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「奇跡のコース」ブレイクタイムその5

レッスン50まで終えて

「奇跡のコース」レッスン80まで終了!
振り返りながら、レッスン81〜90の復習期間の前にブレイクタイムです。☕️
今日はわたしがなぜ、「奇跡のコース」を学ぶのかについて書いてみます。

人生のぎもん

なぜ、わたしはここにいるのだろう。
なぜ、生まれてきたのだろう。
人は死んだらどうなるのか・・。
才能に恵まれて、幸せな人生を送る人とそうでない人の違いは何?
どうして全てのものに名前がついているのだろう、誰が決めたの?
このままいくと、どうなるの?

このような疑問を持ったことがある人もいるのではないでしょうか。
わたし自身も気がつけば、人生についての疑問とその答えを求めて過ごしていました。それは、小学校の頃か・・もしかしたら幼稚園の頃に、すでに漠然としたぎもんは湧いていたかもしれません。
でも、それは日々、考えてもしょうがないこと、答えのないものとして頭の片隅に追いやって、日々、目の前のことに夢中になって生きていきます。
子どもの頃は新しい刺激やインプットすることが多くて、それらのぎもんに悩まされることもあまりありません。ですが世の中の理不尽さにだんだんと気づくようになります。

こんな自分と一緒に

大人に近づいてくると、自分という存在を知ることになります。
自信がない、誰かを羨ましく思う、過去に失敗した傷が治りきらず、自己嫌悪を引きずっている・・だけど表面的には元気そうに振る舞っています。
というよりは、自分というものがわかっておらず、自分と向き合う時間も、向き合い方もわからないまま、急行に乗ったように人生が進んでいくのです。スポーツに例えるなら、ルールもきちんと理解せずに、適切な準備運動や練習をせずに試合に臨むようなものです。時々はラッキーにもうまくい具こともあるけれど、ダメな時は落ち込んで、でもなぜうまくいかないのか、正解はわからず、苦労しながら人生ゲームはノンストップで続きます。何かが思うようにいかない・・今思えば当たり前です。ルールを知らずに人生ゲームに参加しているのですから。
その上、「こんな自分」はダメなんだと思い込み、そんな自分と向き合うのは苦しいのでなんとか、適当に応急手当をして試合続行です。いつまで続くのだろうか。このままどうなるのだろうか。
また答えのない質問がよぎります。
もう、子どもの頃のように知らないふりはできなくなってきます。
野球ならもう7回裏、0ー5みたいな気持ちです。

コノママデハウマクイカナイ・・

自分でどうにかしようというその思いを手放した時、「奇跡のコース」と向き合うことになります。

「奇跡のコース」とのつながり

「奇跡のコース」を知ったのは、10年以上も前のことです。
メンターの話に出てくる「A Course in Miracles」という言葉で初めて知りました。時折、テキストの引用も聞いたし、説明も聞くので馴染みのあるものになってきました。ただ、ワークブックを毎日真剣に行うことや、テキストを読みこなして没頭することはありませんでした。
「神」「天国」「聖霊」という響きに親近感がなかったことや、自我(エゴ)100%で生きている自分には今思えば、理解したふうでも真の意味を汲み取っていなかったからかもしれません。
それでも、ずっと「奇跡のコース」の存在とはつながっていました。
とにかく人生について、「なぜ?どうなっているの?知りたい!」という気持ちから、宇宙の法則や、世の中の成功者、キリスト教や仏教の教えの本を片っ端から読んだり、大学で心理学のコースを学んだりしました。するとだんだんと人生のルールらしきものがぼんやりと自分なりに見えてきました。
わたしは、最終的に説いていることはどれも同じことをいっているのだなという思いがありました。言葉や表現やアプローチは違っても本質は同じなんだと感じました。

わからないままに進む

ルールブックが手に入ったからといって、上手にプレーできるわけでも、いい試合ができるわけでもありません。ですが、ルールを頼りに、何がいけなかったのか、自分のどこがズレているのか見返すことができるようになります。むずかしいのは、「わかっちゃいるけど・・・」の部分です。
「なるほど〜!そういうわけか。」と思っても、「奇跡のコース」的にいえば、自我(エゴ)に引っ張られるわけで、思った通りに気持ちも行動も伴わないのです。そうです!練習が必要なのです。
というわけで、今回のシリーズでは、なんとなくなぞっていた「奇跡のコース」のワークを、再度レッスン1から順番に復習しています。
「奇跡のコース」のテキストの冒頭にあるように、これは、癒しの実用書でありながら、このテキストが唯一の方法ではないと明記されているように、唯一のもの、こうであらねばならないもの、というのは一切ありません。
(とはいえ、参考までに推奨されるレッスンの進め方を載せています。
ご了承くださいませ。m(_ _)m)
「奇跡のコース」は難解だといわれることがあります。ひとつは、言葉の意味が既存のわたしたちが思い描いている概念とは違うからです。
もう一つは、今まで、世の中を自我(エゴ)で理解していたのですが、全く反対のことを教えてくれるからです。テキストを読んでも、ワークをしても納得できない、理解できないことにぶつかります。そうなると、学びが停滞して、面倒くさくなり、いつの間にかやめてしまうのです。
でも、わからないまま、なんとなくでも、自分のペースで「奇跡のコース」と付き合っていくと、「あ、そういうこと?」とふに落ちる体験をする時がくるのです。(わたしの場合はそうでした。)
巷には、「奇跡のコース」について解説がたくさんあり、学びの助けになります。それらを参考にしたり、自分自身で追求したりしながら、自分にあったペースで学んでいくのがオススメです。あるときの「あ、そういいうこと?」を体験するとそのあとはスムーズに進むようになりますから。

まとめ

「奇跡のコース」に出会ったあなたは、この文章を目にするでしょう。

これは、奇跡についてのコースです。これは必須のコースです。
あなたに任されているのは、コースを受ける時をいつにするのかだけです。
自由意志とは、あなたがカリキュラムを設定できるという意味ではありません。ある時に何を学ぶのかを選択できるという意味です。
このコースは愛の意味を教えることを目指すものではありません。
というのは、愛の意味を教えることはできないからです。

奇跡のコース第1巻テキスト 序文

わたしは、これを読んで、この人生ゲームの目的は愛を学ぶことだとはっきりと確信しました。それは、教わることのできないもので、わたしたちが体験を通して学びとっていくものです。だれもが人間関係、ビジネス、健康、スポーツ、芸術などのテーマにおいて、この人生ゲームで愛を学ぶのだと思います。この人生ゲームには、比較や勝ち負けはないし、体を脱ぐまで続くのです。早いほうが偉いわけでも、優れているわけどもありません。
最期まで何を体験するか、どんな愛を学ぶのかわかりません。
お互いに協力して何かの役割を担って、お互いに愛を学んでいるのです。
スーパーヒーローも、補欠もいない全員参加型のゲームです。
それを知ったあとは、生き方が変わりました。
どう変わったか・・それはまたいずれ。

誰をゆるしますか

ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます♡

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