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平和、人権、環境のワードにつられないように

平和、人権、環境なんて言葉があると、何となく良いことをしているという錯覚が生じたりするもので、そんなところを利用して変な宗教がからんだ団体などが手ぐすね引いて待っているよね~♬

渋谷のセンター街にいるアンケートおばさんなどに捕まって、住所氏名等を書いている若者も多いけど、個人情報を晒して大丈夫かと思ってしまう…

かつてベネッセの個人情報流出の時のユーザーの個人情報対策って、意外と賢い方法だと思ったのですが、郵便局の人はそんなことはやめてほしいと言うだろうけど、個人の氏名の一部を別のあて字にするとか、住所の一部を変えたり、書き方を変化(丁目とか番地をあえて入れたり入れなかったり、マンションの棟が一桁だけど、あえて二桁表記にする等)したりするとか、工夫して、どこから個人情報が漏れたのかを察知できるようにしていた人もいたらしいですね。

わたしも怪しいアンケート等をどうしても受けないといけない時は、名前の一部を変更したり、住所の書き方を変化させてみたりしています。

昔はクライアントの方々とグループを組んで共同で仕事をしていた時期もありまして、そのクライアントさんが、便利なグッズを口コミで売り浴びせる某組織に親しい人で、商魂たくましいのか仕事中にも、これが便利だとか、あれが便利とか語っておりましたが、僕らは聞いているふりして無視してましたね~♬

こういう商売の人達は、少人数を囲い込んで、何らかの商品を他と比較させて追い込んでいくやり方を使いますよね~♬ いや~、上手い人は上手いやり方をするけど、個人的には心理学を学んでいて本当に良かったですね…
こういう手法を採ってきても、動じないための教養なんだと思います。

さて、わたしの研究分野の一つは経営倫理でもあるのですが、やはり企業の社会的責任(CSR)については、まだまだ研究の範囲で良いのですが、SDGsになると、本当に怪しい組織もいっぱいあって、個人的には深く関わるのを避けています。

数々ある目標の一つに該当するだけで、声高にSDGsを叫んでいる団体が多いですね。つまりは企業や組織において、ネガティブな部分に蓋をしてしまう効果が高くて、その企業や組織が全ての面で良いとは限らないことですね。

かつて三戸公著『随伴的結果』文真堂という本があって、企業活動においては意図せざる結果を伴うことがあることを解いています。例えば、企業活動で人々の生活に有用な商品を作っている企業でも、公害に類するものがその過程で生じてしまうなど…

この点で、わたしは今のところSDGsには賛同できないところがあり、また、声高にSDGsを唱えている企業のネガティブなところに焦点を当てると、何ら改善されていない面もあり、疑義をもっているので、深く研究対象にもしていないという状態です…

平和、人権、環境などのワードは、このSDGsと相性が良いようで、これと絡めて色々背景のわからない団体などが右往左往している状態にあって、これを学術的に精査するにも難しい気がします…

変な組織の片棒を担ぎたくないので、わたしは明確にCSRとSDGsの間に線を引いてます。

まあnoteとしては、記述をここまでにしておきますが、SDGsを少々深く研究しようとすると、特にネガティブ要素に関して調べていくと、かなりえげつない状況に出くわすことが多くて、個人的にはこれは研究にはならないと感じた次第…

きっと今後も、このえげつない部分は、SDGsの研究者が感じたとしても、研究上は表に出てこないだろうと思います。まあ表に出てくる時はSDGsという概念が古く廃れてしまった後のことだと理解します…

話がかなりずれてしまいましたが、それだけに、平和、人権、環境というキーワードには、気をつけて対処する方が無難だと思います…

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