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「奇跡のコース」ACIMレッスン177

しばらく、復習期間になります。
日に、二つずつ、過去のレッスンを振り返ります。

レッスン177のアイディア

神とは、ただ愛であり、それゆえ、わたしも愛です。
163. 死は存在しません。神の子は自由です。
164. 今やわたしたちは、わたしたちの源である神とひとつです。

「奇跡のコース」のワークを学ぶガイドブック7 / ナチュラルスリット

今日のレッスンのねらい

  • 死とは、恐れを具現化したもの。

  • わたしたちの生命は、神の源に還るだけ。そして永遠。

レッスンのポイント

  • 死とは、ひとつの思いの現れ。悲しみ、恐れ、不安、疑いなどとして現れる。

  • 体に対する心配、誰かをうらやましく思うこと、自分ではないものになりたいという願望、そのような思い込みは死を救い主としていることと同じこと、ある意味、死はそれらから解放される手段となる。

レッスンの具体例

心の中でこのフレーズを繰り返すのもよい。

自我(エゴ)にとっての目標は死であり、死はまさにエゴの終わりです。
しかし、ホーリースピリットのゴールは生命であり、生命に終わりはありません。

「奇跡のコース」テキスト15章1節5段落(T-1.1.5)

レッスンの進め方

*レッスン153より参照。(レッスン161〜185まで同じ。)
毎日、できるだけレッスンに心を向けて1日をスタートする。
5分をその時間に捧げる。(10分、そして15分ならなおよい。)
夜にも、感謝と喜びの気持ちとともに、時間をとる。
また、日中は、1時間ごとに、心を神に向ける時間を持つ。
1分でも良い、また時々は忘れてしまうかもしれません。
それでも、1時間ごとに、神の声に耳を傾けるようにする。

まとめ

「奇跡のコース」を学んで、わたしたちが迷い子になるのが、今日のアイデアではないでしょうか。
死は存在しない・・というものです。
わたしたちは、身体を持ってこの世界に生きていて、呼吸が止まって、身体機能が停止したことを持って死亡と判断し、身体は、遺体と呼ばれます。
そして死後は、各自のルールや常識にしたがって、宗教を進行している、いないにかかわらず、一定の段取りで遺体を葬り、仏になったとか、神のもとへ召されたとなります。これがこの世界における「死」で、この見方では死は存在しています。これは、自我(エゴ)の見方です。
そして、エゴはあなたの死を望んでいますが、エゴ自身は自分の死は望んでいません。そこが理にかなっていないところで、エゴの思考体系です。
一方、「奇跡のコース」や、スピリットを基準にした考えによれば、魂(スピリット)、生命は身体を脱いだ後も、存在し続けているというのです。
ですから、この世界の基準で言われている「死」は存在しないと言っているのです。これは、ホーリースピリットの思考体系です。
確かに、目を瞑って、心を静かにすると(心のスペースに戻ると)、亡き両親や、兄を想うと、顔も浮かぶし話をすることもできます。
そんな時は、「あ〜、やはりスピリットは永遠でいつでも繋がれるんだなあ。」と感じます。
しかし、一方で、別れのあとの喪失感であふれている時は、「もう一度、声が聞きたい。」「冗談を言って笑い合った時に戻りたい。」「温もりを直に感じたい。」と願い、そして叶わないことに絶望を感じました。
わたしたちは身体を持ってこの世界に生きているので自我を切り離すことはできません。だから、自我の思考体系にいるとき、このように感じてしまうのでしょう。
けれど、学びを深めるほどに感じるのは、真実はひとつ、生命は永遠なのだということです。

あなたの夢を信じて

ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます♡



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