相変わらず動かずに、目線だけをオリビアに向けた。
「……それは、根本的な解決になると思う?」
「ううん、思わないけど……でも……」
オリビアも分かっていた。
今まで何の気兼ねもなく食べられていたものが、これからはタイヨウにお願いしないと食べられない、という不自由を課せられる。
どちらが人気だとか、不人気だからとか、そういう理由で片付けてよいことではないように思えた。
「……いや、良かった。もし君に『思う』って言われたら、ショックだっただろうから」
タイヨウは立ち上がると、テーブルの上に置いてあった材料を冷蔵庫にしまって、テーブルの端に埋め込まれたマルチ端末を操作し始めた。
「今日の『タケノコデー』はお休みにしよう。皆には僕から一斉連絡でお知らせを打っておくから」
「うん……」
オリビアは、タイヨウがこの部屋に入ってきた時に自分がかけた言葉が、彼を傷つけたのかも知れない、と考えていたが、だとしても、どうすれば彼の慰めになるのかも分からなかった。
「オリビアのせいじゃない」
察したのか、タイヨウは端末を操作しながらそんなことを言った。
「タイヨウ……」
「君は悪くない。他の誰も悪くない。僕も――」
タイヨウの言葉はそこで途切れ、端末を閉じた彼は立ち上がると、ドアの方へ歩き出した。
「しばらくライブラリィに籠もってると思う。何かあったら僕から連絡するよ」
「うん……わかった」
ドアを開けて部屋を出てゆく時、タイヨウがぽつりと言った、
「……作らない方が、よかったのかな」
その一言が、オリビアの耳から離れなかった。
――それから3日後。
オリビアは憔悴していた。
タイヨウが言った『しばらく籠もる』というのは、数時間か、せいぜい夕食くらいまでのことだと思っていたのが、もう丸3日もライブラリィから出てこないからだった。
定期的に「まだ戻れない」といった旨の短い連絡だけはティーチャーを介して受け取っていたが、こんなにも長く戻ってこないのはオリビアは覚えが無い。
タケノコの件もあって、オリビアは何人もの乗員たちからタイヨウの所在を聞かれるため、受け答えにも次第に疲れてきた。
悪いタイミングは重なるもので、複数の保育児が立て続けに体調を崩したため、そちらの面倒も見る必要があった。挙げ句には、
「オリビアおねえちゃん、疲れてるでしょ?私が診てるから、しばらく休んできて。おねえちゃんまで倒れちゃったら困るから。ね?」
と、アニカにまで気を遣われる始末だった。
「もう……何で戻ってこないのよ、あいつ……」
アニカに諭された通りに自室のベッドで横になりながら、オリビアはうらめしい思いで、鳴らないリストバンドを見つめていた。
全乗員の居場所はティーチャーが常に感知しているが、プライバシー尊重の観点から、基本的にそれが他のメンバーに知られることは無い。緊急時に限って、船長の判断で位置を特定することはあるが、今は一方的かつ不定期にだがタイヨウから連絡は来るので「緊急」かと言われると微妙なラインだった。
ライブラリィ内には長時間の作業を行なう作業員のために、簡易だが休憩室や仮眠室もある。タイヨウはおそらくそこを利用していて、さしあたり生命にも問題が無いのでティーチャーも何も言わないのだろう、と思われた。
その日も本当は『タケノコデー』のはずだったが、タイヨウからは何も連絡が無かったので、オリビアの判断で中止とした。
オリビアは夕方まで休んだ後、なんとか夕方の共同活動だけは済ませて、夕食のあとに一人でライブラリィへと向かってみた。
居住区からライブラリィへと続く、長い回廊。
いつもそこで本を読んでいるベンチに、タイヨウの姿は無かった。
「タイヨウ……」
オリビアはベンチまで行き、そっと触れてみた。冷えきったままの座面が、長らくそこには人が来ていないことを語っていた。
ライブラリィを探してみようかとも思ったが、ライブラリィは各種の生産工場まで含めると、居住区全てよりもさらに広い。そもそも、オリビアには入室が許可されていないエリアもある。探しきれるものではない。
「ねえ、ティーチャー。タイヨウがどこにいるか教えてよ」
オリビアは誰もいない回廊に向かって、訴えるように言った。
無駄だと分かりきっているが、ティーチャーなら知っているということを知っていると、どうにも尋ねたくなってしまう。
「乗員のプライバシー守秘義務によりお教えできません。そしてオリビアからの同じ質問は、この3日間で17回目です」
オリビアは隠さずに、大きなため息をついた。
「何度でも聞くわよ。タイヨウに会いたいの。お願いだから教えて!」
人間の乗員が聞けば、狂おしいほどに切実な口調だと感じただろうが、当然ながらティーチャーに泣き落としは効かない。
「お答えできませ――」
効かない、はずだったのだが、何故かティーチャーの回答が中途半端なところで途切れた。
