遊ばないといけない生き物
バタバタバタバタ!!
ものすごい駆動力で、何者かが外を走ってきて、そして「ただいまぁ!」と叫んで隣の家に入った。隣の家の子だった。
子供の走り方というのは、ちょっと常軌を逸した走り方だ。もし成人があのドタバタの音で走ってきたら、それはもう、事件性・緊急性に溢れている。刑事か、刑事から逃げている泥棒か、そんなところ。
子供よ。たかが家に帰ってくるだけで、なぜ走るのか。
そう突っ込んでから、しかし昔自分がそうだったことを思い出した。
実際に、走って帰って来て、家の前で滑って転んでついた傷が、まだ動かぬ証拠として足に残っている。
今でも覚えている。どういうわけか私も例外なく、走って家に帰る子どもだった。
その頃、まだ引っ越してきてすぐで、家の前のコンクリにジャリがいくつかちらばっていて、滑りやすいことはなんとなく知っていた。「走って帰ってきたときに、気をつけなきゃな」とは思っていた。
いやいや、走らなきゃいいだろ!という話なのだが、「走らない」という選択肢は当時なかったようだ。
そんなに走って帰るほど家の大ファンでもなければ、家に走って帰るだけの事情も無かったわけだから、いったいどうして走って帰っていたのかと不思議でたまらなく、記憶に思いを巡らせてみて、
今やっと、「あ、そのあと遊びに行きたいからだ」と気がついた。
ランドセルを放り投げて、次の待ち合わせ場所に行かなければいけなかったから。一分でも惜しかったのだ。
私のその「近所で遊ぶ」ということをやれた子供時代は2年生くらいで終わりを迎えるが、それまでは普通の子のように遊んではいた。友達の家に行ったり、公園に行ったり、近所を走り回ったり。そのへんに生えている木の実をつんでみたり、そして、それが非常に楽しかったのを覚えている。
誰と遊んだかも覚えていない(ここがすごい)何をしたかも覚えていないのに、とにかく体力を使い切るまで外で何かをしていて、その放課後の時間確保のために走って帰る必要があったのだ。誰と何をしたかあまり覚えていないがために記憶から抜け落ちて、文化的な側面、例えば本を読むのが好きとか、絵が好きとか、そういうことばかりが「概念」として記憶に残っていたが、実際の、概念ではない、子供としての「身体」のほうは、とにかくフルに遊んでいたのだった。
急にそのことを思い出して、胸が熱くなった。そうだ、わたしも身体的に、子どもという生き物だった。子ども、という奔放な機能を存分に備えていた。そして、この身体は、一応それと同一の身体なのだということが嬉しかった。タフで奔放な身体。思い出そうと思えばこの体にも、その遊びへの集中力がいつでも呼び起こせるところに眠っているはずなのだ。
子供には遊び場がないといけない。それは、犬がおトイレのために散歩に行かないといけないのと同じように、「身体の機能上、ないといけない」もの、用意されなければいけないものなのだ。だから、難民キャンプでも、爆撃をされるような場所でも、地震で崩れた街の中でも、子供達は呼吸をするように、平気で遊んでいる。遊ばないといけない、場所や状況を問わず、遊ばないでいられない生き物だから。
体を動かして遊ぶことは、睡眠や食事のように絶対に必要なことで、もし「概念」によって「大人になる」過程でそれが奪われるとしたら、それは勿体無いと思う。
みんな、子供が、でっかくなっただけの生き物だ。それは事実だ。そのでっかい子供で構成されている社会だとしたらすごく生き生きとした社会になるだろう。当人たちがそれを忘れなければ。
使わせていただいた写真は、noteにあったもの。すごくいい写真。