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筋痛症で痛くても私が投稿してきた理由/私の人生の痛い流れ

現状説明から

私の投稿が、受験生、英語苦手な人の為は勿論ですが、私と同様に闘病中の人たちの役にも立てたらと考えています。

2003年7月事務所移転後に突然発症し約7年かけて克服した全身痛の病(当時何度も誤診され原因不明の線維筋痛症)が、2014年後半わずか半年の全国規模の大手塾出張指導の無理が祟って2015年筋痛症再発。

同年秋に、凍結肩(frozen shoulder)にも(約3ヶ月事務所でほぼ寝たきりでしたがブロック注射しながら自分の生徒授業はしてました)。

筋痛症と治りかけていた凍結肩が2017年8月整体失敗による致命的人生で一番の激痛で、最近まで2年近く両手両腕両肩の痛みが余りに強く満足に使えず、昨年11月から過去3回note投稿断念を宣言しました。

それでも、何とか時折投稿…読んで頂いた方たち、本当に感謝してます。

私も闘病も英語も諦めませんから、人生の試練、共に克服を!!  

受験生の人たち、共に合格を!!


私の人生の流れを簡単に

私は高校3年の秋に事故で2年間に3度の大中小の手術、そのまま浪人することに。おまけに肝心の受験本番にインフルエンザ40度の熱でドクターストップで第一志望校も受験出来ず。

下は肩と鎖骨の粉砕骨折で金属二本が入った手術直後でギブスで固定する前の写真。もの凄く痛かったです。

これが私の300針手術痕人生の始まり。

20代で月に200時間の無給残業が続き過労死寸前で会社(世間では一流企業と言われていますが)を辞職。一年間の治療休養中、担当医師に「これを機に自分の好きなことは何かをゆっくり考えてみたらどうですか?」の一言で英語の勉強を独学で開始。

翻訳家を目指すも収入には至らず塾の講師に。3か月後にスカウトされて進学塾を共同設立。

当時地元No.1の進学校クラス生徒たちからどんな質問がくるかも分からず学校では聞けない内容を期待されてるのも分かり、そのクラスにはノイローゼ気味に(振り返るとこの辛い時期が私の英語講師の土台になりました)。

1年半に渡る彼らの授業が終わった時、「先生の英語の授業毎週楽しかったよ」。

えっー!? 

その後、高校生たちからの英語の質問や期待にちゃんと応えたいと留学決意。

2年後に猛勉強の後に渡米、米国大学院留学。

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帰国後留学のストレスから胃に穴が開き死にかけて緊急手術(正確には十二指腸潰瘍(かいよう)穿孔(せんこう)性腹膜炎)で胃を2/3切除。

人生で2番目の痛み(槍でお腹を突かれたような激痛に術後も痛い治療の連続)でした。

1年間に3回の大中小の手術。

人生肝心な時にいつもこのパターン。

結果、契約していた大手予備校を辞退してまた治療休養。

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上の写真は留学時パスポートのものです。どこから見ても病気するようには見えないとよく言われます。

その後、マイナー予備校と地元No.1の大学進学塾で英語講師として指導再開。

ここで進学塾経営者や生徒たちから多くの支持を得られ「時給は私の言い値で夜だけは専属に」と言って頂きましたが、何故か私はそれを断り3年間勤めて退職。

企業を辞めた経験からどこかに属することには向いていないと当時は考えました。

考えると本当に失礼な対応をしてしまったとずっと頭にありましたから、13年後に私が個別指導塾になった時にこの先生に連絡再会して謝罪を受け入れて頂けました。


私の伝えたいこと

こんな馬鹿な男のような歩みは若い人たちにして欲しくないというのが私の根底にあります。

冒頭に書きました2003年から原因不明の全身痛との闘い。私の体には300針近い手術痕があります。

ケガや胃切除以外に胆のう摘出、2017年整体失敗の大激痛連続でほぼ全てを失い、それらのストレスから翌年2018年5月には心臓(心筋梗塞一歩手前)をやられました。

しかも、今はこんな全身痛が再発6年目。

よく生きてるなーと我ながら思います。

まるでサイボーグです!

人は目の前の好機や地獄の始まりに意外と気づけないものです。

こんな人生、英語独学から渡米留学や英語指導、また筋痛症闘病1度目や再発6年の闘病期間に私が痛みとの闘いから学んだことを若い人たちに伝えたい(feedbackしたい)、

それが私のnote投稿理由です。


下記は筋痛症関連投稿です。



この記事が参加している募集

※全身痛再発7年目で外部の学校には指導に行けませんので、サポートは本当に有り難いです。投稿内容にご納得の上、何らかの形で英語指導の機会を与えて頂ければ幸いです。よろしくお願いします。 HP⇒https://feedback01.webnode.jp/ 福岡県 北九州市 小倉南区