「……ん?どうしたのティーチャー?」
数秒の間を置いて、ティーチャーの声が復帰した。
「――パーミッションが更新されました。オリビアに、タイヨウの現在位置をお知らせします」
首を傾げるオリビア。
「えっと……教えてくれるのは嬉しいけど、どういうこと?」
「管理者特権で、オリビアだけにタイヨウの位置情報を確認する権限の付与がなされました」
タイヨウの方から、自分の居場所を知らせてかまわない、という許可がオリビアだけに与えられた、ということのようだった。
「タイヨウから?――わかった。で、あいつはどこにいるの?」
「オリビアは過去に入室記録の無い場所です。足元の誘導灯に従って進んでください」
ティーチャーの声と同時に、回廊の床に緑色に光るラインが現れて、ライブラリィの奥まで向かって明滅しはじめた。この光に従ってゆけ、ということらしい。
「場所は、D4区画です」
「D4……確かに知らないわね。何がある部屋なの?」
「緊急脱出用の射出ポッド管理ブロックです」
えっ、とオリビアが呟いた時、視界の端に何かが映った気がして、彼女は反射的にそちらを見た。
回廊に広がる窓の向こう、見飽きた宇宙空間に、彼女が生まれて初めて見るものが――クレイドル号から射出されたとおぼしき何らかの物体が、閃光のような速さで船から一直線に遠ざかってゆくのが見えた。
誘導灯の終点にあった自動ドアを、ドアが開ききるのを待つのももどかしく、身体をねじ込むようにして部屋に入ったオリビアが見たのは、目を丸くしてこちらを見ているタイヨウの姿だった。
「オリビアかい?どうしたの、そんなに慌てて」
壁にある複数のスイッチとコンソールパネルを交互に操作していたタイヨウは、銀髪を振り乱し息を切らしているオリビアに面食らった様子を見せた。
「どうした、って……さっきの、アレは、何なのよっ……?!」
船体の外壁に面した部屋は、運動室にあるスカッシュのコートと同じくらいの広さがあり、大人一人用の寝台がすっぽり入るほどの大きさをしたカプセル状の物体がいくつも並べられている。外壁の一箇所にある射出用ハッチと思われる箇所が大きな駆動音を立てていた。
「あ、まだクローズ処理の途中だからそっちには行かないでね。何しろ僕も初めて使ったから、動作がどういう風に収束するのか分からなくて――」
「あれは何だって聞いてるのよっ!!」
タイヨウが操作しているコンソールパネル群の横には、直径1mほどの丸窓が設けられていた。射出された脱出カプセルの軌道を確認するためのものだったが、オリビアはその丸窓を指さして叫んだ。
「ああ、あれね。――例のレシピ本を入れて射出したんだ。あの中に」
「えっ……?」
「さっき、あのレシピ本の書籍データをライブラリィのオリジナルアーカイブからも消してね…………うん、これでよし、と」
一連の操作フェーズを終えたタイヨウは、コンソールの表示を一通り確かめてから、壁にあったレバーを引いた。ハッチの方からずっと響いていた鈍い機械音が、徐々に小さくなってゆく。
「本もこれで無くなったから、『タケノコノサト』のレシピはもうこの船のどこにも無い……わけでもないか。今は、僕の頭の中だけにある」
タイヨウはオリビアのところへ寄ってきて、彼女の手を取った。
「どうして……そんなこと……」
「『タケノコノサト』を生産ラインに載せるための作業をしていた時に、僕が操作を誤ってレシピのデータを消してしまった。皆にはそう説明するつもりだ。幸い、あの本の存在を知っているのは君だけだしね」
オリビアは泣きたいような、困ったような、怒ったような、さまざまな感情が入り混じった顔をふるふると横に振った。
「だって、そんな……そんなこと、皆になんて言うの……」
「僕から上手く話すよ。もちろんアラン船長にも大目玉を食らうだろうし、みんなから非難もされるだろうけれど、たかがお菓子のことじゃないか。しばらくすれば、みんな忘れてくれるさ」
そうじゃない、とオリビアは思った。
タイヨウの評価がもっと上がればいい、と考えていたのに、これでは逆に評判を落とすだけではないか。
「……タケノコを、生産ラインに載せないためにやったの……?」
「うーん……?ちょっと違うかな」
顎に手を当てて首をひねるタイヨウ。
「正確には、キノコを生産ラインから消さないために、だね」
「……キノコを、残したかったから、ってこと?」
「うん」
さもありなん、といった様子でうなづく。
「どうして、そこまで……」
「だって、僕は『キノコ派』だし」
オリビアは目を見開いた。
タケノコノサトを再現したのはタイヨウなのだし、彼はタケノコ派なのではと漠然と思っていたのに――いや、そういえば彼が本当はどちらが好きなのかを、彼の口から聞いたことがあっただろうか――?
