池袋暴走事故の判決に思うこと
2019年4月の池袋暴走事故の事件で、禁錮5年という判決が言い渡された。
被告が車に異常があって自身に過失はなかったとする主張の一方で、客観的な証拠から事実認定された結果、被告の過失が認められて、実刑判決となったかたちだ。
被害者ご遺族のブログで、判決が出る前に書かれた、一審でやめにしませんかという内容の記事を拝読した。
これだけのニュースになっている事件であれば、事件の動向があるたびに、当然ストレスもかかるし、ご遺族にとっては事件を思い返す苦しい時間となってしまう。
ご遺族が民事事件の訴えを提起したというニュースもみたが、この真意は、損害賠償というより相手方と会って、死傷事故に対してどのように思っているかということを直接聞きたいからということだった。
ご遺族の方が被告人と直接言葉を交わす機会を経たり、ブログやメディアをとおして自身の意見や考えを伝えるなど、個人レベルでできる努力を精一杯されているように思えたが、それでも公判期日においても被告の主張・態度は変わらなかった。
事件と真摯に向き合って謝罪をするという態度が認められないのであれば、もはや、裁判が確定するまで、ご遺族の方はこれ以上時間をかけたくないということなのだろうか。
事故から第一審まで2年半。これから被告人には控訴の権利はある。さらに上告があれば、ご遺族にとって、裁判が長引くことでさらにつらい時間の引き延ばされる。本件ではただただ負担に感じられるのではないかと想像する。
現在の裁判の長期化という課題についてもなんとかならないものかと思う。
判決は、当事者から提出された証拠をもとに裁判官が量刑を決めるというだけで、新しいものを生み出すものではない。
しかし、裁判官でさえ言及した、被告の心からの謝罪というものが今後表明されるのであれば、長い期間向き合わざるをえなかった裁判もご遺族にとって報われる場となるのではないだろうか。
量刑以上に、今後の飯塚被告の言動と裁判が確定するまでがとても気にかかる事件だ。