
『心臓に毛が生えている理由』
先日、図書館である本を探していたときに、たまたま目に飛び込んできた米原万里さんの本を借りてきた。
おそらく著書は何冊か、手に取ったことがあるけれどこの本は知らなかった。
『心臓に毛が生えている理由』
米原万里(著)
わたしが米原さんを知ったのは、たしか大学生のとき。
おおくのロシア語学習者には馴染みのある方だと思う。わたしが大学生のときはまだバリバリ現役で活躍されていた、はず。
訃報を知ったのは、その数年後だったか。
まだ50代の若さで、ご病気で亡くなったと知りとても残念な気持ちだったのを覚えている。米原さんというひとは個性的な方だったという印象がある。
その米原さんの本をなぜ今急に読みたくなったのか。わからない。
けれども今朝の電車の中でこの本を読んでいたら、なんとも絶妙なタイミングだったのだと感じたので、ここnoteに記録しておくことにする。
少し長くなってしまうが、第4部(Ⅳ)「生命のメタファー」の一部を紹介する。
花は特別な存在だ。根にも茎にも葉にもぜんぜん似ていない。花は植物の色である緑色をしていない。緑色の花なんて聞いたことがないではないか。
花は植物の生の頂点であり、だからこそ、きっと美しいのだ。花の後にはもう何もない。後に残されるのは、次に新しい花を咲かせるかもしれない種だけ。花は枯れ、茎は干涸び、葉は黄ばみ、根は地中で腐り果てる。
死はまるで生に似ていない。でも死こそが生の完遂。死に区切られてこその生。
昔から人は神(運命と言い換えてもいい)から与えられた命に感謝こそすれ、同じ神から与えられる死は呪ってきた。しかし、遅かれ早かれ生きとし生けるものには蕾が開き花が咲く瞬間が訪れる。
死こそは、生の全体像を見渡せる唯一の地点で、まさに生の意味を悟るこの上ないチャンスなのだ。その無意味をもっとも鋭く感知できるチャンスでもある。
(中略)
もちろん、華やかな花束に死の気配を感じ取るのは難しい。でも、たった一人になったとき、花束が美しければ美しいほど、目には見えない死の存在に気付かずにはいられない。虚空としての、あるいは永遠性としての死に。そして、生を極めた美としての死に。
葬儀に花を手向ける風習は、生の頂点こそは完結でもあることのメタファーなのではないか。
昨日の夜遅くに、イギリスに住む友人から連絡が入った。
わたしが高校時代の10ヶ月間お世話になったホストファミリーである、お母さん(ホストマザー:Mam)が息を引き取ったという。少し前に子どもたちから連絡をもらっていて、お母さんは病院にいるとは聞いていた。相当悪いんだろうな、ということもなんとなくわかっていた。
けれども、詳しい状況までは分からなかったから、まだ大丈夫だろう(だといいな)なんて漫然と考えていた。それがついに…恐れていた瞬間が来てしまった、と思った。
言葉を失った。どう表現していいのかわからない。
気持ちの整理がつかない。
こういうとき、残された家族にはどうやって声をかけたらいいのだろうか。まったく、わからない。
そんなときに、この文章に出会ったのだった。
まだ17歳だったわたしにとってホストマザー(Mam)はとても大きな存在だった。
厳しく、強く、かつ優しく、そしてなにより愛情深く接してくれた。幾度となく涙が止まらないとき、言葉がうまく出てこないわたしに辛抱強く付き合ってくれて、わたしの気持ちを表現するのを手伝ってくれたMam。
キッチンで紅茶を片手に何時間もおしゃべりが止まらなかったこと。10ヶ月のステイを終えて帰国する前夜は、世が明けるまでずっとおしゃべりし続けたこと、涙でいっぱいのわたしと同じくらい真っ赤な目をして強くハグしてくれたこと。数年ぶりにイギリスに会いに行ったときには、こちらがびっくりするくらい喜んで強くハグしてくれたこと。
離婚した後、しばらく仕事を休んでいたころ再びイギリスへ行ってMamに離婚したことを伝えたとき、気持ちが抑えられずに泣きじゃくるわたしに、やさしく「あなたはまだ若いんだから」と、やさしくハグしてくれたこと。
昔のことを思い出していたら、また涙が溢れそうになってしまう…
どれだけわたしはMamのあの強いハグに助けられたことか。
数年前にVideo chatしたのが最後になってしまった。
あのときは、「わたしの75歳のバースデイパーティーにはみんな来るのよ!」なんて言っていたのにな。その誕生日まで1ヶ月を切っていたけれど残念ながら叶わなかった。
もうあの笑顔を見ることはできないし、Hugすることもできない。残念だけれど、そのことを悲しむよりも元気だったころのMamのことを思い出して「ありがとう」の気持ちを整理してみたいと思う。
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