「そんな……私、あなたはタケノコが好きなんだとばかり……」
オリビアが困惑したようにそう言うと、タイヨウもまた困ったような様子で、
「だって、『キノコノヤマ』だよ?……忘れちゃった?」
と、その困惑の中にわずかに悲しさを混ぜて、そう聞き返してきた。
ちょっと前にもそんな風に問われたことがあったような――と思った時、オリビアは唐突に思い出した。
ライブラリィ。回廊。キノコノヤマ。
それは、とても古い記憶。
まだオリビアとタイヨウが、保育時期から抜けるか抜けないかくらいの頃のことだった。
***
「タイヨウ!やっぱりここにいた!!」
ライブラリィへの回廊。用事がない限り訪れる者も少ない場所だが、そこは幼い頃からタイヨウのお気に入りだった。
無重力の動きに慣れないオリビアが、小さな手足をじたばたさせながら、星空が見える大きな窓の辺りで頭を下にして浮かんでいるタイヨウへと近づいていった。
「あれ、オリビア。どうしたの?」
声に気づいたタイヨウは、窓を軽く押してオリビアの方へと進んできた。
「どうしたの、じゃないわよ……よいしょ、っと」
四苦八苦しながら最寄りのベンチまで辿り着いたオリビアは、ベンチに備わった固定用シートベルトを掴んで一息ついた。
「タイヨウ、これ食べずにいっちゃったでしょ。くいしんぼのトミーがあなたのも食べちゃいそうだったから、もってきてあげたのよ」
オリビアは食品支給用の小さなタッパーをポケットから出した。半透明の容器には、茶色い何かが中に見えている。
「なんだ、あとでもよかったのに」
はぁ、とあからさまに溜息をつくオリビア。
「あなたって、どこかにいっちゃったら、いつ戻ってくるかわからないんだもの。こっちから探しに行ったほうが早いと思って」
オリビアは肩をすくめて両手を広げる。大人の真似をしているのか、言葉の表現やジェスチャーがいちいち大袈裟な子、というのが、当時のタイヨウが抱いていたオリビアへの印象だった。
「こんなところで、いつも何してるの?」
二人はベンチに横並びに座り、ベルトで自分たちを固定した。
「もちろん、星を見てたんだよ。ここ3日くらい、すごくきれいな星雲が見えていてさ。ほら、あそこの」
タイヨウが身をよじらせて窓の外を指で示したが、数ある星雲の中のどれを指しているのかよくわからず、そもそもオリビアは興味が無かった。
「ふうん……まぁ、とりあえずこれ食べちゃいなさいよ。入れ物も返さないといけないし――あっ!」
タッパーを開けたオリビアだったが、ここが無重力エリアだということを忘れていた。
蓋を開けた勢いで、中身のチョコレート菓子は、あっという間に頭上の空間へと飛び散ってしまった。
「やっ、このっ!」
オリビアはすぐに手を伸ばしたが、指先も触れない。
と、タイヨウが素早くシートベルトを外すと、空間に飛び上がった。
「まかせて!」
オリビアと違い、普段からここに入り浸っているタイヨウは、無重力空間での移動に慣れていた。
天井近くまで浮かんだタイヨウは、くるんっと前回りをして足を天井につけると、空中を見渡してお菓子がそれぞれどこに飛んでいったかをざっくりと把握した。そして、
「よっ、と」
そのまま天井を蹴って進みながらまず一つ、勢いで壁にぶつかりそうになったのを、また身を翻して壁を蹴り、また一つ、と、器用に回廊の中をあちこち飛び回りながら、次々にお菓子を集めていった。
「うわぁ……」
オリビアは口をぽかんと開けて、その曲芸のような様子に見入っていた。
そして最後の一つになった時、ふとタイヨウが何か悪巧みを思いついたような、いじわるな笑みを浮かべた。
「オリビア、そのまま口をあけてて!」
なぜ、とオリビアが尋ねるよりも早く、タイヨウはちょうどオリビアと自分の中間地点に浮いていたお菓子を指ではじき、大きく開けられたオリビアの口へと見事にシュートした。
「!!?」
目を白黒させるオリビアの隣に戻ってくると、タイヨウは元通りベンチに腰掛けてベルトを締めた。
「これで全部みたいだね、ってイテテテテ」
「いきなり何するのよ!ノドにつまったらどうするの!!」
