英語が英語で聞こえた日
ある時、英語が英語で聞こえた瞬間があった。
それは、忘れもしない、2002年の冬のイタリアで。
まだ1人目を妊娠中で、イタリアで2回目の引越しをしたアパートメントの一室で、旦那の同僚のワイフや彼女友達らと、ランチを終えて帰宅して、
ソファに座った瞬間に、自分の気持ちを英語で考えた!
今思えば、それが私には、「瞬間」だったと思う。
以下が私の経歴、
2000年4月:NZにワーキングホリーで1年行き、
2001年8月:ワークビザで旅行会社で1年働き、
2002年8月:NZからイタリアへ
2003年2月:長男出産の為、日本に帰国
2003年10月:イギリスへ
2004年6月:イタリアへ引越し
2005年9月:NZに戻る
今、振り返ると、もしも日本人が多いオークランドにそのまま滞在していたら、
私は、英語が話せる友人を頼ってしまって、未だに大して話せなかったかもなと、思ったりもする。
この2002年8月から日本に帰国するまでの間、
日本語を話したのは、毎週日曜日の30分間
公衆電話から日本の両親に電話する時のみだったし、ネットカフェに言っても、
もちろんアルファベット以外は使えない。
私達が住んでいたのは、イタリアの地図でいうとふくらはぎ上辺りにあるマルケ州のFANOという小さな街。
小さな街なので、おかげさまで日本人が1人もいなかった!
中国人やタイ人はいたので、私もよく、「Sei Cinese?/あなたは中国人?」と
尋ねられることが多かったですね。
英語もままならないのに、暮らしていくにはイタリア語が必要。
ちなみに、イタリアに行く前には、「チャオ」しか知らなかった私。(笑)
ま、私は自分が働くために渡伊した訳じゃないので、行けばなんとかなるだろう的な考えだった。
確かにイタリア語が話せなくても、生活はできましたし、買い物フレーズも毎日買い物していたら、言えるようになりますし、カフェでの注文もできるようになりました。
でも、雑談は、やはり勉強しないとできるようになりません。
旦那はNZ人で、友人らはイギリス人か、オーストラリアかNZ人なので、1日の大半は、基本は英語が90%なので、不自由はしなかったですが、そこに住んでいると、現地の友達もできたりもしたのですが、これも英語が話せるタイ人、中国人やロシア人、時々イタリア人でした。
でも、イタリア語が話せない外国人は、カフェやメルカートでぼったくられるというかなり苦い経験を1度目のイタリア滞在で何回もしたので、悔しすぎる!負けてはいられない!と、2度目の滞在時には、外国人向けの無料のイタリア語クラスを見つけて、通ったおかげで、メルカートで交渉ができるほどになりました。
毎週水曜日と土曜日に開かれるメルカートの店には、一切値札がついていません。
お店の人と話して、店の人が『あ、こいつ観光客だな』とか『イタリア語がわからない』という判断で(多分)同じ商品でも値段が変わります。笑
話せる私が交渉して、買った5ユーロのバッグを、先週来たばかりのレイチェル(NZ人)は15ユーロで買っていました。
通常カフェで食べるパニーニ2.5ユーロを、初めて行くカフェで食べたら4.5ユーロで請求されたりと。
イタリア語が話せるようになったと言っても、流暢ではなくて、会話のキャッチボールができるようになったくらいですが、でもこれが出来ると出来ないでは、ぼったくられる率がかなり減りました!
しかも、イタリア語を勉強して、感じたことは、
発音が英語より簡単!
だったのと、日本語の文法に似ているので、話しやすかったこと!
スペルもローマ字ぽくって発音しやすかったです。
でも、現在過去未来系が7段階あるので、それがよくわからなかったですね。
日本人がいなかったおかげで、毎日イタリア語と英語に囲まれた日々を送っていたのも、凄い良い環境下だったと思います。
その語学を学ぶには、その語学漬けになると、本当に伸びるんだなと体験しました。
日常では、いつもイタリア語が耳に入ってきて、友人らと会う時は英語で会話。
でも、いつも、頭の中で日本語で翻訳、というステップがありました。
英語で聞いて、頭の中で日本語訳して、自分の言いたい事を日本語で考えて、それを英語に訳してから、話ていたいので、いつも会話に乗り遅れていた。特に女子の会話の流れと話題の速さには、到底ついていけない日々を過ごしていた。
日本では、マシンガントークだった私は、イタリアでは
Yokoって静かな子ね。
と、思われていた。くやしー!
が、冒頭で話した、ある時から、英語で聞いて、英語で答えられるようになった瞬間を得てから、スラスラではないが、日本語の翻訳部分の2ステップをスキップできるようになったおかげで、以前に比べてからは少しだけ早く話せるようになりました。でも、捲し立てられるようになるには、それから3−5年かかったと思います。
その捲し立てられるようになるまでも、イギリス滞在でかなり悔しい思いをしたり、2回目のイタリア滞在でもNZ人友人らとの間でいい返しができなかった為に、相当悔しい思いをしました。その悔しさから、絶対言い返してやる!
という気持ちから捲し立てることができるようになった気がします(笑)