自分の機嫌をとるって、どういうこと?
大人になったら“自分の機嫌は自分でとる”がマナーだと思っていた。そして、それができない時は自分を嫌だと思っていた。そう思っていたが、ある先輩からこんな言葉をもらって“自分の機嫌は自分でとる”の意味を改めて考えてみた。
もしかして、“がんばる”がデフォルト?
先輩に“がんばってるね”と言われた時に「そうです、私はがんばっています。」と認めることができるだろうか。私は「そんなことないです、まだまだ頑張ります。」と答えてしまう。
では、私はいつ頑張ってるのか。
その答えは見つからなかった。38度の熱が出ても仕事は全うしたいし、そんなことは「頑張る」と言えないと思っていた。
ただ、冷静に考えてみたら本当にそうだろうか。
友達が「38度の熱あったんだけど、やらなきゃいけない仕事があって、在宅で働いたんだ。」と言っていたらどう反応するか。「いやいや、休みなよ!がんばらなくていいよ!元気になるのが先だよ!」と言う気がする。
友達と自分に対しての「頑張る」水準がもしかしたら違うのかもしれない。そして、自分に対してはなぜか、やたらと厳しく「いつも頑張れよ」とプレッシャーをかけているかもしれない。
人にも“がんばること”を要求してるかも
友達の例とは真逆だが、常に「頑張るプレッシャー」を自分にかけ続けているということは、「人は、頑張らねばならない」という固定観念を生み出してしまうかもしれない。自分がやっているのに、隣の同僚がやっていないことがあると、未熟者の私はついムッとしてしまう。「あなたは私と同じ立場なので、同じくらい仕事に励むべきですよね?」と押し付けて考えてしまうことがある。そう考えたくはないが、事実、そういう思考回路も持っている。
ただし、私は人に「頑張る」を強要したくない。冷静に考えれば同僚がシゴトしなくても自分の評価や業務に影響しないこともあるし、他者の課題は私の課題ではないので、気にしないようになりたい。だから、頑張るをデフォルトにしない(=他者に押し付けないように)ように気をつけたい。
がんばるとは?
そもそもがんばるって何だろうか。「さあやがんばってるね!」と声をかけてもらった過去のすべてのシーンで「私いまがんばっている!」と思っただろうか。いや、そんなことはない。では、私が他者に対して「がんばっている」と思うことはどんなことだろうか。
眠くても朝時間通りに起きて、身支度をして出社していること
一日7時間以上も仕事をしていること
節約しながら、自炊料理を楽しんでいること
寒かったり暑かったりする中、洗濯物を干すこと
自己研鑽のために勉強していること
書き出してみると、日常にありふれた行為でも「十分がんばっていますよ!」と言いたくなる自分がいることに気がついた。しかし、怠惰なことは入っていない。例えば、お布団にまかれて漫画を読んでいる、ということは「がんばっている」とはあまり思わない。共通点を考えてみたら「怠けることもできるのに、行動することを選択している」ことだとわかった。
自分の機嫌はどうやってとれる?
考えてみてわかったこと。
対自分基準と対他者基準の「がんばる」に差があること
自分には「まだがんばっていない、もっとできる!」というプレッシャーをかけてしまい「認められたい自分」が全否定されていること
では、自分に対しても「対他者基準」を適用していったら「認められたい自分」も満足できるのかもしれない!と気づいた。
他人に褒められるのは「ご褒美」
とはいえ、人から褒められたらすごく嬉しいものだ。めったに褒めてくれない上司が「プレゼン資料のスキルが上がってきたね」と言ってくれた時は耳を疑った。褒められるということが日常茶飯事という人は決して多くないだろう。
だからこそ、まずは「がんばった」水準を下げて自分を認めてあげる。
そして人から褒めてもらったら、ご褒美だと思ってしっかり喜ぶ。
そんな考え方をしてみようかなと思う。
認め合える関係性の輪を広げたい
冒頭に書いた、先輩からの言葉はとっても嬉しかったことだ。もらったこの喜びは、疲れていた心にとても響いた。
私の周りにいる人も、元気そうに見えても疲れていたり、自分へのプレッシャーを抱えているかもしれない。それが発覚しなくても、日ごろから「がんばっているね」と声をかけていきたい。そういう器の大きい人になりたい。
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