オリビアは目尻を吊り上げて、タイヨウの頬をつねった。
「ごめんごめん、そんなに怒るなって」
「もう……びっくりしたんだから……」
「わるかったってば。ほら、食べようよ」
タイヨウは手のひらを広げて、集めたお菓子をオリビアが持ってきたタッパーに戻し、また飛んでいかないように開口部を手で抑えた。
「え、私はいいわよ?さっき自分の分は食べたもの」
「いっしょに食べたほうがおいしいよ。ね」
「……そう?じゃあ、もらおうかな」
タイヨウとオリビアは、一つずつそのお菓子を口に運んでゆく。
「うん!おいしい!はじめて見るけど、これ、なんていうの?」
「ええと……たしか『キノコノヤマ』って言ってた」
「キノコノヤマ。ヘンな名前!でもおいしいや――ねぇ、オリビア」
「ん?」
「もってきてくれて、ありがとね」
にこやかな笑顔を向けるタイヨウに、オリビアは、
(――ちょっとおもしろいけれど、やっぱり変な子ね。タイヨウって)
と思ったのだった。
***
「――思い出した。初めてキノコノヤマを食べた時、私たち一緒にいたのよね」
返事の代わりに、タイヨウは屈託なく笑ってみせた。――あの時と同じように。
「君が言った通り、僕はキノコのレシピも把握してる。もし生産ラインから外されても、食べたい時に自分でほぼ同じものを作って食べることはできる。でも……」
タイヨウは、掴んでいたオリビアの手を、あらためて自分の両手で包んだ。
「そうじゃなくて、僕はこの船で作られたやつを食べたいんだ。あの時と変わらないキノコノヤマを……君と、一緒にね」
オリビアはうつむいたまま、顔を見せずにそのままタイヨウの胸に頭を押し当て、彼を力いっぱい抱きしめた。
「びっくりした……だって、射出ポッドなんて初めて見たし……あれは、人間が乗るものだとしか思ってなかったから……わたし、てっきり…………」
タイヨウは、小刻みに震えるオリビアの頭にそっと手を置く。
「そうか……びっくりさせたね。本当にごめんよ」
胸の中で嗚咽の声が大きくなる。オリビアの背中を軽く抱き、頭に置いた方の手で、なめらかに指が滑る銀髪を何度も丁寧に撫でた。
「……冗談みたいなもの、かな。別にあんなことしなくたって、消したいだけなら焼却処分でもすればよかったんだけど……」
タイヨウは、せっかくわざわざ物理的な紙として出力したものを燃やすことの罪悪感にかられた、と話した。
「あのレシピがどこかで生き残って、誰かの目に触れてもう一度作ってもらえたら面白いかな、なんてね」
オリビアはゆっくりと首をもたげると、泣きはらした真っ赤な瞳でタイヨウを見て吹き出した。
「ふふっ……だって、どこかに無事に行き着いたって、地球の言葉で書かれたものなんて読めるわけないじゃない……本当に変なことばかり思いつくわね、タイヨウって……」
タイヨウが苦笑いを浮かべて、二人はお互いを抱きしめていた力を緩めた。
「それにしても、そんなことのために脱出ポッドを使っちゃってよかったの?これ、すごく貴重なものだと思うけど?」
「そうはそうなんだけどさ。ティーチャーに、使っていいか、って聞いたら『わかりました』としか言われなかったんだよね」
「へぇ……?」
二人は、床に並んでいる他のポッドに近づいて一緒に覗き込んだ。
タイヨウによると、ポッド本体には行き先を操作するための機能は一切なく、射出された後は、そこから最も近くて最も生存の可能性が高い星をひたすら目指すだけだ、とのことだった。
「つまりさ、これは本当に緊急の緊急、最後の手段でしか使わない代物なんだよね。もともと全員分は用意されていないし、一人二人がかろうじてどこかの星で生き残ったところで、何も出来ないだろう?」
「確かに……」
「ここに籠もってマニュアルも動作仕様もくまなく読んだけれど、具体的にどういう場面で使うことを想定しているのか、という記述は無かったんだ。……だから、僕ら乗員が自分たちの判断で使っていいものなんじゃないかと……」
「と、あなたが勝手に判断した、ということね?」
「うん、まぁそういうこと」
