見出し画像

レコードプレーヤーを買って気付いたこと

ちょっと前にレコードプレーヤーを買いまして。

お手洗いを借りようと思って、ふらっと入ったカフェの下にレコードショップがあったんですね。

それで何となく見てたら、意外と高くないんだな、と思って、つい衝動買いをしてしまいました。

音楽を聴くときって、最近ではもっぱらYouTubeMusicを適当に流していたので、今聴いているのが誰の曲かをあまり気にしていなかったんですよね。
きっとそういう人はたくさんいると思うんですけど。

でも、レコードとか、CDもそうですけど、絶対に意図的に聴くものを選ばないといけないので、今の時代はこういうのが新鮮なんだよな、と。

私は今36なので、高校生くらいまでは基本的にCDとMD世代なんです。
小学校、中学校の時はまさに平成の歌姫たちを聞いていた世代。そうは言いつつ、平成の歌姫たちはあまり聴いていなかったのですが…。

ともかく、以前まではそうやって、自分で聴きたいものをちゃんと意図的に購入していたのに、この10年くらいは全然そういうことをしていなかったなと、なんだか突然思いまして。

考えてみたら、それって社会人になって仕事をするようになってからなんですよね。

自分が好きなことに、ただただ時間を使うことがほとんどなくなって、何かしら仕事に役立つこと、自分の将来にプラスになることばかり考えていて、結果として、好きな音楽を聴くこともしなくなった。

そして、以前のように、何かを聴いたときに、ただただ心が動くということを感じることが減ってしまった。

ちょっと前に私は会社を辞めて、今はのんびりしながら、これからの準備をしているところです。

そうやってちょっと時間が出来て、やっとそういうこと、つまり「心が動くものを、ちゃんと堪能して感じる」ことが、久しぶりにできるようになったと思います。

こういうことが、たぶん「生きる」ということだと思う。
なのに、なんでこれまで仕事に力を注いでいたときって、こういうことを忘れてしまっていたんでしょうね。

休みの日にダラダラ時間を過ごすと罪悪感を覚えたり、何かしら生産性のあることをしないといけないと、無意識にそう感じていたんだと思います。

でも、そうやって仕事だけに精を出していると、自分の中身がだんだん空っぽになっていくような気がしました。

仕事は好きだったし、会社も好きで、とても良い学びをたくさん経て、仕事を頑張ったことには全く後悔はありません。

でも、自分の中から出てくる感情や、心の動きにはずっと目を向けていなかった。社会の中で働くときに、そういうものは時として「良くないもの」だと思っていたから。

自分の心を素直に感じて、それを表現したりすることが、私にとっては社会の中で上手く立ち回るために、一旦封印をしないと、上手くできなかったんだと思います。

そういうことを素で、上手く器用にこなして生きられる人もいると思うけど、私にはどうやら出来なかったみたいです。

レコードプレーヤーを買って、ふとそういうことに気が付きました。
「何を聴こう」とわくわくしている自分を、久しぶりに見つけました。

日常のこういうところに、気づきは溢れていますよね。

そういうお話しでした。


いいなと思ったら応援しよう!