きっとだいじょうぶ。
父は海軍だった。終戦を市ヶ谷で迎えたそうだ。
母はその頃は当たり前にみんなができた洋裁で服を作って売っていたらしい。
そんな父と母のもとに降りてきた私。
2歳上の兄がいた。
昭和31年。
世の中は戦後を乗り越えた自信に満ちていた。
最初に住んだのは米軍の人が住んでいたという一軒家で、当時はまだ珍しかったシャワーが風呂場にあった。
冷蔵庫もアメリカ並みの大きさだった。
庭には芝生が茂り、クリスマスには玄関前にあったもみの木を部屋に入れて飾った。
私の家は相鉄線の星川駅の近くの線路沿いの家だったから、電車が通るたびにガタンゴトンしてたけど、今ほど本数が多くなかったから普通に暮らせていた。
目の前は線路で反対側には川が流れていたから、子供にとっては危険な環境だったのかもしれない。(実際、兄は幼稚園のとき、川に落っこちて朝鮮の人に助けてもらったらしい)
これからここに、自分の生きてきた経験を少しづつ話していこうと思う。
そしてその経験を通してできることがあるとしたら、
「人は自分が決めた時までは死なないようになってるから、だいじょうぶだよ」、って伝えたいんだ。
そして自分で決めてきたその命をどうか自分で終わりにしないで、ってことなんだ。
助けを求めることは恥ずかしいことでもなんでもない。
この地球に降りてきて、命より大切なものなんてない。
ゲームはまだ続くよ。
君はこの世界でやろうと思ってきたことがあるはず。
そうじゃなければ、奇跡的な確率を勝ち抜いてここに来るはずないもの。