タイヨウも言いながら耐えきれずに吹き出して、二人で笑った。
「なんだ、やっぱりタイヨウだって無茶な使い方だって思ってたのね」
「そりゃそうだよ。設計した人も考えてなかっただろ、こんな使い方」
「あはは……本当に……」
オリビアは、泣き笑いの涙を手のひらで拭った
「本当に、ね。だいたい、こんな科学の粋を極めて作った立派な宇宙船の中で、それも地球から何光年も離れた先で、たかがお菓子のことで喧嘩してるだなんて。地球の人たち、絶対に想像してないよ」
オリビアの言葉に、タイヨウももう一度吹き出した。
「そうだね……いや、でもさ……うん、わかった気がする」
「何を?」
「いろんな記録に出てきた、『キノコタケノコ戦争』ってやつ」
戦争、だなんて随分と物騒な言葉を当てたものだと最初は思ったけれど、とタイヨウは続けた。
「多分だけど……地球の人たちもきっと、くだらない話だなと思いながら、自分の中のこだわり、ってやつに賭ける情熱を競い合うことがあったんだと思う。キノコとタケノコに限らずね」
「こだわり……」
「争いって、どうしても譲れないものがぶつかり合う時に起きるんだって、今回あらためて学んだ気がするよ。それが国家間でも、グループ同士でも、人と人とでも。何かこだわりたいものがあった時に、そこで小さな『戦争』になるんだろうな、って」
オリビアはタイヨウの言葉を一つ一つ飲み込むように、何度も小さく頷いてから、コンソール横の丸窓に寄って外を見た。
脱出艇はもう影さえも見当たらず、そこにはただ眩しいほどたくさんの星々が広がっていた。
「――また、作ってくれる?タケノコ」
「もちろん」
タイヨウはオリビアの傍らに行き、そのままそっと彼女の肩を抱いた。オリビアは肩に置かれた手に自分の手を乗せる。
「今度はケンカしないで、ね?」
「それも、もちろん」
二人は向き直り、久しぶりに互いの笑顔を間近で見て、またしばらくの間、一緒に星空を眺めていた。
――が。
「……それと、さ。ちょっと前から君に言いたかったことが、あったんだけど……色々あって、なかなか言い出せなくて……」
ふいにタイヨウはそんな風に切り出し、急に視線をあちこちへ泳がせると、言いにくそうにその後の言葉を濁した。
「え、何?」
「いや、でも別に、今じゃなくてもいいかな……」
「もうっ。今さらだから、言いたいことがあるなら何でも言ってよ!」
オリビアは、まだわずかに潤んでいる瞳をタイヨウに向けた。
「う、うん。あのさ……」
大きく唾を飲むタイヨウ。
「……来季の、ペアリングの申請を出そうと思ってて……その、君と、僕とで」
「―――っ?!」
「一緒にどうかな、って…………あの、オリビア……?」
その時にオリビアがタイヨウの両頬をつねった強さは、もはや完全な暴力と呼んで差し支えないレベルであることを彼の痛覚センサーが記録したが、ティーチャーはやはり、何も注意はしなかった。
「…………夢でも見ているようだな。本当にお目にかかれるとは」
高さ100mをゆうに超える巨木が立ち並ぶ、ホウライの樹海。
その奥深くで、探査船の隊員たちはついに『それ』を発見した。
「母船へ短信を送ってくれ。目標物を発見した!とな。ティーチャーも喜ぶだろう」
防護服に身を包んだ探査チームのリーダーが、ヘルメット内のマイクに向かって興奮を抑えながら話した。
「これが、例のやつですか」
「ああ。クレイドル号の航海400余年の中で、ただ一度だけ使われた、そして――」
隊員たちは、樹海の中で不自然にひらけた窪地のような場所に佇む、周りの木々とは明らかに異質な物体――クレイドル号の有していた、緊急脱出ポッドを見下ろしていた。
「――用途が何だったのか不明のポッド、『bambooshoots』に間違いないな」
今から300年ほども前に、クレイドル号から緊急脱出用ポッドがただ一つだけ射出されたのは、ポッドの残数と当時の記録からして明らかだった。
だが、ポッド射出の前後で乗員が増減した記録が無かったため、人間が乗っていた可能性は低かった。
では、一体何のために、何を乗せて、貴重な脱出ポッドを射出したのか?
