幸せってどんな形?
最強寒波のニュースが流れてきた今朝
登校まであと25分
2回目の声かけのあと
いつも通り寝ぼけまなこで起きてきた長男と
「眠いー寝ていたいー」
「じゃあタブレットの夜の制限時間早めた方がいいかもね」
「そういう話じゃない」
「だって学校行ってほしいから」
「学校休むなんて言ってない」
「確かに!ごめん」
こんなやりとりから1日が始まりました。
大人も子どもも
寒い朝は布団から出たくないですね。
火曜日の朝はvoicyという音声アプリで
毎週8時に配信される話を楽しみにしています。
今日の配信はこれ
「その家族団らん間違ってますよ」
↓
https://voicy.jp/channel/2571/458871
「ご飯があったかいうちにみんなで美味しく食べたい」と思ったのに
子どもを呼んでも来ず、イライラしてその後無視してしまったというお母さんの話でした。
わかりみが深すぎて…泣
私も幼少期
「家族団らんの形」を強いられていた記憶があって
「自分の子どもには絶対にこんな思いをさせない!!」
と誓ったはずなのに
いつの間にか
自分の親と同じになっている自分に自己嫌悪
毎日反省して
どうしたらよいのか方法を探して学ぶけれど
結局また同じことをしてしまう苦しいループにいました。
このループの出口は、
「外側の形」をゴールにするのではなく
その形を求める元になっている「自分の気持ち」をゴールにすること
私がその形を求めていたのは、
家族で幸せになりたいからでした。
「幸せ」という漢字は、
罪人が手枷足枷をつけられている姿の形から成っています。
なぜそんな形かというと、
何を幸せと思うかは人によって違い、
共通の一つの形で表すことができないから
「誰が見ても幸せに見えない形で、それ以外を幸せと表した」という説が一般的です。
初めて聞いた時は
なるほど、その逆転の発想はすごい!と感心したのですが
でももしかしたら、
その罪人は
・大切な人を守るために罪を冒して望んで今そこにいて
よかった…と思っているという可能性もあるし
・あの刑罰よりこっちの方が軽くてよかったー
なんて思っている…かもしれない
そうしたら、
周りがどんなに「あいつは不幸だ」と思っていても
本人の心の中では「幸せ」と感じているかもしれない?と気づいた時
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幸せは
外側ではわからないもの
自分の気持ちでしか感じられないもの
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それが「幸せ」という漢字の成り立ちなんじゃないか!?と
ひらめいてしまいました。
何千年も前にこの漢字を作った人に直接聞くことも叶わないし、
どの字典の解釈にも載っていないけど
私はこれを自分にとっての答えにすることにしました。
握りしめてきた幸せの形が
もしも今の自分には合わなくなっているなら、
変えていい。
どんな形でも、自分が幸せかどうかは自分で感じられるから。