下手か。と言いたくなる
口下手で自己表現も満足にできない、その上目つきは鋭い。だから勘違いされるし、深読みもされる。それは仕方ないけど、やっぱり気持ちの良いものではない。
誰かの定規ではかられたくないものがある。
得体の知れないプライドがそれなりにはある。
同じ方を向いて、同じ言葉を聞いて、同じ何かを解決させられる。
「嫌だ」
人と同じことが、自分がショーケースの中に並べられた存在のように感じて嫌悪感を抱く。
じゃあ私には何ができる、何が個性だ、
そんなことに悩んで寝られなくなる。
自分とは、、とこれが俗に言う自分探しの始まりなのかもしれない。
“自分がよくわからない人というのは他の人と自分が何か違うような気がしている人だ。"
オードリー若林正恭さんの、ナナメの夕暮れのあとがきにある一節である。
なぜ私はこんなにも考えるのか、悩むのか、
この一節を読んで、その糸が少し解けた気がした。いや、何かで頭を殴られたような気分になった。
たしかにずっと私は周りがなんの疑問もなく行動する中、別のことを考え、理由を考え、
まとまらないけど、「ズレている人」である。幸か不幸か、現在進行系で。
体育祭や文化祭、対人関係などなど。
本気になれた試しがない。
ずっと冷静に、意識しているわけではないけれど、気づいたらそうなっていて、でも自己管理が下手すぎてキャパオーバーになる。現に一年に一回、もしくはそれ以上大型連休の頭辺りに、抱えたものに責任を感じすぎて、あるいはそこからの開放感から。
嗚咽が止まらないほどの涙、胃が全く持って機能しなくなる、感染症にかかる、睡眠が取れなくなる、
生きるの下手くそか、と突っ込みたくなるのが今現在時点の私自身の人生である。
ちなみに直近ではつい4日前ぐらいにキャパオーバーの末、特別講義を抜けて、嗚咽の止まらない涙を流し、コース長と担任の先生に今の不安、不満、悩みを吐き出して、困らせた。
その節は申し訳ありません。
なんて書いてたら、本題を見失ったのでまた今度どこかであえたらよろしくお願いします。