当時、射出作業を担当した乗員が記した記録には、その内容物の欄にただ一言、
『bambooshoots』
としか記述されていなかった。
さらには、射出作業を記録した映像や音声データも全て不可逆な状態にエンコードされており、解読は不可能だった。
『bambooshoots』が、地球に存在した植物の呼び名であることは分かっていたが、同種の植物が船内で育成されたという記録は地球を出発してから今に至るまで一切なく、それがどんな意味を持つ言葉なのか、クレイドル号では数百年に渡って謎とされてきた。
そのため、『bambooshoots』はいつしかその謎の脱出ポッドそのものを表す代名詞として使われていたのだった。
「しかし、いったい何が入っているんですかね」
「そうだな……ただ、『bambooshoots』というのは、まっすぐ天上を目指して勢いよく伸びる植物の、その新芽にあたるものを指す呼称だと聞いている」
リーダーは頭上を仰ぎ見た。木々の枝が連なった遥か上空に、この星系の恒星――人類にとって二つめとなる太陽がきらめいていた。
「私は、これから始まるこのホウライでの暮らしに、新鮮な息吹を与えてくれる何かだと信じているよ」
隊員たちは皆、ヘルメット越しに明るい笑顔を見せて、ポッドの回収作業に取りかかった。
<完>
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
あとがき
言うまでもなく、Wikipediaにまで載っている「きのこたけのこ戦争」が元ネタではあるのですけれども、あらためて今回のプロットを思い出してみると、
ここから私が最初に連想した言葉が、
「きのこたけのこ宇宙戦争」
だったんですよね(多分この時点で間違ってる)。
人類が宇宙時代に入っても、相変わらずきのこvsたけのこ論争が残っていたら嬉しいなぁと思いながら考えていたら、もともと舞台設定とか考えるのが好きなタチのため、わらわらと色んなことを思いつき、気づいたらちょっと詰め込みすぎて、とてもSSとは呼べないボリュームになってしまいました。
編集能力の欠如を痛感しております。長ければいいってものでもないのですから。
若干、趣旨から外れている気もしており、DNFさんにも申し訳なく…。
星新一とか筒井康隆とかのSSをさんざん読み漁ったくせに、お前はSSってどんなものか知らんのか、とお叱りをいただきそうですが、たけのこへの愛が成した狂気だということで、何卒ご容赦のほどを。
ちなみに、こういうお話が好きな方は「草上仁」先生の短編集がオススメです。柔らかめのSF、という感じで、それこそ星新一先生や「キノの旅」などが好きな方でしたらきっとお気に召すのではと思います。
既に絶版になっているものもあるようで悲しいのですが、古書店などで見かけたらぜひ手に取ってみてください。
最後に、あらためて執筆の機会をくださったDNFさん、ならびに、お読みいただいた皆様に、心より感謝申し上げます。
DNFさんの作品はこちらです!
そして、競作したDNFさんの作品はこちらになります。
私のとは全く違った味わいの、なおかつ真っ当なボリュームのSSとして仕上げられておりますので、こちらもぜひお読みください!
――さてと、甘いもの(たけのこの里)でも買ってきて、コーヒーブレイクにしようかな。